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ログイン2004年10月19日
大学受験に失敗した学生の不合格体験談ばかりを拾い集めても決して希望大学に合格することができないように、失敗談ばかりを拾い集めても、教訓となることはあっても決して成功に直接結びつくものにはならない。しかし、その反面で、多くのセミナーや雑誌等で依頼が多く、関心の高いテーマがその「失敗談」なのである。
おそらく多くの企業経営者が、自分が今考えていること、行動していることに失敗の要因がないかどうかを確かめておきたいという不安の心理を持っていることから来るものと思われるが、もし自分に心当たりがある場合は、できるだけ早く、勇気をもって路線変更を再考されることをお勧めするものである。
(1)三度目の中国進出がなぜ失敗したか
10年前に上海工場の設立を支援させていただいた当時の総経理T氏から、今年4月に突然お手紙をいただいた。その手紙は、彼が上海に立ち上げる3社目という日系工場の開設パーティーへの案内状だった。T氏は10年前にA社工場を立ち上げ後、5年を経て初代総経理職の任を終えて帰国され、そのあと別のB社工場を立ち上げたと聞いていた。今回はその実績を買われて3社目のC社に中国工場総経理として招かれたのだという。T氏の相変わらずのご活躍振りに敬服の念を覚え、今回は出席できない代わりに丁重な祝電を返電した。
その後、半年ほどたって、今月突然T氏本人から電話があり「国慶節の休暇で日本に帰国したのでぜひ会いたい」という。懐かしさもあり、駅前の喫茶店で面会した。杏花楼の大きな月餅をお土産にいただき、T氏から聞いた話は、実は成功談ではなく、4月にオープンしたばかりのC社工場を売りに出したいので、良い買い手を紹介して貰えないかというご依頼だった。
どうしてT氏ほどのベテラン総経理が手がけたプロジェクトが、今回は半年も経ずして挫折してしまったのか、ヒアリングした事情を簡潔にまとめると以下のとおりである。
1) 日本本社が中古の加工機械を中国工場に持ち込もうとした。自家用設備として輸入許可は得られたものの、その評価を巡って中国税関でとめられてしまった。日本にある日中合弁の商品検査会社で評価証明まで作成してもらったが、現地では受け入れてもらえず、結局日本に積み戻しとなったため、工場の操業開始が予定から半年遅れてしまった。しかたなく中古機械は日本で補修し、塗装しなおして新品として再度入れ直させたおかげで、新品より高くついてしまったものもある。
2) もともとは日本客先の中国合弁工場に納品する予定のプロジェクトだったが、現地での価格見積もりが合わず、日本本社の系列から申し入れても効果はなく、予定していた注文が流れてしまい、操業後の工場稼動率が極めて悪い。
3) 日本から最新鋭の工作機械類(中古)を持ち込んだものの、場所が辺鄙な郊外地方都市で、操作できる中国人技術者が確保できない。その一方で大きな設備投資コストの償却負担を背負って苦しんでいる。
4) 日本の本社では、中国工場向け支給部材の代金が半年以上にわたって回収できず、現地注文の見込みもないため、当面は日本からの親子発注(日本生産品の一部中国シフト)で糊口をしのいでいるが、資金的には渇々でもう先は見えているという。数十億円の投資資金の回収の見込みは絶望的のようだ。
こうなってしまった最大の原因は現地の見積価格にある。地元の他メーカーは当社の三分の二の価格で見積もり、注文を受けているという。当社としては、日本からの支給部材に乗せている本社の三割の利益を削れば、同等の価格呈示も可能であるというT氏の意見に対して、「それでは本社の事業利益がなくなり、そもそも中国に進出した意味がなくなるので不可能だ」と本社は認めないという。日本から持ち込んだ最新鋭の工作機械類についても、T氏から見れば、そもそも絶対に必要なものではなく、金型だけは致し方ないが、それ以外は最近の中国製機械でも十分対応することができたという。
日本本社の技術陣が中国製を頭から信用せず、使い慣れた日本製を持ち込むことに固執し、中国製加工機械の調査を何もしなかった結果だという。このような本社の対応のおかげで中国工場はT氏の赴任する立ち上げ前の時点から、すでに多大の資金と時間を無駄にしてしまったとT氏はぼやく。本社は増資する気も、資金融資、借り入れ保証する気もまったくなく、中国現地での借り入れも不可能である。
いくら優れた品質の物を生産しても、売れなければ立ち行かない。まずは製品をどう売るかが最大の問題であり、そして売れ始めるまでのあいだをどうやって食いつなぐかが、工場を設立する際の最大の課題である。しかし、日本の本社は「中国市場はバラ色」という何の根拠もない幻想を当初から持っていた様子で、何も対策を考えていなかったようだ。現実には最初の半年に発生した多大な赤字金額が、もはや会社の命運を決めてしまったという。
T氏は当初の調査、戦略企画段階から参与せず、営業許可取得後の立ち上げ段階から起用され、しかもこんな無謀な進出計画を「丸投げ」で任せられたのではたまらないとぼやいていた。彼自身、日本人だから日本企業でまだ我慢しているが、もし中国人幹部だったらすぐに飛び出していただろうという。しかし、もう中国工場に戻るつもりもなく、すでに「総経理代行」という名刺を現地のプロパー・スタッフに与えてきたという。しかも皮肉なことに、C社の中国工場は日本から最新鋭のハイテク機械を多数持ち込んだ先進的事例として現地では高く賞賛され、工場見学の申し入れが絶えないという。
事前の調査不足、根拠のない思い入れ(片思い)にもとづく無謀な計画、存在しない自己戦略、海外事業を日本と同じようにしか考えない鈍感さ、サラリーマン的な先入観…この事例を結果論から批判することは簡単であるが、あなたの中にもC社経営者と似た傾向は存在していないだろうか。
(次回へ続く)
(2004年10月記・2,443字)
チャイナ・インフォメーション21
代表 筧武雄
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