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中国人社員の目に映った日本、日本人、日本企業(15)

中国ビジネスレポート 労務・人材
田中 則明

田中 則明

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2005年4月9日

<労務・人材>

中国人社員の目に映った日本、日本人、日本企業(15)

田中則明

  少し時間が空いてしまいましたが、4人の日系独資企業に勤める中国人の感想文を読んで、みなさんは、どのような感想をお持ちになったでしょうか?

 4人が4人とも、日本人、日本社会、日本文化を肯定的に評価していることから、「うん、なかなかいい線行っているぞ。短い滞在期間にもかかわらず、日本のことがここまで理解できるとなると、これからが楽しみだな。こうやって、中国人社員たちを交代で日本に来させて研修を受けさせれば、日本のやり方や、日本人のものの考え方等が理解でき、日系の会社になじんでくれ、ひいては戦力となって定着してくれるのではないか…」などといった期待に胸を膨らませられた方(特に経営者の方々)も多いのではないかと推察します。

 確かに、4人とも、まるで他の3人の文章をそのまま写して来たかのごとく、日本のやり方を賛美しています。日本に対する悪しき印象は、そこには語られていません。
 
 しかし、考えてみれば、観察の対象が、同じ(日本)であり、観察をした人間が、中国の漢民族出身者で同じ地域(北京)に育ち、同じような教育を受けて来たことからすれば、妥当なことかもしれません。さらに、4人とも英語はできるが日本語はあまりできないという点も共通であったことよりすれば、それは取り立てて不思議な現象とは言えないはずです。いや、むしろ、私が最も気に入っているオーストラリアの学者による「異文化」の定義によれば、それは、当然過ぎる位当然のことです。

 「世界の異なった地域で暮らす。異なった集団の人びとは非常に異なったやり方で、彼らの個人的なまた組織に根ざした活動を行っている。それぞれの集団にとって、文化とは彼らのやり方の総合であり、それらのやり方に影響を与える事柄がすなわち文化である。そして、その文化が蓄積され、文化世界となる。社会が異なれば、そのやり方も異なる。物事がなされるやり方の差異は、社会の広い範囲での別の差異を反映している。それは、例えば、歴史、地理的な位置、政治社会経済組織、言語、哲学、信念、宗教、習慣的な行為、礼儀作法そして倫理における差異などである。」(『異文化理解のコミュニケーション』ハリー・アーウィン著、柳井道夫訳、ブレーン出版、p.15)
 まさに、観察者は、一つの文化圏に属するものであり、被観察者(日本、日本人)は、それとは異なる別の一つの文化圏に属するものであることが、実証された、いわば典型的なケースと言うべきでしょう。その証拠に、4方の感想は極めてステレオタイプです。いずれも同じような目線で、同じような驚きを持って、同じような切り口で、同じような言い回しで、同じような順番で、………語っています。

 私が、彼らの「日本見聞録」を読んで感じたことは、次のようなことです。

  1. ああ、ここにも、異文化理解の長い長い道のりの第一歩を踏み出した人間がいる。
  2. この4方は、最も理想的な形で日本という異文化に触れることができたんだな。良かったな。
  3. 異文化理解の道のりは、果てしなく続く険しい山道のようなものだが、日本と中国に限って見ると、両国民の間に立ちはだかる障壁は、それ程高いものではないゆえ、必ず乗り越えられるんだ、という確信。
 まず、1.ですが、私は、我々日本人は4人の方が日本文化に触れて感じたものは、彼らの「第一印象」に過ぎないという風に捉えておくべきだと思います。中国人が日本文化に触れた場合に心に抱くであろう「第一印象」に過ぎないと考えたほうが良いでしょう。それも、かなり一般的なものと考えておくべきだと思います。4方の文章には、自分の物の感じ方、見方が、かなり自信を持って表わされていますが、それとは裏腹に、我々は、そこに表出されたものを、中国人が異文化である日本文化に最初に触れた時に抱く一般的な印象に過ぎないと捉えておくべきだと思うのです。

 なぜ、そのようなことにあえてこだわるかと言うと、人は、とかく「第一印象」を深く検証もせずに、自分の異文化に対する確信的理解としてしまいがちだからです。私自身そうでした。自分が、身を以って体験したことですから、この世の中にこれ以上確かなことはないと信じて疑わず、それが、自分の中に確信として根付いてしまい、その後のものの見方をかなりの程度規定してしまったのです。人は、異文化に最初に接触した時のショックや新鮮さが余りにも大きいせいか、とかく、「第一印象」を過大評価しがちです。

 この四人の方も、恐らく、今でも「日本」と聞いただけで、先にご紹介したような日本に対する当初の印象が浮かんで来るに違いありません。その意味において、「第一印象」は大変重要な意味を有しています。それは、異文化理解の「出発点」だからです。しかし、これは、あくまでも出発点に過ぎません。過大評価は禁物です。異文化理解というのは、まさにこの「出発点」=「第一印象」が正しかったかどうかを検証して行く過程、長い長い道のりなのです。

 今頃、この4名の中国人は、日本という異文化の更なる理解の道のりをテクテクと歩いているに違いありません。

(2005年4月記・2,162字)
心弦社代表 田中則明

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