こんにちわ、ゲストさん

ログイン

中国進出失敗・トラブル事例 (3)合弁会社董事会決議の意味

中国ビジネスレポート 投資環境
筧 武雄

筧 武雄

無料

2004年12月12日

<投資環境>

中国進出失敗・トラブル事例(3)

筧武雄

大学受験に失敗した学生の不合格体験談ばかりを拾い集めても決して希望大学に合格することができないように、失敗談ばかりを拾い集めても、教訓となることはあっても決して成功に直接結びつくものにはならない。しかし、その反面で、多くのセミナーや雑誌等で依頼が多く、関心の高いテーマがその「失敗談」なのである。

おそらく多くの企業経営者が、自分が今考えていること、行動していることに失敗の要因がないかどうかを確かめておきたいという不安の心理を持っていることから来るものと思われるが、もし自分に心当たりがある場合は、できるだけ早く、勇気をもって路線変更を再考されることをお勧めするものである。

(3)合弁会社董事会決議の意味

B社は3年にわたる周到な中国現地フィージビリティー調査を経て、中国沿海部の某地方都市に合弁会社を設立した。相手は地方の有力集団公司であり、傘下工場の空きスペースの提供を受けての合弁操業である。B社は日本から現金60%出資、中国側は場所と機械類を40%現物出資し、原料は中国で仕入れ、金型は現地で製作、成型組立製品を日本で引き取るというスキームであった。さほど精度要求の高くない製品の製造であり、大きな技術的困難はなかった。現地市政府からも全面的なバックアップを受け、事業は極めて順調なスタートを切った。

合弁会社の董事長は市政府幹部でもあるパートナー集団総公司の董事長(会長に相当、法定代表者)が兼任、総経理A氏(社長職に相当)は日本から派遣された。A氏は以前中国での勤務・生活経験があり、中国語も話せた。高齢ではあったが、本事業の成功には万全の自信を持っていた。副総経理B氏は、董事長の指名により、集団公司傘下工場の副工場長(中国人)が派遣された。

第一回董事会では、まず合弁会社立ち上げのための機械設備と車輌の購買調達に関する検討がなされた。特に車輌について、日本車を主張する日本側と中国製で可とする中国側の意見が大きく食い違ったが、董事長の要望を日本側が受けて中国製トラックを購入することとなった。

翌日、A氏は運転手を伴って市内の自動車販売会社を訪問した。注文してあった中国製トラックがすでに準備されていたが、現物をよく見ると、どうも調子が良くない。シャーシの銘盤がはずされ、車体番号が削り取られている。「これはイワク付きの車に違いない」とA氏はピンと来た。ふと眼を横にやると、隣には日本製トラックが並んでいる。こちらは新車であるが、価格も性能も中国製トラックの二倍である。店員に尋ねると、日本製のほうが性能ははるかに優れており、たとえ中古車で手放したとしても、中国製以上の価格がつくと言う。

運転手に意向を尋ねたところ、彼も迷わず日本車に変更してくれ、と言う。A氏は迷った。その場で電話を借りて合弁会社の副総経理B氏を呼び出し、事情を説明した。董事会決議は中国製トラックの購買であったが、総経理の現場判断で、日本車を買うことに変更したいと申し出てみた。B副総経理からは「そういう事情であれば全く問題ないはずだ」という回答があった。そこでA氏は中国車をやめて日本車を購入し、運転手に運転させて合弁会社に戻った。

翌朝その車に乗って出勤したA氏は突然、董事長に呼び出された。

董事長はA氏の顔を見るなり「董事会決議を守らずに勝手に二倍の価格もする日本車を購入するとは何事か。今後合弁会社の予算執行はすべて私と副総経理Bの同意がなければ、A氏独断では一切決めてはならない」と大声で怒鳴った。A氏は懸命の説得を試みたが、とりつく島もない。とりあえずその場はそこで退散することとした。

オフィスに戻ったA氏はB副総経理を呼び、「あのとき電話では、問題ないはずとあなたは答えたではないか。君はなぜああ答えたのか? 董事長に説明はしなかったのか?董事長は何をあんなに怒っているのだ? どのように解決すればよいと思うか?」と詰問した。しかしB氏は固く口を閉ざして何も言わずに黙っていた。B氏の考えや、詳しい事情を聞こうとしたが、何も言わないので、A氏は憤慨してそのまま社宅に帰ってしまった。

その夜、A氏の社宅のドアをノックする者がある。出てみるとB氏だった。B氏は、今日の昼間の件について話し合いたいと言う。A氏は「会社のことを君は会社で何も話さず、なぜこんな夜中に私の自宅までこっそり話し合いに来るのか?君がそういう態度だから董事長の信用もなくなるのだ。今日はもう遅いから、明日会社で正式会議を開いて董事長にも出てきてもらって一緒に話し合おう」と答えて、B氏を帰した。

翌日からB氏は合弁会社に出勤してこなくなった。理由を尋ねたところ、「総経理の信用をなくした自分に、もう副総経理は務まらない」と言っているという。元の工場の副工場長に戻ってしまった。独り取り残されたA氏の孤軍奮闘がそれから始まったが、事態は一向に改善されない。B氏の後任として派遣されてきた新しい副総経理は露骨にA氏に対する嫌がらせを開始し、日本本社にA氏退陣まで要求してくる始末であった。この事件をきっかけとして日中間の相互不信と疑心暗鬼はますます強まり、この合弁事業は翌年解消となってしまった。

