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【中国深読みコラム】第21回~75年前の東京オリンピックと中国~

中国ビジネスレポート コラム
松本 健三

松本 健三

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2015年8月13日

日本の8月は戦争を考える季節です。8月6日の広島原爆投下記念日に始まり、9日の長崎、そして15日の終戦記念日まで続きます。今年は戦後70年の節目でもあり、高校野球でさえも、戦前に活躍した元選手のインタビュー記事が新聞・テレビで数多くの特集が組まれています。現在90歳前後の方々の生の声が聴ける最後の10年になるでしょう。同時に、1940年(昭和15年)の東京オリンピックを語れる最後の世代です。

2020年の東京オリンピック開催が決まりました。最近はメインスタジアムの国立競技場建設問題やエンブレム盗作疑惑が話題になっていますが、1964年(昭和39年)の東京オリンピックでも競技施設のみならず、新幹線や高速道路建設が間に合うか問題になりました。現在57歳以上の人は、学校のテレビで東京オリンピックを見たのを覚えています。筆者の個人的経験では、国立競技場に赤々と燃える聖火台と甲州街道を裸足で駆けぬけるエチオピアのアベベ選手の姿の記憶が鮮明です。

さて、ここからが今月の本題です。東京オリンピック開催は2020年で3回目の決定です。第1回目の東京オリンピック招致は1936年(昭和11年)8月1日、東京がヘルシンキ(フィンランド)との一騎打ちを制して、1940年(昭和15年)のオリンピック開催地に決まりました。当時の新聞は、「吾等の待望實現!“東京”遂に勝てり」(東京朝日新聞)と報じ、招致団長の嘉納治五郎(講道館創始者)は、「(アジアで初めての)東京での開催は、オリンピックが真に世界的なものになると同時に、日本の真の姿を外国に知ってもらうことができる」と喜びを語っています。

日本は明治維新後、富国強兵策で欧米に追いつくことを国家目標に掲げ、第一次世界大戦後の国際連盟(60か国)では、イギリス、フランス、イタリア、ドイツ、ソ連と共に常任理事国となり、世界軍縮会議(1921~1930年)をリードする大国となりました。大正デモクラシーで政治・社会・文化面の民主化が進み、自由主義的な運動、風潮、思潮が広がり昭和初期までは平和な時代が続きました。その成果の象徴が第1回目の1940年東京オリンピック招致開催決定でした。

では、なぜ75年前の東京オリンピックは開催されなかったのでしょうか?ここから中国が登場します。現在に至る日本の負の遺産です。オリンピック開催決定の翌年(1937年、昭和12年)、北京郊外の盧溝橋で日本と中国の軍が衝突し全面戦争に突入します。これ以前の1931年(昭和6年)が満州事変で日中戦争開始。終戦までの日中15年戦争と呼ばれています。1932年(昭和7年)に日本は「滿洲国」を擁立し、中国の利権をめぐって欧米と対立していました。日中全面戦争に突入後、国際社会からの逆風に加え、国内からもオリンピック返上論が急速に高まり、政府は1938年(昭和13年)年7月15日の閣議で、「開催取止ヲ適当ト認メ」との決定を下します。
日中戦争は国民党と中国共産党を内戦停止に導き、遂にアメリカの介入に至って、日本は全世界を相手に戦うことになり1945年8月の敗戦を迎えます。あれから今年は70年です。

過去100年の教訓として、日本が戦争をするときは必ず中国が登場します。2020年の東京オリンピックが無事迎えられるよう、今後も日中関係にはくれぐれも慎重に対処したいものです。

以上

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