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SARS後の中国投資の展望

中国ビジネスレポート 投資環境
筧 武雄

筧 武雄

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2003年7月29日

<投資環境>
SARS後の中国投資の展望

筧武雄

■7月5日付世界SARS制圧宣言

世界保健機関(WHO)は去る7月5日付で台湾全域に出されていた新型肺炎「重症急性呼吸器症候群」(SARS)感染地域指定解除を発表し、これで世界中からSARS感染地域に指定された国・地域はなくなった。昨年11月頃に中国広東省で流行が始まったと言われ、2月から世界に広まり、4月には中国で北京市長・衛生部長解任劇にまで展開したSARSは比較的短期間で制圧された。WHOのブルントラント事務局長は、同日「SARSの発生を封じ込め、感染を絶つことに成功した」とSARS制圧を国際記者会見で宣言した。各国・地域の患者数は中国5,327人(348人死亡)、香港1,755人(298人死亡)、台湾674人(84人死亡)、カナダ251人(38人死亡)、シンガポール206人(32人死亡)となっている。


■日本企業の中国進出はSARS後どこまで進むか

中国SARS制圧直後の7月1日・香港回帰記念日に、香港で温家宝総理を出迎えたのは50万人の民主化デモであった。SARSの直接被害と恐怖を経験した香港市民たちは、中央政府の隠蔽体質、董建華長官に対する不信感を顕にし、国家転覆罪を導入せんとする基本法改正に猛烈に反対する姿勢を示した。同様に、最後までSARSと戦い続けた台湾も少なくない進出企業が大陸から撤退したものと見られている。香港・台湾筋の情報では4月のSARS騒動発生時、初旬から下旬の20日間だけで中国全国の預金引き出し額が平常の5倍を超える530億人民元と外貨120億ドルにまで達し、5月第一週には中国各地の国際空港、港湾の国際貨物などから4億ドルの外貨、8億元の現金、3億ドルの外国債券、金塊等が不法に持ち出されようとしているのが摘発され、没収されたという。事実、国家外貨管理局は2000年1月に制定した不法外貨持出摘発奨励試行弁法(通報者に没収金の一割、10万元以下の奨励金)を急遽先月から再実施している。

では、ごく一部を除き直接のSARS被害を受けなかった日本はどうであろうか。SARS騒動が収まり始めた6月上旬に行われたジェトロのアンケートでは、中国進出について59%が「計画不変」、37.6%は「中止はしないが延期する」、0.7%は「中国の地域を変えて実施予定」であり、「中止した」は2.7%にとどまっている。アパレル、家電、電子部品、プラスチック成形、金型、サービス、化学、自動車、素材等々幅広い分野ですでに日本企業の中国進出は着実に進んでおり、今回のSARS騒動で香港・台湾企業のような直接的影響は今のところ出ていない様子である。

では、今回のSARS問題はこの短期間で終焉したと見てよいだろうか?その回答は今年の冬の動向に注目される。今年の冬から来年にかけて再びSARSが猛威を振るい、日本人にも発症者が出るような事態になれば、台湾や香港企業と同様、日本企業の中国投資にも必ずや大きな影響がでるだろう。しかし、現段階では7月に入り多くの日本人ビジネスマンは用心をしつつも現地勤務・出張を再開し、3か月の遅れを取り戻そうと中断していた進出や拡張案件に再び着手し、没頭している。

当面は日本企業にとってSARS問題は今年の冬が正念場である。しかし、長い眼で見れば、かりに再発したとしても、いずれワクチンが生産される来年以降、さほど遠くない時期に次の第5次中国投資ブームが再燃することは間違いないだろう。今回のSARS騒動は中国への一極投資集中に対する警鐘にはなったが、日本企業は教訓を真摯に受け止めながら次のステップへと進まざるを得ない、以下に述べるような宿命を背負っている。その意味でSARS騒動は一過性の事件にすぎないと言えよう。

■SARSと中国脅威論とは無関係

SARS騒動と相乗りして、いろいろなところで何度も聞かれる中国脅威論であるが、いったい中国の脅威とは具体的にどこにあるのだろうか。…中国の安い労働力を活用した良質安価な製品が日本市場に押し寄せてくる。日本のスーパーマーケットでは中国製品があふれる。日本の大手製造業が中国にこぞって生産シフトする。部品メーカーもやむなくこれに追従する。一部の中国企業が日本企業を買収する事例すらでてきた。中国は経済成長しても労務コストが上がらず、人民元相場も切りあがらない、「このままでは日本はデフレ不況から脱出できない、日本産業界は空洞化だ…」といたずらに脅威を強調する前に、現地の事情をよく確認する必要がある。

