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中国進出失敗・トラブル事例(7)空中分解した現地化

中国ビジネスレポート 投資環境
筧 武雄

筧 武雄

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2005年4月10日

<投資環境>

中国進出失敗・トラブル事例(7)

筧武雄

大学受験に失敗した学生の不合格体験談ばかりを拾い集めても決して希望大学に合格することができないように、失敗談ばかりを拾い集めても、教訓となることはあっても決して成功に直接結びつくものにはならない。しかし、その反面で、多くのセミナーや雑誌等で依頼が多く、関心の高いテーマがその「失敗談」なのである。

おそらく多くの企業経営者が、自分が今考えていること、行動していることに失敗の要因がないかどうかを確かめておきたいという不安の心理を持っていることから来るものと思われるが、もし自分に心当たりがある場合は、できるだけ早く、勇気をもって路線変更を再考されることをお勧めするものである。

(7)空中分解した現地化

1.B社の事例

中堅設備メーカーB社役員O氏は90年代の超円高時代から日本産業空洞化の流れを感じ、中国進出を考え始めていた。「日本とは別に自分の会社を中国の会社として中国で興したい」という原点を最初から持ち、最初から中国人による中国の会社を設立することを目指したのである。

その手始めに、中国の進出予定地の現地出身者で、日本の一流大学理工系修士課程卒業の中国人留学生Pを本社正社員として採用し、O氏が面倒を見ながら、戦略的に現地経営人材としての社内育成を始めた。また、Pには日本人大卒社員と同じ給与待遇を与え、給与を日本で口座振り込みとすることで、万一の転職対策にも万全を期した

北京オリンピック開催決定を機に、石炭から石油へのエネルギー転換が始まり、当社技術に対するニーズが強くなってきた。中国に進出した日系客先からの要請も強くなり、B社は1996年に現地メーカーとの合弁形態で、中国マーケット販売を目的として中国に進出した。

O氏は総経理として、Pは総経理助理として現地に赴任した。O氏自身、中国語は話せないが、優秀で忠実なPの補佐のおかげで、合弁パートナーとのコミュニケーション、社内人事管理、経営面では何の不都合もなく、O氏はパートナーから強い信頼と敬愛の念を抱かれるようになった。O氏はPに会社印まで預け、会社経営をひととおり手がけさせ、Pも文句ひとつ言わずにO氏の信頼に応え、厳しい指導と指示にしたがった。

その甲斐もあって事業は大成功し、30名で始めた合弁会社が数年で千名以上の会社となり、あちこちで「中国国内販売に成功した中国進出中小企業」例として紹介されるようになった。

21世紀に入り70歳を迎えたO氏は、経営が軌道に乗り、受注も好調なことから、「最後の仕上げ」とばかりPに総経理の座を譲って帰国する決心を固めた。彼の眼から見て、Pは理想的な経営者に育っていた。合弁パートナー、董事長との関係も良好である。日本人駐在はいなくなるが、O氏は心中に一抹の不安もなく帰国した。

帰国してから半年後、O氏は日本本社の役員を降りることになった。同時に合弁会社董事職を正式に退任する董事会に出席するため、O氏は中国に渡った。

無事、董事会を終えて会社から空港に向かう帰路の車中で、創業当時から雇用している旧知の運転手Tから、O氏は意外な話を聞くことになる。

 「Pの評判が最近、社内で地に落ちている」
 「社内ルールをPだけが勝手に犯し、喫煙や無断欠勤など職場のルールを平気で破っている」
 「親戚縁者、親しい仲間で自分の周囲を固め始めている」
 「それに対抗して他の創立時期からの古いメンバーたちも社内派閥を作って社外アルバイトなど勝手なことを始め、若いスタッフたちは転職したいという者が続出している」
 「もう誰もPを総経理と呼ぶ者はいない」
 「自分も転職したい」云々
O氏はショックを受けた。

運転手Tの話のとおり、設計と営業部門から優秀な若手が四名、O氏の退任直後に突然退社した。日本語のできる技術スタッフで、O氏自身が手塩にかけて育ててきただけに痛手は大きかった。

続いて、創立メンバーであり、合弁パートナーから派遣されて来ていた製造部長による図面の社外持ち出し、某客先とのコピー製品製造販売活動が露見した。配置転換したところ、出勤を拒否し、合弁会社から離れていった。

やがて日本本社営業部から強烈なクレームが出た。中国内の日系取引先との大口契約で納期が大幅に遅れたうえ、本社が指示した内容と異なる結果が現場で出てしまったためだ。取引先は損害賠償も辞さないと言う。原因はPが日本からの図面、指示を正しく理解せず、また現地できちんと作業指示しなかったことにあると本社営業部は主張する。

O氏自信満々の帰国後、国内市場における受注は好調なまま、合弁会社の経営は事実上わずか半年で空中分解し始めた。

2.Pが変節した理由

O氏の信任に応えていた有能な中国人の若者Pが、O氏の後任として総経理に就任した途端、ルールを破り始め、仕事に対する責任も放棄してしまった原因は何だろうか?

