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変貌する「焦らず、あわてず、あきらめず」

中国ビジネスレポート 投資環境
筧 武雄

筧 武雄

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2003年8月22日

<投資環境>

変貌する「焦らず、あわてず、あきらめず」

筧武雄

以前から、中国ビジネスに乗り出そうとする方に是非覚えておいて欲しいと私があちこちでお願いしてきた言葉がある。それは、「焦らず、慌てず、あきらめず」という、俗に「中国ビジネスの3A」と呼ばれる合言葉だ。ネーミングから「5S」を連想される方も多いと思うが、この言葉は80年代に中国に進出した日系メーカーの生産現場から生み出されたものである。最近では中国ビジネスに限らず、いろいろな国内経営セミナーなどで宣伝されている。その後90年代になって「3A」に「あてにせず、あなどらず、あやまらず、あまえず」という4句の追加があり、今では「7A」とも言われている。

(1) 「焦らず」:
中国ビジネスには多くの暗礁がある。価格や技術スペックなどの条件が合わない。先方はまったく折れる気配がない。あるいは、ようやく契約調印までこぎつけたというのにL/Cが出ない。待てど暮らせど音沙汰なし…。まるで巌流島の決闘で宮本武蔵を待ちあぐねる佐々木小次郎の心境のような話だが、ここでは焦った方の負けである。とりわけ、わが島国民族の日本人は神経質で気が短い。中国人は米国人と同様、大陸の尺度を持ち、それだけでなく三千年の歴史を持つ民族である。

「明日コンテナ船が来るというのに、なぜ貨物の梱包、積載準備もせずにヤードに放置しておくんだ!」と怒鳴る日本人社員に対して、中国の海運公司担当者がいぶかしげな顔でこう言った。「まだ水平線に船の影も見えないというのにお前(日本人)は何を焦っているんだ?もし来なかったら、今作業した全てが無駄になるじゃないか。」たしかに、船の影が見えもしないのに貨物の心配をする民族のほうが世界では珍しいのかもしれない。

(2) 「慌てず」:
中国ビジネスは死んだように停滞したかと思うと、突然急展開する。この変動が非常に激しい。もはや困難、絶望的と見られていた交渉が、先方要人の一言で急展開して、思わぬ突破口が開け、一両日中すぐに対応しなければ間に合わなくなる、などというのは日常茶飯事である。だが、ここで慌てふためいてはいけない。頭の中が混乱して、とにかくここで困難を突破し、成功を得るためには「是が非でも今やらなければならない。今を逃すと利益を失って大損してしまう」と慌てて決めた案件で実際にうまくいったためしはない。

なぜなら、実は「客を焦らせる、慌てさせる」というのが中国商人の伝統的商法だからである。これを中国では俗に「姜太公(太公望)の釣商法」という。客を慌てさせ、「俺が利益を独占した」と思わせ、実は「スペードのエース、最後のババ」を引かせる作戦である。美味しそうな釣餌を水面上にかざして、それに慌てて喰い付く大魚を一網打尽にするという極めて原始的かつ単純な釣魚法ではあるが、目先の利かない獲物には大変な効果を発揮する戦術である。

「何があっても慌てるな」と言うのはたやすいが、実際には容易でない。そのためには、現場から離れたところで大局を見渡せる立場の人物が指揮をとるという戦術が有効であり、日頃から「危機管理」の準備を周到にしておくことである。

(3) 「あきらめず」:
中国商人を猫に例える話が多い。こちらがいくら可愛がっても絶対になつこうとしない。こちらから近寄っていっても、さっとどこかに走って逃げていってしまう。しかし、こちらが無関心で暫くほうっておくと、うるさいぐらいに「猫なで声」で、今度はこちらにスリ寄ってくる。私が以前、広東省の某市百貨店で革靴を買ったときの話である。