まずは野菜等の農産物。中国の農民は日本とは比べ物にならないほど貧しい。しかし肥沃な土地はふんだんにとは言えないが日本の国土の何倍という規模で広がっている。沿海部であれば日本への積出港も比較的整備されており、日本との距離も近い。日本から種を持ち込み、現地の畑を使い、現地の労働者に日本流の栽培方法を教えて、これを収穫後日本が買い取る。畑のはずれでちょっと形をそろえて包装したり箱詰めしたりするといった作業を施してから買い取る。あるいは一歩進んで、加工品として製品化する例も多い。こうしたことが日本の商社や食品メーカーの企画・指導下で活発に行われている。その内、現地の農民の元締めが周囲の農民に声をかけ、外地のもっと安いコストの労働者を雇い、自分たちは出稼ぎ農民を雇用する傍ら、株式や不動産に投資を始める。

アパレル業界もしかりである。最初は簡単な日中合弁企業を設立し、現地にミシンを持ち込んで生産を指導する。当初は現地の縫い子達が終業時刻と共に作業中の製品を放り出して帰宅してしまう。すると翌日、生地にミシン油が放射状にシミをつくる。このように当初は紆余曲折、悪戦苦闘の連続であるが、だんだんと労働者のモラルや技術が向上してくる。同時に、日本市場でも中国製品を受け入れる土壌が徐々にできてきて、販売ルールが拡大し、生産量も上がってくる。すると、儲かるなら、とそれを真似して同じ様に中国で生産し、日本に輸出するパターンが沿海部各地で多く展開されてくる。そのうち、これまで日本から輸入していた高性能ミシンが日系ミシンメーカーの現地工場進出によって中国国内でも生産され始める。それによって高性能ミシンの現地調達コストも低下する。もともと日本企業は土地の取得費や日本人の派遣駐在コストが高いので、地場企業が良いものを作って信頼関係が得られれば、そこから調達したほうがコスト面で遥かに有利である。すると、日本企業は合弁による縫製工場はやめて、地場資本の工場に対する注文、技術指導、検品を行うようになり、合弁工場と同様に良質でより安価な製品がどんどん輸出されるようになる。インターネットが発達した現在では、日本からデザインをE−MAILするだけで10日後には親会社にサンプルが到着するという。注文を出せば、きれいに包装され、「特売セール四割引」と赤札をつけた商品がダンボール箱に入れられて、納期に中国から日本の量販店売場に直接届けられる。
このように、「中国の脅威」と言われている現象は、別の見方をすれば、実は中国企業と日本企業の協業の利便性と優位性を表現した現象なのである。


■生産地としての中国から市場としての中国へ

かつて90年代前半は東北地方の港湾都市、大連が日本の生産基地として注目された。また、華南地域に進出した日系OA機器メーカーがコピーマシンをはじめとするOA機器、日用品を生産し、次々と海外に輸出していった。90年代後半にはアパレル業界がこぞって内陸部から沿海部に縫製工場を移転させた。90年代の全過程を通じて、生産基地としての中国が地位を高めていったのである。

この90年代前半には、もう一つの現象があったことが忘れられがちである。日本の大手家電メーカーは中国進出の当初、中国政府からの要請もあって、現地市場向け高級ブランド家電製品の国産化及び国内販売を手がけていた。一時、カラーテレビ、エアコン等の中国市場における日系製品の占有率が極めて高い時期があった。勿論、中国の所得水準が低い時期でもあり、生産台数には限りがあったが、米国市場や東南アジア市場でそうであったように中国でも日本製家電が市場を完全制覇するかの如く見えた。しかし、日系家電メーカーの全盛期は長くは続かず、中国製ブランドが次第に市場シェアを伸ばし、中低級品市場から日本製品を締め出していった。当時としては、市場制覇といっても規模的にさほど大きな利益でもなく、進出した日本企業は国内売りの消耗戦に見切りをつけ、日本向けや米国向けの高付加価値輸出に専念する工場が増えていった。この流れは輸入品国産化と輸出振興・外貨獲得に重点を置く中国政府の外資政策とも合致していた。つまり、家電業界について言えば、日本企業はまず市場としての中国に取り組み、次に輸出生産基地として転換することによって生存し続けたと言ってもよいだろう。

