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ブランドマネジメント急展開へ-中国自動車産業の内部変革-

中国ビジネスレポート 各業界事情
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2003年6月14日

<各業種事情>
ブランドマネジメント急展開へ
−中国自動車産業の内部変革−

アジア・マーケット・レビュー 2003年6月15日号掲載記事)

中国での「ブランド戦略」を進めてきたトヨタ、VW(フォルクスワーゲン)、GMなど有力自動車メーカー各杜は、中古車やサービス体制も含めた第2段階の展開へと動き始めた。現地生産する中国企業名ではなく「TOYOTA」「NISSAN」「VW」あるいはGMの「CHEVROLET(シボレー)」「BUICK(ビュイック)」といった世界共通ロゴと呼称を浸透させるのがこれまでの狙いだったが、さらに進んで世界共通ブランドとしての地位を中国にもアピールし始めている。豊田=フォンティエンとは読ませず、TOYOTA=トヨタと読ませる。将来的にはマーケティング、商品企画から販売、アフターセールス分野までを一貫して管理する−−−−つまり「製造と販売は分離する」という意志の表れである。中国側は政府も企業も、この方針に対しあからさまな反発はしていない。それよりも中国自動車産業の拡大と、そこから得られる税収や外貨に期待を寄せている。「開放」「東風」といった企業名を世界に輸出する意図は、いまのところ見られない。かつて一工場一車種を推進してきた自動車産業政策は完全に転換された。

日産と中国・台湾の新しい関係

中国ナンバー2の東風汽車グループと包括提携した日産は、中国および台湾でのブランド・マネジメントを一元化することになった。台湾の提携先である裕隆汽車製造が60%、日産本体が40%を出資して「新裕隆」を設立、この会社が台湾での製造分野を除く一切を切り盛りすると日産は発表している。また、日産も出資する裕隆は、東風汽車グループの乗用車製造会社である風神汽車などに出資しているが、この裕隆から中国本土の東風グループ企業への出資分は新裕隆がすべて受け継ぐ。これによって、裕隆は台湾の製造会社となり、東風グループとの関係はなくなる。

新裕隆を発足させる理由は、日産自動車が直接的に中国および台湾の商品構成、マーケティング、現地仕様の開発、部品調達、販売促進活動などを統括することだ。東風傘下の工場で日産車を製造するものの、あらゆる管理は日産が行う。関係者は「東風汽車およぴ日産、裕隆の三者会談でこの件は円満に決定された」と語っているが、東風汽車にとっても当面は「日産のノウハウに期待するほうが得策」との判断がある。

過去、日産は日本から中国へのスポット輸出を行っていたものの、日産ブランドでの乗用車現地生産は風神汽車での「ブルーバード」が本格的な第一歩であり、それは01年からのことである。鄭州日産で95年から生産されてきた小型ピックアップトラックが「ダットサン」の名で販売されてきたことも、日産にとってはラッキーである。今後、東風汽車で生産される日産開発車は、すべてが「NISSAN」ブランドで販売される。

外資ブランドには不関与の姿勢

日産同様に、マツダも中国現地生産では後発組だ。その理由は、経営をコントロールする米・フォード社が一貫した中国戦略を持っていなかったためだが、フォードが長安での生産を開始するに当たり、白羽の矢が立ったのはマツダ車だった。まず安価な小型車を生産する長安フォード(長安福特)に対し、マツダは中国最大の第一汽車集団に所属する一汽騎車との提携で間もなく中型セダン「M6」、日本で「アテンザ」として販売されているモデルの上級仕様を生産開始する。これは人気車となったホンダ「アコード」の対抗馬であり、フォードが欧州フォードの主カモデル「モンデオ」を中国生産するまでぱ、この「M6」が中問価格帯の唯一のモデルになる。

乗用車はすべて日産ブランドを全面に打ち出すという東風と日産の合意の裏には、政府の関与がある。もともと東風汽車は、乗用車に弱かった。仏・シトロエンおよびホンダと提携しているが、大々的に乗用車部門をテコ入れし、政府が望む年産45万台(2010年目標)を達成するためには日産の協力が必要だ。そこで、中国自動車メーカーとしては初めて、外資主導による持ち株会社方式で東風と日産の新しい合弁会社を立ち上げ、その運営に日産側アドバイザーとして裕隆が参加することになった。中国側は日産のブランド戦略にいっさい口を出さないことを約束している。