私「この靴いくら?」
女性店員「お客さん、どこから来たの?」
「台湾だよ。ちょうど靴が欲しくてね」
「これは400元」
「少し安くしてくれよ。250元ならすぐ買うけど」
「そんな無茶な!一番安くて300元」
「290!」
「ダメ!」

ここで、仕方がないか、300元でも儲かったとポケットから財布を出したとき、素知らぬ顔付で横でほかの靴を見ていた中国人の友人が会話に割り込んできた。靴を手に取ると、一言「こりゃ180元だな」。

店員は本気で怒った。
「バカ言ってんじゃないよ!そんな値段で売ったら私はクビ、店は倒産だよ!」
しかし、中国人の友人は冷たい口調で
「180元なら買うよ。それより高いなら買わない」
と言って私の財布をポケットに押し戻すと、私の手を引いてさっさと店を出ようとしたそのとき、突然女性店員の態度が急変した。「サイズは?」と聞くと、倉庫まで商品をとりに行き、さっさと袋に入れて持ってきた。私が100元札を2枚出すと、ちゃんと20元のおつりもくれた。興奮する私を尻目に友人は平然と非常に真面目な口調で私を諭すようにこう言った。

「すぐあきらめて財布を出しちゃダメだよ」

(4) あてにせず:
「契約にはこう書きますが、実際には何とでもなりますから、問題ありませんよ」
「法律ではできないとなっていますが、できる方法はいくらでもあります」
・・・こういう言葉が中国ビジネスでは日常茶飯事。耳にタコができるほど聞かされる。まるで、彼ら中国商人は、あたかも万能の神ゼウス、奇跡を巻き起こすモーゼのような人たちである。だがよく考えてみて欲しい。そう言う本人たちは責任を負い得る立場の人物だろうか?その決裁権限を持っているのだろうか?

たとえば外国人が日本にやってきて、日本市場の商品販路に新規商品をそうやすやすと入り込むことができるだろうか?たいしたビジネス経験ももたない日本人の若者が、日本の業界流通事情に疎い外国人に対して「私の知り合いのコネを使えば大丈夫」などと吹聴したとして、その若者を雇い入れて即社長にして法人設立したところで何ができるだろうか?せいぜい紹介状の一枚ももらって「やはり日本市場は難しい」と嘯いて帰っていくだけだろう。たしかに中国はまだ法律が完璧ではなく、大国であるがために地方まで中央の権力が浸透していないかもしれない。また三権分立制度でもなく、各地方で、あるいは業界で全権を掌握した「ボス」が何とでも運用できる人治主義社会なのかもしれない。しかし、近代化とともに、そのような特定個人の利権独占、公私混同の絶対主義は影を潜めつつある。特に、特定の人物に頼り切ることは、汚職による政権失脚があれば微塵と消え去ってしまうものだ。実はこのようなリスクが中国ビジネス最大のリスクなのである。これを回避する最善策としては、リスクを分散し、偏らないこと。人材を自分で計画的に育成すること。パートナーを助けることで自分が助けて貰うという相互扶助の環に入ることである。それでも裏切られた場合、「没法子、救人一命、多活十年(しかたがない、人一人の命を助けて十年長生きできたさ)」ということを中国ビジネスの世界で言えば、「あてにせず」ということになる。

(5) あなどらず:
中国企業との技術商談中でキレてしまう日本人エンジニアは多い。潤滑油を使用せずに切削研磨したり、素手でプレス機を操る中年オバサンのうごめく工場で「おたくの会社ではミクロン単位の加工もできないのか?」などと八桁の電卓をはじきながら平然と言ってよこす中国公司が実在するからである。

また、サンプルは非常にいいものを持ってきても、発注すれば不良品を混ぜ、ひどい場合には石ころやぼろ屑を入れられるケースもある。だが、いつまでも中国ビジネスをあなどっていてはいけない。まるでイソップの「うさぎとカメ」のような話で、80年代には大陸に一本も無かった高速道路がすでに全国網として整備されつつある。都市間を結ぶ光ファイバー通信網も着実に整備されている。夢物語のように思えた上海の大橋、国際空港も見事に完成した。今では大都市にしか見られない光景であるが、いずれは各省レベルで着々と近代化建設が進むであろう。

