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【中国深読みコラム】第3回~現代中国とはなにか?~

中国ビジネスレポート コラム
松本 健三

松本 健三

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2013年8月5日

記事概要

今回のコラムでは中国が現在の政治・経済体制になった1978年から最近までの変遷、即ち現代中国とはなにか?という点を深読みする。【1,495字】

前回前々回の2回にわたり直近の日中貿易と文化大革命終了までの過去の日中関係をお話しました。今回は中国が現在の政治・経済体制になった1978年から最近までの変遷、即ち現代中国とはなにか?という点を深読みしたいと思います。

中国現代史では、毛沢東を革命第一世代、鄧小平を第二世代、江沢民を第三世代、胡錦濤を第四世代、そして現在の習近平政権を第五世代と呼びます。江沢民以降は2期10年の規定があり三代で30年です。毛沢東は1949年の建国から亡くなる1976年まで27年間政権の座にあり、鄧小平は1976年から亡くなる1997年まで華国鋒、胡輝邦、趙紫陽、江沢民各政権の後ろ楯として院政を敷きました。江沢民は1989年6月4日の天安門事件後に党総書記になりますが、鄧小平存命中はあくまでNo.2の立場です。

政権世代を持ち出したのには訳があります。
今回のテーマは、誰が現在の中国を作ったのか?の検証ですので、最高権力者の生存期間とその意向は現在我々が向き合う中国の形と密接不可分の関係にあります。前回の第2回のコラムで、建国後の革命継続派と経済発展による国家運営を主張する実務派の対立をお話しました。毛沢東が死んで鄧小平に代わると中国は劇的に変化します。そのポイントを下記整理します。


中国の経済体制改革→社会主義市場経済へ
①1978年12月の第11期三中全会で改革開放路線を採用して以降、中国政府は計画経済から市場指向型の経済への改革を続けてきている。
この経済体制は「中国の特色を持った社会主義市場経済」と呼ばれており、中華人民共和国の経済体制は資本主義と社会主義の混合経済である。
②1984年10月、中国共産党12期3中全会において採択した「経済体制改革についての中共中央の決定」。社会主義の条件下での市場経済。政治体制は社会主義の枠を守りつつ、市場経済化への移行を進めるというもの。
③鄧小平1992年春節の南方講話に対する”姓資姓社”論争。姓は資本主義か、社会主義かの路線対立→結論:白猫黒猫論で決着→発展こそが硬い通りである(鄧小平)。
④1998年朱熔基総理の国有企業改革(8万社の民営化・株式上場化)。
これ以降、衣・食・住、医療、教育の国営企業丸抱え体制は崩壊。財政改革(国税、地方税分割)、社会保険制度導入、住宅の商品化。
⑤現在の企業数1,367万社(国有企業数15万社、民営中小企業1,238万社)。
GDP比率:国有企業40%VS民営企業60%。
納税比率:国有企業45.7%VS民営企業54.3%。
国有企業2012年度売上:410兆円(利益:31兆6千億円)。
トップ500社売上:443兆円(316社が国有企業、民営184社)
(1位:中国石油加工集団(24兆円)、民間1位:華為技術(売上3兆9,800億円)。

以上が、我々が相手にする現代中国でありますが、これらの改革開放は鄧小平の院政の下に、主に胡輝邦、趙紫陽の両党総書記、及び朱熔基総理が行ったものであり、江沢民は抵抗勢力でした。改革開放の後退を懸念した鄧小平は、江沢民の後継指導者として生前に胡錦濤を指名します。胡錦濤は鄧小平の遺訓を忠実に守り、次の世代にバトンタッチしました。鄧小平の遺訓、改革開放の徹底こそが中国が貧困より抜け出す唯一つの方法である、という信念は現在の習近平政権に引き継がれています。尚、社会主義国として初めて定年制を厳守させることに成功したことが、中国経済発展の側面的理由かもしれません。

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