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物権法制定をめぐる論争

中国ビジネスレポート 法務
田中 修

田中 修

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2007年5月9日

記事概要

 2007年3月16日、全人代は「中華人民共和国物権法」を賛成2799票、反対52票、棄権37票で可決した。しかし、ここまでの経緯は非常に複雑であり、全人代常務委員会の王兆国副委員長によれば、全人代常務委の審議は6回に及んだ。このほかにも一般大衆から1万件余りの意見が寄せられ、100余りの座談会と数回の論証会が開催され、地方での専門課題調査研究も行われた。

はじめに

2007年3月16日、全人代は「中華人民共和国物権法」を賛成2799票、反対52票、棄権37票で可決した。しかし、ここまでの経緯は非常に複雑であり、全人代常務委員会の王兆国副委員長によれば、全人代常務委の審議は6回に及んだ。このほかにも一般大衆から1万件余りの意見が寄せられ、100余りの座談会と数回の論証会が開催され、地方での専門課題調査研究も行われた。

物権法の詳細な制定経緯は、南方週末2007年3月22日に紹介されており、中国における立法プロセスを解明する貴重な資料であるので、以下この内容を紹介するとともに、王兆国の説明及び経済効果について解説したい。

 

1.経緯

(1)梁-王論争

 物権法の起草作業は1993年に始まった。1994年には全人代常務委員会の立法計画に組み入れられている。

当時の立法プランは3段階戦略であり、まず契約法を先に制定し、2003年頃物権法を制定し、2010年には民法典を完成させる予定であった。社会科学院法学研究所の梁慧星研究員が物権法の起草を委託され、彼の課題グループは1993年に成立した。この年には社会主義市場経済体制が憲法の規定に組み込まれた。

梁慧星の建議稿は1999年10月に完成し、全人代法制工作委員会は第1次専門家討論会を組織した。しかし、全人代常務委員会法律委員会の委員で人民大学法学院教授の王利明は梁とは異なる意見を有しており、彼は別の課題グループを組織し、2000年末に第2の専門家建議稿を提出した。

梁によれば、「両稿の内容は実際には違いは大きくなかった」。最大の相違は、梁の建議稿は所有権を動産所有権と不動産所有権の2種類に分類しており、その基本精神は「一体として平等な保護を認める」という「一元論」であるのに対し、王の建議稿は「国家、集団、私人」に所有権を区分するという「3分法」であった。

3分法は中国の現行法の財産所有権の分類を維持しており、全人代法律工作委員会の支持を獲得した。梁グループのメンバーであった社会科学院法学研究所の孫憲忠研究員の回想によれば、梁の建議稿が討論された際、ある人物が「国家利益を強調しないで、それでも社会主義の法律なのか?」と質問した。王グループのメンバーであった人民大学法学院の楊立新も「学術的立場からすると梁の考え方に賛成であるが、3分法の方が比較的現実に符合する」と感じたという。北京大学民商法教授の尹田の回想では、「もし国家所有権を重点的に規定しなければ、全人代通過の際問題になっただろう」とする。民法典起草小グループの責任者であり、政法大学終身教授の江平も、「全人代法律工作委員会の観点からすれば、梁の一元論は根本的に通過の見込みはなかった」とする。

2001年末、全人代法律工作委員会民法室は、梁・王の2つの建議稿をベースに「徴求意見稿」を作成した。これは、体裁は梁の建議稿を主としていたが、所有権の設計は王の3分法を取り込んだものであった。また、「徴求意見稿」は、平等な保護をも強調しており、「国有財産の神聖不可侵」の規定はなかった。王に言わせれば、「個別に規定することは、決してその他の所有権の保護を排斥することではない」。しかし、梁に言わせれば、「(3つに)区別するということは、不平等な対応を意味し、まず形式的な平等が必要」であった。

(2)民法典制定の動き

一方で、2001年に中国にWTOに加盟したことから、全人代の李鵬常務委員長は第3段階である民法典制定を促した。物権法については既に「徴求意見稿」があるため、作業は他に委託するわけにはいかず、梁・王のグループはそれぞれに民法典草案を起草した。

