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SARSと中国政治

中国ビジネスレポート 政治・政策
田中 修

田中 修

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2003年5月1日

<政治・政策>
SARSと中国政治

田中 修

情報公開の遅れ

 胡錦涛総書記が就任以来積極的に取り組んできたことの1つに、情報公開の推進・メディア報道の改革がある。たとえば、党の政治局や政治局常務委員会会議がいつ開催され、どのようなテーマが討議・研究されたのかが、公開されるようになった。

 しかし、これを帳消しにするような失態が起こった。4月3日の張文康衛生部長の記者会見である。この場で彼は、「SARS(中国語では「非典型肺炎」)は既に有効に抑制され、中国での仕事、生活、旅行は全て安全である」と大見得をきったのである。だが、これはイラクのサハフ情報相の大本営発表と同様、全く根拠のないものであった。4月2日、国務院常務会議が開かれ、温家宝総理は衛生部からSARSの防疫状況を聴取した。温家宝総理はこの報告に基づき、6日、中国疾病予防控制センターを訪問した際「中国は完全にSARSを抑制する能力を有する」としたのである。一方、胡錦涛総書記も、14日、広東省疾病予防控制センターを訪れた際「広東省は顕著な成績を挙げている」と楽観的な発言をしている。しかし、北京では、11日温家宝総理が外部から広く意見を聴取し、12日には第一線の医学専門家を訪問、13日には全国SARS防止・治療活動会議を開催し、「我々はSARS防止・治療活動の複雑性・困難性・反復性を十分認識し、決してたかをくくってはならない」とトーンを変化させている。おそらくこの頃から衛生部以外のルートで蔓延の実態が耳に入り始めたのであろう。14日には国務院常務会議で「突発衛生事件」に対する応急処理体制の確立が討論され、17日には政治局常務委員会(党最高首脳会議)が開催され、ここで各クラスの指導者幹部に対し、「正確に疫情を把握し、事実に基づき定期的に社会に公表し、報告を遅らせたり虚偽の報告をしてはならない」との指示が出されたのである。

 4月20日、突如張衛生部長と孟学農北京市長の解任が発表され、呉儀副総理が衛生部長を兼任し、王岐山海南省書記が北京市長代行に任命された。江沢民系と言われた張部長と胡錦涛系と言われた孟市長が共に失脚し、朱鎔基前総理を支えた実務派2人が後任となったのである。また、解任を免れた劉淇北京市書記も同日開催された市指導幹部大会の場で自己批判を余儀なくされた。同日、衛生部は高強筆頭副部長が記者会見を開き、全国のSARS感染者が18日現在で1807人に達していることを公表した。ここに初めてSARS感染状況の本格的な情報公開が始まったが、中国の国家的信用は大きく傷ついた。

 当初情報公開が遅れた理由として、高強衛生部副部長は、(1)突然生じた重大な災害であり、診断が比較的難しかった、(2)北京地区の市区・県、衛生部・教育部、軍・武装警察、各業界がそれぞれ管理する病院の間で有効な連絡がなされず、正確な統計ができなかった、(3)衛生部・北京市の準備が不十分であった、と釈明している。しかし、衛生部・北京市が情報を意図的に隠蔽したのではないか、との疑惑は依然根強く、王北京市長代理は4月30日の記者会見でニューヨーク・タイムズの記者にこの点を問われ、「党中央・国務院(政府)は、政治責任・原因究明問題について曖昧にはしないことを信じてほしい。SARSへの対抗闘争が勝利し、終結したとき、我々はこの問題についてきっと言及できる」と答えている。SARSの患者第1号は今のところ昨年11月に広東省で発生したとされている。また本年2月には、軍が新型コロナウイルスの可能性が高いことを認識していたとも報道されている(5月4日付朝日新聞)。とすれば、4月に至るまで事態を放置してきた当時の政府・軍指導部の責任は大変重いと言わざるをえない。対応が遅れた原因として、官僚主義・縦割り主義の弊害を指摘する声もある。これらの政治責任問題を明らかにできるかどうかが、胡錦涛新体制の情報公開への決意の試金石となろう(なお、情報公開については、70人の死亡者を出した潜水艦事故の行方も注目される)。

