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【コラム】中国現場体験記(15) 新中国成立60周年祝賀式典と不良タクシー

中国ビジネスレポート コラム
奥北 秀嗣

奥北 秀嗣

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2011年7月19日

記事概要

今回は、日本でも大々的に報じられていた、新中国成立60周年祝賀式典の予行演習に運悪く巻き込まれた筆者の現場体験記です。

2009年10月1日、中国は新中国成立60周年祝賀式典を開催しました。式典の開催に際しては、事前に予行演習が何度も行われ、その度に、大変な規制がかかりました。今回は、新中国成立60周年祝賀式典の予行演習に巻き込まれた筆者の現場体験記です。

1.漢語水平考試(HSK試験)を受験
その日、筆者は中国政府公認の漢語水平考試(HSK試験)という中国語検定試験の受験のために、北京市の望京地域にある試験会場にいました。北京市望京は、首都国際空港から北京市内に向かう高速道路に面した韓国人居留地域です。
当時、日系企業にとっては人材派遣会社として有名なFESCO(北京外企服務集団有限責任公司)で中国語を学んでいたのですが、その時期FESCOでは漢語水平考試(HSK試験)が行われていなかったため、わざわざ望京まで行って受験していたのです。

受験を終えた筆者が帰宅しようとしたときから、長い一日が始まりました。

2.いざ帰宅
日本人居留地域として有名なのは麦子店と呼ばれる一帯です。ここに住んでいれば、件の祝賀式典やその予行演習に何ら影響されることなく生活ができたはずですが、当時筆者が住んでいたマンションは、長安街沿いにありました。

この長安街は、北京の中心部を東西に貫く幹線道路で、天安門広場と紫禁城に繋がる街道です。過去に、40周年祝賀式典のときの鄧小平、50周年祝賀式典のときの江沢民、そして今回の胡錦濤がパレードしたのが、まさしくこの長安街です。筆者の中国語講師も、大学生団の1人として、鄧小平指導の下、40周年祝賀式典の際に長安街をパレードしたと言っていました。当時、鄧小平は一様に同じ服を着ていた大学生団を見て、「若者らしい快活さがない。もっと自由な格好をさせろ。」と指示したそうです。

漢語水平考試(HSK試験)の受験を終えた筆者は、周りに便利な地下鉄などがなかったため、タクシーを捕まえようとしました。ところが、やっと捕まえた空車も行き先を言った途端、皆、乗車拒否をしてきたのです。初めはどうしてここまで乗車拒否に遭うのか分からなかったのですが、ようやくの思いで捕まえたタクシーの運転手から事情を聴きだすことができました。

3.新中国成立60周年祝賀式典
(1)新中国成立60周年祝賀式典

タクシー運転手曰く、その日は、夕方から長安街で戦車やミサイルを使った祝賀式典の予行演習が開催されるため、早い時間帯から周りは通行止めとなり、戻って来られなくなる恐れがあるから、とのことでした。
筆者が漢語水平考試(HSK試験)を受験していた望京は、北京市内の北側に位置し、長安街から見ても北側となります。一方、筆者の住んでいたマンションは長安街の南側にあったため、長安街を突っ切らないと帰れませんでした。

この予行演習は夕方から翌日朝に至るまで、長安街を全面通行止めにして行われたのですが、よりによって、この予行演習の時間帯に帰宅時間がぶつかってしまったのです(ちなみに、長安街沿いの商店などの営業も演習中は止めさせる通知が出されていました。そのため、近隣住人の不満を買う事となってしまい、結果的には大規模な予行演習の回数は、当初の予定よりも少なくなったのは良かったのですが)。

(2)何てこった!
このような状況でしたので、タクシーは通行止め地域を大きく外しながら運転していたのですが、結局、地下鉄の最寄駅から2駅北にあたる東直門駅近くで降ろされてしまいました。「これ以上南下するのは不可能。まだ地下鉄は動いているはずだから、何とか地下鉄で帰って」ということでした。