(6) あやまらず:
最後のフレーズである「あやまらず」が、「誤らず」なのか、はたまた「謝らず」なのか?筆者は当然これは「誤らず」であると長らく理解してきたが、最近、これが実は「謝らず」のほうであるという説に出会った。最近読んだ某業界月刊誌から引用してみよう。

・・・「この中で日本人が陥りやすいのは、謝ることへの問題。日本では腰が低い、へりくだる等が美徳とされるが、中国では違う。謝ったりすれば、そこにつけこまれる。本当にみずからに非があった場合だけに謝るべきで、それは「最後の手段」と心得ておいたほうがいい」

私自身、講演会などでも「あやまらず」と言うと、多くの出席者は「謝らず」という風に受け止める人が多く、あとで「何故ですか?」などと質問されることもある。たしかに中国では「罪=罰」であり、罪を認めたらイコール罰を受けることに直結する。謝ることは即ち罪を受けることを意味する。米国人が「アイムソーリー」とはなかなか言わないというのと同じである。

しかし、日本人はこれが逆さまで、むしろ自分の非を認めることが美徳とされる。子供に対してよく「謝りなさい」と叱ることも多い。「謝れば、(罰は課さずに)許してあげる」という風に。日本人だけが世界中で違うようだ。どちらが道徳として正しいかは、それぞれの文化風土の違いであるが、これを日本人が海外とのビジネス交渉の場で混同すると、大変なトラブルに結びつきかねない。このふたつの「正反対の常識」が存在することはビジネスだけでなく、多くの対外接触の場で日本人が常に心得ておかなければならないだろう。少なくとも、中国ビジネスの世界では、謝罪することは美徳ではない。

(7) 甘えず
かつて土居健郎という東大医学部の精神医学教授が書いた「甘えの構造」という本が日本人の特性を描いたベストセラー書物になったことがあった。それほど日本人にとって「甘えず」というのは、実に奥行きの深い言葉である。私は、この言葉を「中国ビジネスでは助けることができなければ、助けてもらえることもない」という厳しい戒めの言葉として理解している。この「助ける」という言葉を「信じる」という言葉に置き換えてもかまわない。助けてあげる(相手を信じることのできる)術も知らない、進出したばかりの外国人にとっては、「ここでは誰かが自分のためにやってくれると甘えた考えはタブーである。なにごともまず自分でやるという覚悟が必要」ということになる。言い換えれば、個人的な利権や金権に頼りきったビジネスは必ず失敗するものだということである。

7Aの内容は以上のとおりであるが、21世紀に入って、「7A」、特に頭の「3A」に大きな変化が訪れている。中国ビジネスで焦りは禁物だが、従来に増して大胆さが求められてきている。無謀さは死を招くが、現場即決の判断は商機を掴むうえで必要不可欠な対応である。何事にも忍耐と慎重さは必要だが、潔く判断し臨機応変に対応する柔軟性も要求されている。

かつて合弁形態での生産活動が義務付けられ、技術水準も購買力も高くはなかった80年代においては純粋な「3A」原則が正解だったかもしれないが、21世紀に入り、中国は豊かになり、自由度が増し、多くの国内企業、外国企業が乱戦模様で、大変なスピードで動きまわっている。従来ともっとも異なるところは、そのスピードにある。そのスピードに追いついていくためには、単なる思いつきの直感ではなく、やるときは即座に実行し、引くときも潔く引く、現場経験に裏打ちされた強固なリーダーシップ(高度な危機管理能力と言っていいかもしれない)が21世紀の中国ビジネスでは7A原則にも増して求められるようになったのである。

(8月16日記・4,720字)
チャイナ・インフォメーション21
代表 筧武雄

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