胡錦涛総書記・温家宝総理の動き

 SARS問題が本格化した初期においては、指導層の中でこれに積極的に取り組んでいたのは、胡錦涛総書記、温家宝総理及び朱鎔基前総理系の呉儀副総理兼衛生部長・王岐山北京市長代理であった。4月23日、温家宝総理は国務院常務会議を開催し、国務院SARS防止・治療対策本部を設置し、20億元(1元は約14円)の対策基金を準備した。本部長に就任した呉儀副総理は、30日には全国SARS対策本部会議を召集し、農村への拡散防止、交通秩序・生活秩序の維持と社会安定の維持の重要性を強調した。5月19日からはジュネーブに赴き、WHO総会SARS特別会合に臨んでいる。

 胡錦涛総書記も、広東省に続き5月1日には天津市、11―14日には四川省を視察している。これらの視察で、彼は「SARSを予防・治療することと、経済建設という中心が動揺しないことを、共にしっかり堅持しなければならない」と指示している。SARSにより、経済が急激に減速することを防ぐ決意を示したのである。

 4人の中でも最も精力的に動いているのは、温家宝総理である。彼は呉儀副総理とともに26日、北京市の防止・治療活動を視察し、北京大学では留学生と懇談した後、食堂で学生と食事を共にした。28日には雲南省を視察、29日にはタイ・バンコクで開催されたSARS対策中国―ASEAN首脳会議に出席、対策特別基金の設立(中国自身も1000万元拠出)等を提案し、中国の威信回復に努めた。また、タイ・カンボジア・シンガポール等の指導者とも個別に会談している。帰路、その足で30日に広東省を視察。5月4日「青年の日」の清華大学訪問の際には、学生に対し「毎晩眠ることができず、SARSのことを考えると涙が溢れてくる」と苦渋の胸の内を吐露した。翌5日には、北京市のSARS患者隔離用病院である小湯山病院を訪問。6日は、全国農村SARS防止・治療活動テレビ会議を開催し、あらゆる手を尽くして農村における大規模な感染発生を防ぐよう指示した。7日には、国務院常務会議を開催し、8項目の緊急経済対策を決定。10日は呉儀副総理と共に山西省を視察している。15日には、国務院「突発公共衛生事件応急条例」の貫徹実施座談会を開催し、各クラスの政府は、(1)統一的な指揮系統を確立すること、(2)滞りない情報連絡網を確立すること、(3)疾病予防・応急手当のシステムを完全に確立すること、(4)応急医療衛生の隊列を確立すること、を指示した。このように、温家宝総理のSARS対策活動は毎日休みなく続いているのである。

江沢民グループとの駆け引き

 これらの動きに対し、他の指導部構成メンバーは、むしろ傍観者・お手並み拝見的態度をとり続けていた。これに変化が生じたのは、4月下旬である。4月26日江沢民中央軍事委主席はインド国防相と上海で会見し、SARSについては「党中央・国務院は人民に高度の責任を負っている。我々はSARS予防・治療工作として一連の政策措置を既に実施しており、各地域・各部門に対しSARS対策を当面の重大任務とするよう要求している。我々は必ずSARSに勝利できるし、最後には勝利を勝ち取るだろう」と述べている。SARSを有効に予防・治療できなければ、胡錦涛体制の政治責任問題に発展する可能性を示唆したのである。それ以上に注目されるのは、この記事の扱いであり、4月27日付人民日報は、この記事を胡錦涛国家主席とブッシュ米大統領の電話会談記事よりも上位に位置付けたのである。今年の全人代で胡錦涛が国家主席に指名されて以降、党内における指導者の序列は1位胡錦涛、2位江沢民となっている(ただし軍については、1位江沢民、2位胡錦涛)。人民日報は序列には敏感であり、必ず記事の割り付けは序列に基づいて行われる。当然、紙面のトップは胡錦涛―ブッシュ会談でなければならないのだが、これが逆転したということは、江沢民が再び胡錦涛より政治的優位に立ったことを意味することになる。国務院系の経済日報は、さすがにこの扱いはおかしいと思ったのか、2つの記事を共にトップとしている。