同様に、フォードのケースでもブランド展開にば長安側ぱ関与しないと約束しているようだ。また、米フォード本社も、グループ傘下のマツダが独自にブランド展開を行うよう要請している。当然マツダも、中国では「MAZDA」ブランドの浸透を図っている。現地側では「マツダという名前に対する先入観がなく、かえってやりやすい」という。


手付かずだった中古車への参入

こうした日系の後発グループが、第一汽車、東風汽車といった大集団と提携することに神経を尖らせているのが、最先発組も(の?)VWである。現在でも中国最量販モデルの地位にある「サンタナ」は、上海大衆=シャンハイターチョン製であり、ふたつの合弁会社を運営するVWが一汽大衆という製造会社表示を浸透させようとしたものの、VW=フォルクスワーゲンという呼称はいまだに一般的ではない。中国での活動の歴史が長いだけに、ブランド統一では出遅れている。

しかし、VW本社にとって中国事業は、いまやドイツ本国を上回る販売台数を稼ぎだす最重要プロジェクトであり、VW幹部は「生産台数を確実に増やし、輸出先を開拓しながら、VWおよびアウディのブランド展開を行う」としている。いずれVWブランドの最高級モデル「フェートン」を中国に投入する予定だ。また、VWに対しても中国政府は「政策の独自性」を約束している。

今年から稼働を開始した大衆汽車変速器有限公司(トランスミッションエ場)は、中国企業では初めて外資の出資が50%を超えた合弁事業であり、VWが目指す中国現地での年産100万台(07年目標)を政府も側面支援している。また、今年投入された小型モデル「ゴル」については、東南アジア向けの輸出を政府も期待している。合弁企業や生産車種の認可という点で、中国政府はVWにプライスリーダー的役割を継続してもらう意向のようだ。

VWとともに上海汽車集団に参加する米GMは、上海GM(上海通用汽車)製モデルのブランド価値を高めるため中古車価格の維持政策を進める。「別克(ビュイヅク)誠新中吉車店」を、上海を中心に50店舗ほど展開する計画だ。昨年秋から試験的に運営してきた店舗での実績を踏まえながら、独自の中吉車保証制度の導入や価格コントロールの徹底を行う。VWも同様な中古車政策「上海グループとが(中古車分野で)協力し合う用意はない」としており、あくまで各社独自のブランド展開が前提だという。

足下をすくわれる前に戦略を  トヨタは、現地での「TOYOTA」ブランド戦略推進の一環として、グループ傘下のダイハツ車を分離する展開を始めた。86年から現地の天津汽車と提携していたダイハツの地位を、そのままトヨタが譲り受けるような形で進出し、資本投下したため、現地でのダイハツ(ターハ)ブランド展開を打ち切る。その代わりにダイハツの頭文字「D」をそのまま使う「DARIO(ダリオ)」をブランド名とする。安価な小型車をダリオ・ブランドとし、トヨタ・ブランドは10万元以上の価格帯を受け持つものと思われる。

また、北米で大成功を納め、日本でも展開が始まる「レクサス」ブランドについても中国への導入を行う方針。これによってトヨタは3ブランド構成となり、それぞれのブランドごとに特色を持たせた商品展開を行う。

トヨタがブランド展開を再構築する背景には、浙江省吉利汽車がトヨタのブランドマークに類似したものを掲げているという背景もある。6万元以下の安価な小型車で実績を伸ばしている吉利汽車は、トヨタからエンジンを購入しているが、販売の現場では「トヨタとの関係が販売促進に利用されている」(関係者)という。酷似したブランドマークの採用も「トヨタとの関係を強調するための手段」と言われている。実際、吉利商晶を購入した顧客が「トヨタと吉利の関係」について、吉利の詐欺行為を訴えたケースがある。この裁判では吉利側の主張が認められたが、吉利汽車の創業者である李書福氏の実弟・李書通氏は「日本YAMAHA」というまぎらわしいブランド表記でヤマハ発動機に訴えられた過去があり、兄弟そろっての日本ブランドヘの相乗り商法だというのが専らの評価だ。トヨタも吉利汽車を訴えているが、この裁判と並行して中国でのブランド展開の仕切り直しを進めている。それが新ブランド「ダリオ」登場の背景でもある。自動車各社に共通した認識。それは『足下をすくわれないうちに、ブランド展開の方向を計画化させる』ということだ。(野村哲男)

本記事は、アジア・マーケット・レヴュー掲載記事です。

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