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ログイン2007年3月25日
さて、2冊目は、「マオ(上)・(下)」(ユン・チアン、ジョン・ホリディ著、土屋京子訳、講談社)です。
さて、2冊目は、「マオ(上)・(下)」(ユン・チアン、ジョン・ホリディ著、土屋京子訳、講談社)です。
最近ある日本企業の経営者とこういう会話をしました。
私 :「マオ」は、読まれましたか?
経営者:はい、今、(上)を読みかけています。
私 :そうですか。すごい内容でしょう?
でも、中国を知る上では、是非読んでおかれた方が良いですよ。
(下)でも、まるで大地を覆い尽くす激流のような展開が待って
いますよ。
経営者:実は・・・・、先に進めなくなってしまったんです。何しろ、余りに
内容が強烈ですので。耐えられなくなって、積読(つんどく)のままです。
私 :そうですか?それは無理からぬ話だとお察しします。私も、一気に、それこそ2日~3日で読み切りましたが、心の奥に鉛を押し込まれたような、何かずっしりと重いものを感じましたよ。
でも、日本人として、中国という国に係り、中国人と付き合って行くためには、この本は是非とも読み切る必要がありますよ。
御社の中国関連ビジネスを成功に導くためにも、是非、読み切ってくださいよ。日本企業の会社幹部としての重大責務の一つ位に考えて、
真剣に取り組んでくださいよ。
経営者:分かりました。
会話は、ここで終ってしまいましたが、果たして、この経営者の方は、再び
(上)巻を開けられたのでしょうか?
本書の著者の一人、ユン・チアンは、1952年生まれで、現在イギリス在住で、「マオ」の前に、これも世界的にベストセラーとなった「ワイルド・スワン」を著しています。
彼女は、日本の団塊世代に属する私よりも、約3年年下ということになります。ということは、もし二人とも日本で生まれていたとしたら、こちらが小学校6年生の時、彼女は小学校3年生、こちらが高校3年生の時、彼女は中学3年生、こちらが大学4年生の時、彼女は大学1年生、それで、大学のクラブ活動か何かで知り合い、その後恋愛・・・・・・などということもあり得た、そういう年齢差にあります。
ところが、実際には、私は日本に生まれ、小学校、中学校、高校、大学と特に生活に不自由することもなく、いや、それどころか、日に日に生活が便利で快適になって行くのが当たり前とこの世を極めて楽観的に眺めたくなるような、そんな環境下で幼少・青春時代を過ごし、一方、彼女は、紅衛兵となり、農村へも下放され、はだしの医者、電気工・・・・・になりと、日本列島に住む若者には、想像を絶する、まさに天と地ほども隔たった人生を余儀なくされて来たのです。
本書が世に生み出された細かい経緯は知りませんが、私は、本書に、著者の強烈な一つの思い、「恨み」を感じます。「恨み」があったからこそ、このような本を書くことを構想し、実行に移したのではないかと感じるのです。その「恨み」とは、何に対する恨みか? それは、自分の青春時代を奪った元凶に対する恨みです。そして、それは、その世代の者に共通する「恨み」を代表しており、また、中国で知識人の家庭に生まれた者に共通する「恨み」をも代表していると見ます。
然しながら、その「恨み」を、彼女は「恨み」の形で直截的に表現するのではなく、できるだけ、実証的に、出来るだけ多くの歴史的現場に居合わせた人々の証言を聞き、それを基に、「何が本当の姿であったのか?」を再構成するという形で自己表現をしているのです。
このやり方は、まさに宮刑に処せられるも、全国各地をくまなく歩き「史記」を著した司馬遷を髣髴とさせるものがあります。いや、まさに、本書の著者は、自分の心の内で、次のような疑問を抱きつつ、司馬遷と繰り返し繰り返し対話をしていたに違いありません。
「もし、私が彼に成り代わっていたとしたら、やはり同じことをしただろうか?」
「あの時、本当に、こうせざるを得なかっただろうか?」
「もっと我々に別の生き方はできなかったのだろうか?」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「中国民族の境遇とは、このようなものだったのか?」等等。
私が本書を必読の書に取り上げる理由は、著者の意図が上記のようなものだったことによるものではありません。私が本書を必読の書とする理由は、この書には、「中国民族の境遇」が描かれているからです。傑出した歴史的人物の身の回りの世話をした人間が、「世間ではヒーローなどと言われているが、まじかで見てみると欠陥だらけの人間だった」などという類の読み物とは全く別物です。アレキサンダー大王、始皇帝、ナポレオン等等の歴史的人物は皆、多かれ少なかれ、そのようにも描かれていますし、それはそれとして人間を知る上では面白いと思うのですが、本書の価値は、それとは別物です。
本書には、毛沢東という一個人に集約された民族全体の境遇、毛沢東という一つの磁場に引き付けられた無数の人々の境遇も赤裸々に描かれています。恐らく、これからも多くの毛沢東伝が書かれるでしょうが、本書は、そういう中にあっても、恐らく末永く「毛沢東と中華人民共和国誕生の物語」としての存在感を持ち続けに違いありません。
しかしながら、我々が注意しなければならないのは、「マオ」は、「ワイルド・スワン」とは、全く別物だということです。「ワイルド・スワン」の主人公は、ある無名の中国人、中国人夫婦、中国人家族の個人史を描いたものですが、「マオ」は、個人の歴史のみを記述したものではありません。個人の歴史であれば、歴史的事実と多少の食い違いはあっても許されるでしょうが、民族、国家の興亡史においては、間違いでしたと言って済むものではありません。
事実、歴史を厳正に見つめる人々からは、本書の記述に対して厳しい指摘、批判、糾弾がなされています。歴史を真面目に研究する者の立場から見れば、歴史的事件を歪曲したり、恣意的に解釈したりすることは言語道断にして、決して許されないでしょうから、当然過ぎる位当然と言えます。
私は、この点に関して、つまり、本書のどの部分が問題かということに関して何らの指摘をするような資格は有しておらず、せいぜい、専門家の立場から、大いに議論をして欲しい、徹底的に議論をして欲しいと述べる他ありません。
ですが、そういう問題が残されているとは言え、それでも本書の通読を強くお勧めします。なぜなら、今のところ、これ程生々しく中国民族の近・現代史における境遇を描き出したものは、他に見当たらないからです。 以上
(2007年3月記 2,627字)
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