しかたなく地下鉄に乗り換えた筆者を待っていたのは、次の朝陽門駅での地下鉄全面ストップでした。幸い、ここからなら通常徒歩で、25分程度で自宅マンションに着くはずでしたので、残りは歩いて帰る事にしました。周りには同じように徒歩姿の人たちが多数いました。
ところが、大通りまで辿り着くと、今度は長安街を渡る橋(建国門)が全面通過止めとなっていました。すでに自宅まで目と鼻の先まで来ていたのですが、この時降っていた小雨も大雨に変わり、ますますツキがない状況になってきていました。家に帰れるかどうかの最後の望みは、長安街の下を通る小さなトンネルにかかっていたのです。

(3)長安街の横断完全通行止め
まず、一番近くの歩行者用トンネルに近寄って行ったところ、武装警察(中国では略して、武警wujingと呼びます)が待ち構えていました。

筆者:「目の前にあるマンションが自宅だから、何とか通らせて」
武警:「駄目」
筆者:「でも本当に、目の前のマンションに住んでいるのだから、そこを何とか」
武警:「ここから東側なら長安街を渡れるはずだから、もっと東側に行くように」

長安街を挟んだ向こうに見えている自宅マンションを横目に過ぎながら、渋々さらに東側に向かった筆者を待っていたのは、やはり武装警察でした。

筆者:「この南側にあるマンションに住んでいる。何とか向こう側に渡らせてもらえないでしょうか?まだ演習も始まっていないのだし」
武警:「身分証明書を見せろ」
この時、漢語水平考試(HSK試験)受験のため、パスポートを持っていました。
武警:「職業は?」
筆者:「大学院生です」
武警:「どこの大学だ?」
筆者:「中国政法大学です」
武警:「何?俺と一緒じゃないか。それは良いな。ハッ、ハッ、ハッ」
お、ツキが回ってきたと筆者が思ったのも束の間、
武警:「なら学生証を見せて」
筆者:「まだもらっていません・・・」
武警:「学生証がないのなら、あのマンションに住んでいるという居住証明書は?」
筆者:「さすがにそれは、今は手元にはありません・・・。あ!マンションの事務所に電話をすれば、私が住人だと証明してくれます」
武警:「なら、今電話をしてみて」

幸い、マンションの中国人マネージャーが、筆者が本当に住人である事を証言してくれたので、ここの通行止めテープはなんとか突破できたのですが、さらに南下して長安街に向かった途中、またもや武装警察に止められてしまいました。自力で進めたのはここまででした。

4.不良タクシー
(1)方法がない~没办法meibanfa~
次の日は月曜日でもあることから、その日のうちに何とか家に帰りたいという気持ちで一杯でした。しかし、その場にいたのでは、規制が完全に解かれる翌朝まで待たなくてはいけないことが明白でした。友人の家に行こうにも、この周辺にはタクシーがすでに存在せず、バスも地下鉄も全面ストップでしたので、まさしく、中国語に言う「没办法meibanfa」(「方法がない、どうしようもない」)でした。また、大使館街で完全に行き止まったため、周囲には安ホテルもなく、どこかの店内で朝まで時間を潰す気にもなれませんでした。

最初は同じく行き場を失った人達と、目の前を果てしなく通過していく人民解放軍の戦車やミサイルを傍観し、写真などを撮っていたのですが、最初から見学に来た訳ではなかった筆者にとって、翌朝まで強制的にこの状況で待たされるのはつらいものがありました。

(2)不良タクシー
その後、途方に暮れていると、突然、客を乗せていないタクシー2台が目に飛び込んできました。これはチャンスだ!と思い、近づいて行ったところ、それが不良タクシーだとすぐに気付きました。ここで言う「不良タクシー」とは、観光地にもたまにいますが、行き先で客を選び、しかもメーターを倒さずに代金を着服してしまうといった類のタクシーです。こういったタクシーは、中国に慣れていない観光客や中国語が話せないと、かなりの金額を吹っかけてきます。中国でも中央電視台(CCTV)などで、こういったタクシーを取り締まるドキュメントがしばしば報道されるほどたちの悪い人達です。