 続いて、4月28日の解放軍報は、人民解放軍が1200名の医療関係者をSARS対策のため、北京に緊急派遣することを江沢民中央軍事委主席が批准したと報じた。この一連の江沢民の言動に歩調を合わすかのように、これまで動静がはっきりしなかった他の指導者達が一斉に発言を開始したのである。25日、呉邦国全人代常務委委員長は、全人代常務委を開催し、呉儀副総理からSARS防止・治療活動の報告を受けた。同日賈慶林全国政協主席は、政協全国委員会主席会議を招集し、党中央・国務院がSARS対策として行った指示・配置を真剣に学習するよう指示した。さらに同日李長春は中央新聞宣伝部門責任者会議を招集し、遅滞なくSARS防止・治療活動の進展を報道するよう指示した。また27日、黄菊副総理は交通運輸部門にSARS防止・治療活動を的確に行うよう指示した。同日、曽慶紅中央党学校長は、正常な教育と活動秩序を維持するよう指示を行っている。これらの党最高幹部の発言で注目されるのは、「我々は胡錦涛同志を党総書記とする党中央の『強固な』指導のもと」と、胡錦涛・温家宝の強いリーダーシップを容認していることである。このような指導者達の態度に対して、4月30日、「人民網」トップページに曹林という人物の『SARSの時期に、指導者、庶民、商人は何を貢献すべきか』と題する投稿が掲載された。ここでは「各クラス政府の指導幹部は自己の休息・個人の安否を放棄すべきであり、自身の防護措置を施したうえで、頻繁にバスに乗り、頻繁に高等教育機関の食堂で食事をとり、頻繁に市場をめぐり、頻繁に一般民衆と接触しなければならない。この時期、民衆の心理は非常にもろく敏感になっており、指導者の一挙一動がパニックの沈静化に非常に大きな効果をもたらすのだ」と指摘している。自ら第一線に赴く温家宝総理・胡錦涛総書記に比べ、安全な場所から指示のみを出していた他の指導者への批判であろう。5月に入ってからは、さすがに彼らも現場を回り始めた。例えば、曽慶紅は4月30日に北京、黄菊は5月2日に北京、14−17日は重慶、呉官正は2−7日に黒龍江省、14−19日に陜西省を、呉邦国は10−12日に内モンゴル、賈慶林は11−19日に河北省・広西チワン族自治区、羅幹は13−17日に河南省をそれぞれ視察している。

 他方、これに対して奇妙な動きも見られた。4月28日政治局会議が開催され、江沢民の「3つの代表」重要思想(党は始終、先進的生産力、先進的文化及び最も広範な人民の根本的利益を代表しなければならない)学習の新たなブームを巻き起こすための活動を研究したのである。もともと「3つの代表」は江沢民が総書記時代に提起したものであり、大規模な学習運動が繰り返し行われ、昨秋の16回党大会で党規約に盛り込まれたことによって、一応の区切りがつけられていた。胡錦涛総書記は、昨年12月以降むしろ「2つの務必」(謙虚かつ慎重な作風と刻苦奮闘の作風を保つこと)の学習を指示し、この学習運動が展開されていたのである。「3つの代表」学習運動が大々的に再開されるということは、事実上の「江沢民礼賛運動」の展開に他ならない。

 以上の動きを見ていると、4月下旬に、江沢民及び彼に近い指導部メンバー(たとえば曽慶紅・黄菊)と胡錦涛・温家宝の間で、江沢民グループはSARS対策につき、胡・温のリーダーシップを認め、全面的に協力するが、その見返りとして胡・温側はこれまで以上に江沢民を実質的最高指導者として尊重し、江沢民礼賛運動を大々的に展開することで妥協が成立したのかもしれない。国難にあっても、中国の政治力学は複雑である。

 このような複雑な権力構造を端的に表したのが、5月15日付人民日報の任仲平論文「我々の新たな長城を築けーSARSと戦う偉大な精神を論ず」であろう。この論文では、一方で「3つの代表」重要思想を指導思想とする党と人民が心を1つにすることの重要性を訴え、「中央軍事委主席江沢民の鶴の一声で」全軍1200名の医師・看護人が北京に派遣されたことを強調し、江沢民に配慮している。他方で、「我々は胡錦涛同志を総書記とする党中央が人民と心をつなぎ、揺るぎなく円熟し、複雑な局面を制御し、過酷な試練に対応する能力と気迫があることを深く感じ取った。世界に目を向け、開明開放的で、実務能力が高く、誠実に責任を負う中央指導集団は、強固な指導力とすばらしい姿を示した。民衆は党・政府を一層信頼し、一層擁護している」と胡錦涛指導部を絶賛しているのである。

 SARSを短期間に抑制できれば、胡錦涛体制は強化されよう。他方、一部報道されている農民暴動が全国に拡大するなど、政治・社会の安定化に失敗すれば、たちどころに江沢民側から責任追及を受けよう。江南・華南地方はここのところ雨が降り続き、98年の大洪水が再来するおそれもある。指導部交替期に国難が訪れるのは歴史の皮肉であるが、これらの危機をどう切り抜けるかで胡錦涛新体制の命運が決定しよう。

(03年5月20日記・5,439字)
財務省財務総合政策研究所
客員研究員田中 修

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