2000年を超えた頃から、中国では携帯電話が急速に普及し始めた。モトローラなど欧米大手の携帯電話メーカーは製品輸出にも力を入れていたが、この携帯電話の主要部品である液晶、小型スピーカー、コンデンサ、抵抗等々精密部品の多くは、実は中国製造の日本製が使われている。日本の電子部品メーカーは欧米大手携帯電話メーカーが華北の北京、天津、長江沿岸の上海、南京、華南の東莞と中国の広い範囲に点在することから、いずれの工場にも納品しやすい上海、蘇州をはじめとする長江沿岸都市に工場を建設した。最終製品の多くが輸出されることになっていても、これは国内販売である。特に携帯電話の部品について、携帯電話メーカー各社は中国政府から国内部品調達率(ローカル・コンテンツ)規制を課せられていた。そこで、日系部品メーカー各社は対応策として上海保税区に貿易会社を設立し、日本の工場からいったん部品を上海保税区に輸出し、ここで交易市場を通じて国内貨物に転換し、国内の欧米系携帯メーカー各社に販売すれば「国内調達部品」として認められる特例があったことから、この形態での進出を加速させた。

また、前述の大手日系家電メーカーに部品を納品するために追随進出した日本の部品メーカー各社は、当初の目的であった日系家電メーカー中国工場への中国国内販売が振るわなかったことから、自らの生存をかけて、当時急速に力をつけていた地場国産家電メーカーに部品を供給するようになっていった。売掛金回収問題等様々な困難な問題に直面しながらも、高い技術力にもとづく高品質・高精度の部品を供給することで、結果として代金回収にも成功し、中国国内販売の業績を拡大していったのである(中には失敗した例もある)。一方で、地場の国産家電メーカーは日系部品メーカーから高性能な部品の供給を受けたことでその製品実力を急速に増していった。

90年代、このようにして日系企業の中国国内製造販売は拡大してきた。しかしながら、完成品の中国国内販売は依然として代金(売掛金)回収難、販売経路の確保難、アフターサービス網の確立、国産・台湾製廉価品との熾烈な競争等々、様々な問題をいまだに抱えているのが現実である。


■中国進出日系企業の現状

中国進出企業の実態は実に様々である。大きく失敗し撤退した企業、大成功を収めて毎年多額なロイヤリティーや配当金を親会社に送金する企業、日本をはじめ世界的に大きなシェアを持つが中国での商品販売に苦戦する企業、現地のちょっとした工夫から業績を回復した企業、コピー製品を製造する現地工場と合弁した企業、台湾企業との共同で市場シェア獲得を狙う企業等々がある。総じて言えば、部品メーカーの場合、販売先は主に親会社が納品していた大手セットメーカーが一般的だが、その取引関係は日本の文化がそのまま持ち込まれているうえに、セットメーカー側も中国のコスト状況には精通しているため購買条件は非常に厳しく、取引利益率も高いとは言えない。さらに、現地に進出している台湾メーカーや一部地場メーカーといったコンペティターとの厳しいコスト競争にも勝たない限り、或いは、他社が追随できない高い技術力を持ち込まない限り、中国での生き残りは難しい状況になりつつある。もともと日本企業の場合、地場企業や台湾企業とのコスト競争面では、土地使用権の取得費が高い。これに日本人管理者を派遣することで駐在コストも高く嵩み、さらに本社への図面代、利益配当負担も上乗せとなって、到底彼らとの競争には勝ち目が見込めない、低コストオペレーションの実現を阻む大きな原因となっている。

つぎにセットメーカーの場合は、国内販売ルートの確保がもっとも重要である。すなわち、代理店の育成、アフターサービス網の確立、販売代金の回収、コピー商品対策等々様々な問題がハードルとして待ち受けている。このような困難が立ちはだかるため、現在のところは現地販売は試験程度にして情報収集と経験ノウハウの蓄積、人材育成を主眼とし、日本や米国市場への輸出で利益を確保している企業も少なくない。