2002年12月23日の全人代常務委員会で物権法の一編を含む民法典草案が審議された(第1回審議)。だがこの会議では、多くの委員が民法典はまだ機が熟していないと判断し、「編ごとに通過させるのが適当である」として民法典を先送りし、先に物権法を制定する当初方針に戻った。

2003年、全国政協の委員でもあった社会科学院の梁慧星は、「このような『連邦式』の民法典草案は廃止すべきである」と提案したが、彼の提案は採用されず、立法機関との齟齬が生じた。このため、梁は「今後直接には民法典・物権法の学術討論会議には参加しない」と宣言し、議論の場から退場したのである。

(3)審議の遅延

 2004年3月の全人代で「公民の合法的な私有財産は不可侵である」旨の規定が憲法に盛り込まれ、改正の基本方向が確定した。

物権法は全人代の第10次5ヵ年立法計画に組み込まれ、2005年の全人代通過を予定していた。民法典から分離された物権法は、第2回審議の前に修正が行われることになり、2004年8月、全人代法律工作委員会は10名余りの専門家を招聘し、8日間で逐条的に草案の修正が行われた。折しもこの同じ時期、香港のエコノミスト郎咸平が国有企業改革批判を開始し、新左派による第3次改革論争が開始された。

物権法草案は2004年10月、全人代常務委で審議された(第2回)。

ある学者が明らかにしたところでは、2005年は反国家分裂法の通過が最優先され、物権法は先送りされたという。

しかし、第2回審議の討論に参加した社会科学院の孫憲忠によれば、物権法審議遅延の主要原因はやはり学術準備の不足であった。彼によれば、全人代常務委員会委員が中身を分からなかっただけでなく、多くの民法学者が半分しか理解できていなかった。基礎的な常識が共通認識になっていなかったのである。

2005年6月(第3回)の審議を経て、全人代弁公庁は2005年7月10日に物権法草案を公表し、国民に意見を徴求した。この時点では民法学者には楽観論が強く、草案は2005年末の全人代常務委の審議を経て、2006年の全人代での成立が見込まれていたのである。

(4)新左派・保守派の攻撃

 しかし、草案が公開されると2005年8月、北京大学法理学教授鞏献田が党中央・全人代に「憲法に一部違反し、社会主義の基本原則に背離した物権法草案」と題する手紙を送り、指導部がこれを無視するとネットで全文を公表した。

彼の主張は、①草案には「社会主義の公共財産は神聖不可侵である」との規定がなく、「私有財産は神聖不可侵」という精神・原則をもってこれに代えようと企んでおり違憲である、②物権法は私有化プロセスを加速し、二極分化を促進する、というものであった。また、彼は貧困者の財産と富裕者の財産が平等に保護されるべきではない、としたのである[1]。これに新左派・保守派が同調し、物権法草案をめぐる大論争が発生した[2]。このため、2005年10月、予定どおり全人代常務委の審議(第4回)は行われたものの、2006年の全人代への草案提出は見送られた。

 事態を憂慮した全人代常務委の呉邦国委員長は、2006年9月26日座談会を招集し、物権法草案の修正に当たっては、①正確な政治方向を堅持する、②中国の現実に立脚する、③現実の中で切迫しており規範化が必要な問題を重点的に解決することとし、必ずしも完全を求めない、という3原則を指示した。

2005年12月7日、広州で「中国物権法の判断困難な問題に関する検討会」が開催された。人民大学の楊立新の回想によれば、「出席者の1人1人が皆緊張していた」。この会議の終了後、学者達は連名で中央に上申し、「立法機関は不必要な妨害を排除し、物権法を正常な立法の軌道に戻す」ことを要求した。

また、物権法に関する各種検討会への出席をとりやめていた社会科学院の梁慧星も、文章を通じ鞏献田と論戦を展開した[3]

政法大学の江平の印象では、違憲と言うのは、実のところ一部の人間の改革に対する不満であり、既に立法という次元を超えたものであった。2005年には、第3次改革論争はやや熱を下げつつも継続しており、ちょうどこの敏感な時期にぶつかったため、物権法は資本主義か社会主義のレッテルを貼られ、改革の成否をめぐる争議の渦中に巻き込まれたのである[4]