しかし、この時は背に腹は変えられず、とにかく声を掛けてみることにしました。

筆者:「長安街を渡ったすぐ前にあるマンションに帰りたいのだけど」
運転手1:「見てみろよ、行ける訳ないだろ」
運転手2:「長安街は全面通行止めだよ」
筆者:「でも、長安街もだいぶ東に行けば、通行止めになっていないのでは?」
運転手1:「4環(環状4号線のこと、目の前は環状2号線)よりもだいぶ東に行かないと、突っ切れないよ。俺は帰って来られなくなるから行かない」
筆者:「だいぶ東から周っても良いから行ってよ」
運転手2:「200元なら行ってやるよ。」
筆者の心の中:「目の前、歩いて3分の距離なのに・・・。長安街が通行止めだから、一旦東に向かいそこから南下、それから西に向かう感じか・・・。空港まで行っても、高速代込みで、80元程度が相場なのに200元・・・」
筆者:「空港まで行っても100元も掛からないよ。いくら払っても100元。それ以上は払わない」
運転手2:「なら行かない」
筆者:「なら乗らない」と歩き出す筆者。
運転手2:「待て、待て。行ってやるよ。乗れよ」
筆者:「100元以上はそもそも持っていないから(本当は持っている)、払おうにも払えないぞ」
運転手2:「分かったよ」

(3)いざ乗車
こうしてついに、不良タクシーに乗車したのです。筆者は何かあったときに備えて、タクシー運転手の情報(名前、写真、会社名、タクシー番号等)などを控えようとしたのですが、その類はすべて外されており、タクシーの中には情報となるようなものは置かれていませんでした。

筆者の心の中:「いざというときには、信号で止まるか何かの機会に飛び降りるしかないか・・・」

全面通行止めとなっている長安街周辺の北側を快調に東に向かった不良タクシーは4環(環状4号線)を南下(4環が通れた)し、長安街を超え、それから、通恵河北路を一路西に向かいました。やれやれと思ったのも束の間、途中、住宅街の入り口で武装警察に止められてしまいました。万事窮すかと思ったのですが、不良タクシー運転手が「よっ」と挨拶をすると、何と中に入れてくれたのです。そこからはこの運転手の独壇場でした。

運転手2:「あっちもこっちもまともな道路はすべて進入禁止、通行止め。だけど、俺が知っている穴場の裏道を通れば大丈夫」
筆者:「お~?!頼むよ」
運転手2:「任せとけ。ワ、ハッ、ハッ」

近所に住んでいた筆者もそこは四合院(中国の伝統的家屋建築、昔ながらの風情が残る場所。日本で言えば、長屋街の趣)が連なる歩道程度の認識はあったものの、うまく車が通行できるとは知らない抜け道でした。その後、無事にマンションの真裏に到着し、タクシー代100元にチップ少々で、不良タクシーの運転手は気分良く帰って行きました。

5.強引さとその裏側
このように、中国では中国共産党の絶対的権力のもと、これと決めた事は、たとえ国民が不便を被ろうとも遂行してしまう強引さがあります。今回のケースでも、華やかな報道の表側からは分からない現場の裏側では、行き場を失い右往左往する人たちが大勢おり、またそういった状況への対応策は全くありませんでした。筆者は運よく家に帰れましたが、それも最後の手段として不良タクシーを利用しなければならず、たまたまトラブルにならなかっただけかもしれません。理不尽が支配する今の中国ですが、そこに可能性を見出すか、おもしろいと思えるかどうかで、中国が好きになるか嫌いになるか、中国に入り込めるか入り込めないかが決まってくるのだと思います。


※新中国成立60周年祝賀式典の予行演習風景 左奥に戦車の行進が見える

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