このケースについて、様々な人たちに問題の所在と見解をヒアリングしてみた。そのいくつかを読者のご参考のために紹介しよう。みなさんも一緒に考えてみていただきたい。

  1. 総経理は事業の成功に対して現場での最大の責任を負っている。イワク付きの欠陥トラックを買わずに日本車を現場で選択したA氏の判断は正しく、とった行動にも落ち度はない。車がどこ製か、場所が日本か中国かは関係なく、事業の達成が最優先の重要事項である。現場ではこのような事は日常茶飯事であり、たとえ董事会決議であろうと董事長の指示であろうと、理由さえきちんとしていれば、あとから修正する方法はいくらでもある。形式や自己保身にこだわって、総経理は事業成功という本来の最大の目的、自分の責任と義務を常に見失ってはならない。A氏のような現場手の即断即決とリーダーシップを発揮できなれければ、合弁会社の総経理は勤まらない。(日本人総経理経験者)
  2. 董事会経営会議の正式な組織決定を個人の独断で覆したA氏の行動は許されるものではない。日本車は即刻返品して中国製に買い換えるか、できなければ日本車の代金を日本側が全額負担するしかなかろう。組織ルールを守らないA氏は経営執行責任者として失格である。執行者による独断行為が日常茶飯事に行われていたのでは董事会決議の存在意味がなくなり、董事会議開催のコストと時間と労力は全て無駄ということになってしまう。A氏のとった行動は経営の障害となるものであり、解任に値する。(日本人大学教授)
  3. 董事長と副総経理B氏の人間関係はそもそも良好だったのだろうか? 董事長が怒ったのは、実はA氏に対してではなく、自分に事前の相談もなく、結果として董事会と自分の面子を潰してしまったB氏に対してではなかったのか?また、そんな変な中国製トラック、どう見ても事故車が新車販売店の店頭で売られていることも不自然である。実はその欠陥トラックが合弁会社に売れれば、そのキックバックが誰か関係者のポケットに入る仕組みだったのではないか、と見るのはあまりにも「うがちすぎ」だろうか?(日本人元大手商社駐在員)
  4. A氏はいったい何様のつもりか? これは日本人の勝手な独断が日中友好事業を失敗に導くという象徴的な話である。中国のことは何でも中国人が一番良く知っている。A氏のような中国の事情を何も知らない日本人が中国に来て、独りで勝手なことをして、いったい何ができるというのか?なぜ中国人に中国式の経営を任せようとせず、日本人の考え方を押し付けようとするのか? 反省点としてB副総経理は黙っているだけでおとなしすぎた。後任者がA氏を糾弾して追い返そうとしたのは当然のことである。(日本で経営学博士課程を専攻中の中国人留学生)
  5. 以前、「外国との合弁会社の社用車は外国車にしない。秘書は若い女性にしない。」という中国共産党の風紀規律について聞いたことがある。この総公司の董事長は真面目で清廉な共産党員だったのかも知れない。合弁会社に派遣したB氏が董事会の正式決議に違反し、風紀規律も守らなかったため、董事長が事実上Bを更迭したと見るべきではないだろうか。それにしても、このような些細な行き違いはお互い日常のコミュニケーション疎通があれば普通はたいした問題にもならないことである。それがこのケースでは解散の火種となってしまったことのほうに問題がある。この話の根本にはもともと合弁双方の意思疎通の欠如、疑心暗鬼の気持ちがあったのではないだろうか。(日本人の中国ビジネスコンサルタント)
  6. A氏にとって、合弁会社は中国の集団公司から独立した自分たちだけの企業であり、このような事件を契機として、みずからの経営自主権を主張したいという気持ちがあったのではないだろうか?しかし、董事長から見れば、合弁会社は集団公司に属する一工場にすぎず、経営の決定に従わない工場長を処分するのは当然のことである。これとよく似た現象は中国に独資会社を設立して、中国人総経理に経営を任せた日本企業でもよく発生する。中国人総経理は独資会社を日本の親会社から独立した「自分の会社」として主張するのに対して、日本本社は海外子会社のひとつとしか考えない。親会社の指示に従わない子会社など、日本でも中国でも「もってのほか」の存在なのである。(独資企業の中国人総経理)
  7. 中国の地方都市、あるいは北京、上海のような大都市でも、「優れた経営幹部」となり得る現地人材を期待することには、かなり大きな困難が存在するという現状をこの例から読み取ることができよう。B副総経理のように自分の発言に責任を持たず、叱られたら突然任務放棄したり、職場では自分のホンネを明かさず、夜中に私宅でこっそり話し合おうとする姿勢は企業共同経営者としての素質に本来欠けると言わざるを得ない。中国では1960年代から80年代前半までの文化大革命の影響が強かった時期、国民は闘争や密告の日常生活に明け暮れていたため、40代後半以上の世代年齢層にはこのような言動をとる者が少なくない。A氏は派遣者交代を要請したが、交代してきた後任者はB氏に輪をかけた問題人物であった。さらにこの人物を交代させたところで、行き着く結果に大差はなかったであろう。早期の人事戦略が大切かを思い知らされる事例である。(筆者)

(次回へ続く)

(2004年12月記・4,331字)
チャイナ・インフォメーション21
代表 筧武雄
新刊「中国ビジネス<超>成功戦術252」(明日香出版)好評発売中!

ユーザー登録がお済みの方

Username or E-mail:
パスワード:
パスワードを忘れた方はコチラ

ユーザー登録がお済みでない方

有料記事閲覧および中国重要規定データベースのご利用は、ユーザー登録後にお手続きいただけます。
詳細は下の「ユーザー登録のご案内」をクリックして下さい。

ユーザー登録のご案内

最近のレポート

ページトップへ