(5)妥協

 2006年2月、人民日報の元副編集長周瑞金は、「皇甫平」の筆名で「改革は動揺してはならない」という文章を発表し、「中国はまた1つの歴史の転換点にたどり着いた。小康社会の全面的建設のプロセスにおいて、我々は国内の矛盾が際立ち対外摩擦が多発する時期に直面しており、社会には新たに改革を否定し改革に反対する思潮が出現した。彼らは、改革のプロセスで出現したいくつかの新たな問題・新たな矛盾を、西側の新自由主義を崇拝した悪しき結果であると大げさに喧伝し、批判・否定してよいものだとしており、またもや『改革は社会主義か資本主義か』という輪廻のごとき周期的論争に直面しているようだ」と指摘した。

 この年の両会(全人代・全国政協)において、胡錦涛総書記・温家宝総理は「改革を堅持するという方向性は決して動揺してはならない」と公に表明した。これにより物権法は2006年の立法計画に組み込まれ、立法への加速過程に入ったのである。

2006年8月、全人代常務委は草案の審議(第5回)を行った。このときは、鞏献田の一件がまだ冷めやらぬ時期であり、全人代法制工作委員会副主任胡康生委員は、「わが国の基本経済制度と、国有財産・集団財産・私有財産に対し平等な保護を与えることは、1つの統一的な有機体である。前者が無ければ社会主義の性質が改変されてしまうことになり、後者がなければ市場経済の原則に違背し、却って基本経済制度に損害を与えることになる」と説明した。この審議では憲法上の基本経済制度に関わる規定が追加された。この点につき、社会科学院の梁慧星は「立法機関はこう表明せざるを得なかったのだろうが、この修正はいくらかの譲歩である」とコメントしている。

同年10月の審議(第6回)では、「憲法に基づき本法を制定する」という条文が追加された。鞏献田の一件以来、起草学者も全人代関係者もみな物権法の合憲性をとりわけ強調するようになっていたのである。

同年12月に全人代常務委(第7回)[5]は、2007年全人代への草案提出を決定した。しかし、これまでの過程で多くの規定が削除され[6]、条文の簡略化が進んだ。政法大学の江平は、「審議を1回重ねるごとに草案は簡略化されていった。物権法は規則として、詳細で運用が容易でなければならない。物権法の最終草案は先見性が明らかに不足しており、制度はタイムリーに調整しなければならない」とコメントしており、人民大学の王利明は「いくつかの議論を先送りすることも立法を進めるうえに必要なことである。しかし、2010年に民法典を完成させるという目標が実現できるかどうかは、今は予測できない」としている。

 

2.物権法の概要

 2007年3月8日、全人代常務委の王兆国副委員長は、物権法草案の説明を行った。そのポイントは以下のとおりであり、左派・保守勢力の批判に相当配慮している[7]

(1)物権法制定の必要性

 ここでは、①国有財産と集団財産の範囲、国の所有権と集団の所有権行使について明確にし、国有財産と集団財産の保護を強化することは、公有制経済を強固にし、発展させることに資す、②私有財産の範囲を明確にし、法によって私有財産を保護することは、非公有制経済の発展を奨励・支援・誘導することに資す、③広範な人民大衆の身近な利益を擁護することにより、人々に富を生み出す活力を起こさせ社会の調和を促進する、等の理由が並べられている。

(2)物権法の主な内容

A社会主義の基本経済制度の堅持

 「公有制を主体とし、多様な所有制経済が共同発展する基本経済制度を堅持する」、「国家は公有制経済を強固にして発展させ、非公有制経済の発展を奨励し、支援し、誘導する」、という基本原則を規定するとともに、草案が多くの条項を割いて国の所有権について定めていることを強調している。