■ますます重みを増す「現地化」のテーマ

この現状が、ここへ来て「現地化」が部品メーカー、セットメーカーを問わず日系各社の合言葉となっている背景である。現地化は生産コストを押さえ、現地習慣を理解したうえでの円滑な人事・労務管理、強い現地営業交渉力、中国国内販売拡大につながる。しかしその一方で、日中双方の理解不足から現地化を急ぐあまりに現地法人の運営が本社の意向と大きく乖離してしまった例も少なくない。欧米企業の多くはすでに80年代から現地化を進め、現地ノウハウを駆使して現地市場を主な市場としている。そのうえで多額のロイヤリティーや配当金を本国に送金するという成功パターンを狙っている。その一方で現地化に失敗し、損害が出資金の範囲内にあるうちに早々に撤退してしまう事例も少なくないようである。欧米系では、最近の中国IT崩壊時にも見られたように、従業員の採用や解雇がドラスチックに行われている。これに対して日系企業は生産品の多くを日本市場に輸出しており高品質が要求されることなどから、日本の工場運営の延長として労務問題を含めて、細心の注意を払って「品質を人材から造り込む」日本式管理を行っている。したがって、現地派遣の日本人数は増える一方で、現地化がなかなか進まないというのも事実だろう。苦労して中文作業マニュアルを作成するよりは、近いので出張して手作業で教えたほうが早いという判断もあろう。現地従業員のジョブ・ホッピング志向もあり、日本人管理者なくしては技術移転もままならないという実態もある。


■方向を見誤ってはならない

2002年の日中貿易輸出入総額は前年比14%増の1,016億ドルで、過去最高を記録した。うち輸出が399億ドル、輸入が617億ドル、貿易赤字が218億ドルで、輸出入いずれも過去最高を更新する一方で、日本の対中貿易赤字幅は99年レベルまで縮小した。日本にとって中国はいまや米国に次ぐ貿易パートナーになっており、中国からみれば日本は最大の貿易パートナーとなっている。その実態を整理すると次のようになろう。

第一に、日中貿易の日本経済にもたらす影響は一般的に思われているほど大きくはない。中国からの輸入総額は日本のGDPの1%強程度であり、中国への輸出額もGDPの約0.6%にすぎず、その内容を見ても、日本は高付加価値製品の輸出、中国は低付加価値製品の輸出といった双方の棲み分けができていて、補完性が強い。しかも日本から中国への委託加工貿易がかなりの部分を占めていると思われる。

第二に、日系企業の中国進出は今や「勝ち組」と「負け組」に二分化されつつある。成功した「勝ち組」日系企業は、総体的に現地との協調を深めながら共存共栄の構図になりつつある。中国全体の輸出に占める外資系企業シェアがすでに半数を超えていることを見れば、外資製造業の呼び込みは中国に多くの輸出機会と収益機会をもたらしている。日本企業が中国にシフトしていくことにより、中国の製造業のなかで資本・技術の優位性を発揮して高い収益をあげて日本に還流させていけば、日本国内でより高付加価値な新しい需要を創り出すことができ、国内の雇用機会を増大させることにもつながる。こういった中国経済発展の構造は、日本経済再生の一助にもなっており、日米中の互いの新しい経済依存関係を構築しつつある。

第三に、日本の産業空洞化が中国経済の発展によって促進されているように一部で言われているが、それは誇張されすぎで、むしろ原因の多くは日本国内にある。同様の問題は1973年の石油ショック、1985年のプラザ合意による円高など過去に何度もとりあげられてきたことであり、今回は中国進出ブームが関係しているだけであって、国内の産業構造調整をどう乗り切っていくかは、日本政府と国民が解決しなければならない日本自身の問題なのである。

今後も日中経済関係はより強まっていくであろうが、互いの経済発展を互いの国益にいかに活用するか、中国との経済関係構築・中国の生産技術とコスト面での挑戦をバネとして日本がどのような産業構造調整をおこなっていくかは、日本に課せられた問題である。この重大な局面で中国脅威論やSARS騒動に眼を奪われて方向を見誤ってはならない。日本には有能な人材、優れた生産技術と設備能力、集団的経営風土、潤沢な資金という多くのメリットがあり、これらの強みをどう有効に活用し、構造調整を阻害する規制をいかに緩和しながら、ソ連崩壊・冷戦後の21世紀世界経済の構造変化に対応できる社会システム構築に向けた取り組みを積極的に推し進めることが、我々にとってこれからもっとも重要な課題なのである。

(7月15日記・7,235字)
チャイナ・インフォメーション21
代表 筧武雄

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