Pがもともと従順な仮面をかぶった面従腹背の悪人であった、と片付けてしまうことは簡単だが、少なくとも本件において事情はそれほど単純なものではない。

まず、当社はそもそも日中合弁形態である。初代総経理O氏は日本人で日本企業役員の日方代表であった。ところが、その後任となったPは日方代表であるにもかかわらず中国人であり、日本企業の役員でもない一社員にすぎない。中方パートナーから見れば、いくら親しいからとは言え、「日方代表」としての合弁バランスに大きく欠けた人事と見える。

さらに、合弁10年目で、しかも事業は好調で安定軌道に乗ったにもかかわらず、日方は現地経営権を持つ総経理を中方パートナーに委譲して現地化せず、日方に勤務する中国人の若者を総経理職の後釜に据えてきた。これは当然、彼らから見れば素直に首肯できる人事ではない。むしろ中方パートナーの面子をつぶす人事と受け取られても仕方がない。

つぎに、合弁会社創立期に同期入社した中国人幹部たち(なかには中方パートナーから派遣されてきた部長クラスもいる)から見れば、今まではリーダーシップのある初代総経理O氏のもとに結束して、待遇への不満、きつい仕事などいろいろ我慢しながら頑張ってきた経緯がある。しかし、O氏のいなくなった今、昨日まで同期入社で年下最年少の若者Pが、なぜ突然総経理として今日から自分たちの上司になるのか? これも決しておもしろい話ではない。こんな報われない人事なら、これからは会社の利益=Pの利益のために苦労するよりも、自分自身の利益を優先させたほうが得策と考えるようになってしまうのも決して不自然なことではない。

P自身にしたところで、中方パートナー、従業員が従ってくれない環境の中で、もはやO氏はおらず、日本本社に知り合いもいない。仕事のことや経営の悩み相談する相手もなく、身近に指示を出してくれる人もなく、会社に出勤する意欲も失われてしまった。現実に、PはO氏の帰国後、毎日のように国際電話をかけてきてO氏の指導、指示を仰いでいた。しかし、それも結局は続かず、自分の周囲を親族や友人で固めようともしたが、周囲の反発や離反を受け、ついには自滅してしまったのである。

3.今後の対処

この事例において、受注はあいかわらず非常に好調であり、事業そのものは順調である。問題は経営現地化の失敗にある。人材的、時期的には良かったかもしれないが、戦略的には完全な失敗と言えよう。O氏ほどの人物が、なぜ大局を読めなかったのか、「追う鹿ばかりに夢中になり、木を見て森を見ない」典型例である。あるいは、O氏自身、スタッフの自分に対する気持ちを、社員の会社に対する愛社精神と見間違えていたのかもしれない。そもそも日本と異なり終身雇用形態の存在しない中国企業において、社員たちに日本企業社員のような組織性、サラリーマン精神、敬業愛社精神を単純に求めることにはもともと無理がある。また、Pのように日本人総経理に従順なことが、そのまま中国での経営者として適格な資質とも限らない。

もっとも簡単な解決法はO氏自身が現地に復帰することである。あるいは現地復帰は無理としても、日本本社役員から降りたあとも監査役、あるいは顧問などとして引き続き本社に留任し、現地の良き理解者、指導者として年間183日を超えない範囲でも現地指導にあたるべきだろう。現実には、筆者のこのアドバイスに沿ってB社はO氏を復帰させ、一度崩れかけた経営も今ではなんとか持ち直している。しかし、いつまでもこのような状況は続かない。

根本的な解決は、やはり日中合弁事業なのだから、特に経営者交替に際しては双方でよく事前協議することが肝要である。中国パートナーから優れた経営幹部を迎え入れるためには、B社側も経営者が本腰を入れて、中方と相応の共同経営体制を組む姿勢を見せる必要がある。10年の時間があったのなら、中方パートナーから派遣されてくる幹部を後任として育成するチャンスも十分あったはずではないかとも思われる。

(次回へ続く)

(2005年4月記・3,345字)
チャイナ・インフォメーション21
代表 筧武雄
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