B国家、集団及び個人の物権の平等な保護

 「国家、集団、個人の物権及びその他の権利者の物権は法律の保護を受け、いかなる単位と個人もこれを侵害してはならない」と平等な保護を規定している。しかし、「平等にするからといって、異なる所有制の経済の国民経済における地位や役割が同じだということにはならない」とし、「公有制経済が主体、国有経済が主導力量、非公有制経済は重要な構成部分」という憲法の原則を再確認し、「国家の安全、国民経済の命脈に関わる重要産業や重点領域では、国有経済の支配力を確保しなければならず、これらのことは経済法・行政法で定める」としている。

C国有財産

 国有財産の保護を強化しており、①国有財産の明確化、②国有財産は、いかなる単位・個人も所有権を取得できない、③国有財産を侵奪・略奪・山分け・横取り・破壊することの禁止、④国有企業の制度改正、合併・分離、関連取引の過程で、安い価格で譲渡、山分け、担保にする等の方法で国有財産の損失を招いた場合は法的責任を負わせる、⑤国有財産の管理監督機関及びその職員が職権濫用、職務怠慢によって国有財産の損失を招いた場合は法的責任を負わせる、旨の規定を定めている。

D私有財産

 「個人はその合法的な収入、家屋、生活用品、生産手段、原材料等の不動産と動産に対して所有権を有する」、「個人の合法な貯蓄、投資とその収益は法律の保護を受ける」「国は法律の定めるところにより、個人の相続権その他の合法的権益を保護する」「個人の合法財産は、法律の保護を受けるものとし、いかなる単位及び個人がこれを侵奪、略奪、破壊することを禁止する」と規定している。

E収用補償

 減少傾向にある耕地[8]を保護するため、農地の建設用地への転用を厳格に制限する規定を設けるとともに、農地の収用補償については、「集団所有地を収用するときは、土地補償費、移転補助費、土地の定着物と作物の苗の補償費等を払うとともに、土地を収用された農民の社会保障費用を十分に用意し、その生活を保障し、その合法的権益を擁護しなければならない」と規定している。また、都市における立ち退き等の収用補償については、「単位、個人の家屋その他の不動産を収用するときは、立ち退き補償を与え、被収用者の合法的権益を守らなければならない」と規定している。

 

3.物権法の経済効果

 以上見たように、新左派・保守派の反発により、物権法の私有財産保護の側面がかなり薄まり、公有経済の強固な発展・国有財産の保護の色合いが強まっている。しかしながら、物権法で私有財産の平等な保護が明確に規定され、収用の際の補償が細かく規定された意義は大きい。

孫政才農業部長は、「物権法は、土地請負経営権に明確に物権としての属性を賦与し、農民の土地請負経営権の保護を強化した」とし、現代農業が持続的、健全かつ安定的に発展する制度的基礎を保証したと高く評価する(新華社合肥電2007年3月29日)。また、中国政法大学法・経済学研究センターの徐光東も「物権法の根本的意義は、地方政府の土地収用衝動を抑制し、農民の土地に対する権利を更に整備することにある」と指摘する(中国経済時報2007年3月20日)。

また、人民銀行の易綱行長助理は4月17日、人民銀行・世界銀行共催の「物権法・中国動産融資国際検討会」において、物権法は動産担保制度の方面で、①動産担保物の範囲を拡大した、②動産担保の登記原則を明確にした、③担保物について具体的描写を要求せず、当事者が書面で約定することとなった、④受け取ることのできる預金残高を登記する機関を人民銀行の貸出信用リスク管理システムとした、⑤動産担保登記の優先権を確立した、の5点の面で重大なブレークスルーがあったとした(人民網北京2007年4月18日)。

さらに、私有財産の法的保護がこれまで明確でなかったため、多くの資産家が財産を国外に逃避させていると言われており[9]、今後これらの資金が国内に再投資されれば、国内資金の効率使用にもつながることになろう。

 胡錦涛総書記は、2007年3月24日、党中央政治局集団学習会を開催し、物権法の制定・実施に関する若干の問題を検討した[10]。この中で胡総書記は、①広範な幹部・大衆が物権の観念を牢固に樹立しなければならない、②国家の基本経済制度(公有経済を強固にし発展させることと非公有制経済の奨励・支援・誘導)を全面的に堅持しなければならない、③広範な人民大衆の権益(土地請負経営権、宅地使用権、家屋所有権等)を適切に擁護しなければならない、④関連法律制度(民商法)を速やかに整備しなければならない、とし、物権法の制定・実施の重要性・必要性を全社会に深く宣伝すること、各クラスの党委員会・政府・指導幹部は、物権法を率先し学習・実施すること、を指示した(新華社北京電2007年3月24日)。

 

おわりに

このように物権法は難産の末ようやく成立した。しかし、真の法治国家の建設のためには、法カタログの充実よりもその実行が保証されることが肝心であり、法がどの地域でも均しく確実に執行されること、更には裁判が法律専門家により公正に運営され、その判決が確実に執行されることまでが担保されることが必要である。物権法も農地や個人の家屋・不動産を収用する際には「公共の利益の必要のため、法律が規定する権限・手続きに基づき」と限定をつけているが、「公共の利益」の中身は明らかにされていない。もし、これを地方政府が恣意的に使用し、裁判所がこれに対して公正な判断を下すことができなければ、法律があっても農民・都市住民の財産権を守ることはできないのである[11]

また、市場経済を正常かつ効果的に運営するためには、物権法とともに独占禁止法(中国では「反独占法」)が制定されなければならない。これも全人代常務委で審議中であるが、独占企業には大型国有企業が多く、彼らは独占利潤を既得権益化している。その政治力を排して骨抜きにならない形で同法を成立させることは決して容易なことではない。市場化のための法制建設は任重く道は遠いのである。(2007年4月記・7,178字)


 


[1]  鞏献田は「貧乏人が犬を叩く棒と、金持ちのBMW・別荘を同列に保護してはならない」と主張した。
[2]  『争鳴』2007年4月号によれば、李鵬をはじめ、退職した高官、解放軍の退役将領、学者専門家、社会各界人士3000人余りが彼に同調したという。
[3]  2人は互いに相手を「最高の国家法学研究機関の著名民法学者」「1人の法理学教授」と呼び合い、梁は毎回発表する文章の最後に「著作権声明:一切のメディアが無料で転載することを歓迎する」と注記したという。
[4]  江平は、かつて民法総則の起草に参加した。この法律は1986年に通過したが、物権法と関連する一節「財産所有権と財産所有権に関連する財産権」があった。彼の回想によれば、当時ある人が物権の概念を提起したが、たちまち主流派の「それはブルジョワ階級のものであり、ソ連の法律にも存在しない」という声に埋没してしまった。文化大革命が終息してから、公民の民事権利を保護する民法体系の構築がようやく始まったが、以前の法思想はなお強い影響力をもっていたのである。
[5]  全人代常務委の王兆国副委員長は審議回数を6回としており、この7回目の常務委を審議としてカウントしていないものと思われる。
[6]  北京大学の尹田によれば、削除された規定には、占有による権利の推定(一部の学者から悪人を保護するものだとの批判があり削除)、善意取得(原罪を赦免するものだとの批判を懸念して削除)、抵当権、居住権、宗教法人の所有権、取得時効等がある。
[7]  筆者は民法の専門家ではないので、ここでは王兆国の説明の概要を紹介するにとどめる。
[8]  国土資源部によれば、2006年10月末の耕地面積は18.27億ムー(1億2180万ha)であり、前年比460.2万ムー(30万6800万ha)減少した。なお、第11次5ヵ年計画では2010年末まで耕地面積は18億ムー(1億2千万ha)を下回ってはならないとしている(新華社北京電2007年4月12日)。
[9]  国外への資金逃避額は、中国への直接投資額に匹敵するとも言われている。
[10]  講師には、当初から物権法起草作業に携わった、社会科学院法学研究所の梁慧星研究員、人民大学法学院の王利明教授が選ばれた。
[11]  中国政法大学法・経済学研究センターの徐光東も「土地収用案件の一方の当事者は地方政府であり、現行の裁判所管理体制の下では、裁判所はなお地方政府のコントロールから完全に独立できていない。このような状況下、どうやって物権法の訴訟可能性を保証し、裁判所の土地収用案件における独立性・権威性を保証するかは、依然解決を待たねばならない問題である」としている(2007年3月20日)。

 

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