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投資過熱のメカニズムと対策

中国ビジネスレポート マクロ経済
田中 修

田中 修

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2004年6月29日

はじめに

これまで、中国経済の投資過熱状況については詳細に論じてきたが、今回はなぜ中国において投資過熱が繰り返されるのかについて原因を考察するとともに、これに対する中央の対策及び最近の経済動向について解説することとしたい。

1.投資過熱の要因

 全社会固定資産投資の伸びは2003年が対前年比26.7%増、2004年1−3月は対前年同期比43.0%増と急拡大を続けた。これは地方政府主導により不動産開発・鉄鋼・自動車・アルミ・セメント・繊維といった業種において投資過熱が発生したためである。

 中国経済において周期的に投資が過大になる原因については、次の点が指摘できよう。

A 計画経済の遺制(予算制約のソフト化)
 もともと計画経済においては、投資が過大になる傾向が指摘されている。いわゆる「予算制約のソフト化」であり、企業は投資行動の結果、より一般的には企業経営活動の結果生じた財政状態に応じて、国家から補助金、新規信用供与、免税など諸種の援助を受け、財務状態の悪化が阻止あるいは改善されるために事実上投資に対する制約が欠如することが指摘されている。この点につき、西村可明(注)は、計画経済の類型別に、「予算制約のソフト化」が生じる事情を次のように説明している。
(注)西村可明「社会主義経済理論の諸問題」(野々村一雄編『社会主義経済論』有斐閣1986年)

a.ソ連
 国家管理意思が企業経営を支配し、企業経営の基本問題について国家が意思決定権を保持する以上、その結果生じた企業財務状態について国家が責任を負担することは避けられない。

b.ハンガリー
 国家機関が「期待」を表明し、国家意思を企業に押し付けるために、企業における意思決定が事実上国家と企業の混合決定になり、国家は企業の意思決定を分担しているから、その結果についての責任も分担しなければならない。

c.ユーゴスラヴィア(1960年代半ば〜1970年代初め)及びオイル・ショック後のハンガリー
 ユーゴでは、経済運営の非国家化が推進された状況のもとでも、社会の側からの赤字企業の救済が中央銀行などを通じて行われており、ハンガリーにおいても、オイル・ショック後の経済情勢悪化の際に、広範な企業の赤字への転落が予想されたが、政治指導部は安定化政策を優先し、市場条件の変化に対する企業の適応努力を十分に経ないまま、企業を救済した。

 社会主義のもとでの「社会的所有」にもとづく計画化システムは、そもそも資本主義市場の「無政府的生産」を廃止して、経済生活を安定化させることを、最重要目標の1つとしている以上、その社会セクターの内部で企業倒産が続出し、生産物供給の途切れや大量の失業が発生するようでは、そのようなシステムを維持しておくことの意義が半減することになる。そのような事態になって共産党政権の社会的基盤自体が崩壊の危機に瀕することへの危惧こそが、企業経営に対する政治指導部の敏感な反応をもたらす主要因だと考えられる。
 そして西村は「予算制約のソフト化」以外に投資が過大になる要因として、社会主義のもとでは、個人の私有財産の喪失が経営責任負担の形態とならないという点を指摘している。即ち、社会主義においては資本主義の場合と異なり、仮に企業が破産しても誰一人として自己の個人財産を失う者がいないし、また完全雇用原則のもとで能力に応じた再就職が可能である。このような事情が投資動機の抑制要因というよりも促進要因として作用する。

 このような旧ソ連・東欧の過大投資の説明は現代中国にどの程度あてはまるのであろうか。
 まず、ソ連式の国家管理意思が企業経営権を支配するがゆえに、その結果生じた企業財務状態について国家が責任を負担するという論理は、中国においても国有企業の「歴史的負担問題」として存在している。即ち、90年代後半に発生した国有企業の経営難の原因としては、以下の政策的要因が指摘されていたのである。

a.古くからの国有企業は、非国有企業にはない社会保障や地方公共団体が本来負うべきコスト(学校・病院等)を負担させられてきた。現在でも、国有企業が自分で経営する小中学校は1.1万校余りあり、病院は6100に及ぶ。また国有企業が都市建設費・教育付加費として納める額は500億元に及び、同時に経営する社会的事業に456億元を支出しているのである。
b.国有企業が生産を担ってきた石炭・石油など基礎原材料価格が相対的に低く据え置かれ赤字が発生した。
c.94年までは他の所有形態と比べ利益調整のための特別な税が課される等税金が高かった。
d.財政支出による企業への資金供給が全て国有商業銀行からの借入れに切り替えられたため、高金利の中で過重な債務負担が発生した。

 このため、98年に発足した朱鎔基内閣は、まず大多数の国有大中型企業を3年以内に苦境から脱出させることを最大の公約として掲げることとなった。これは典型的なソ連型の「予算制約のソフト化」といえるであろう。この国有企業の歴史的負担は、東北地方の旧工業基地振興においては、依然残る問題である。

 次にハンガリー型の国家機関が「期待」を表明し、国家意思を企業に押し付けるために、その結果についても責任分担しなければならない、という点はどうであろうか。
 中国では、現在でも5ヵ年計画により、党・国家の強い意思が表明される。これに基づき、地方においても5ヵ年計画が策定される。地方政府と国有企業の関係については、「政企分離」が叫ばれて久しいが、現在進行している投資過熱は地方政府主導であることが指摘されており、地方政府の地元国有企業・金融機関に対する影響力は衰えていないものと考えられる。また、依然として国有企業に対する党の支配強化が強調され、党が国有企業の重要政策決定に参与することが奨励されており、党組織を通じて国家意思が企業に押し付けられていると見ることもできよう。

 87年に開催された13回党大会では党政分離・党企分離が提唱された。「企業における党組織の役割は保証と監督であって、その企業体に対する『一元化』指導を2度と行ってはならず、工場長や経理に全面的な指導の責任を負わせるべきである」とされ、同時に「政府各部門の今ある党グループは、それぞれの成立を承認した党委員会に責任を負っているが、このことは政府の活動の統一と能率向上に不利なので、次第にこれを廃止する」とされていたのである。もし、この党政分離・党企分離が実現していれば、国有企業の意思決定自由度は高まったであろうが、89年に発生した天安門事件以後の厳しい政治不安のなかで、各機関の党組織の権限を再び強化する方針が通知され、この次点で党政分離や党企分離の試みは実質的に挫折したのである。

 その後、 小平の「南巡講話」を契機に改革・開放路線の推進が再確認され、国有企業についても改革機運が高まった。最初の大きな節目は97年の第15回党大会であったが、これに先立つ全人代開催中の3月10日、党中央が1月24日に発出した「国有企業の党建設の一層の強化と改善に関する通達」の全文が突然公表された。通達の力点は「国有企業に対する党の政治的指導を堅持し、国有企業の政治的核心としての党組織の機能を十分に発揮させる」ことに置かれた。社長(総経理)・取締役会(董事会)は「重要問題の決定に先立って、党委の意見を聴取し、尊重すべきであり、重要な意思決定の執行状況は党委に通報しなければならない」とされ、企業の人事管理も党が掌握することとされた。このため、97年の党大会で党企分離が議論されることはなかった。

 次に国有企業改革が集中討議されたのは99年の党15期4中全会であり、これに先駆けて国務院発展研究センターの呉敬レンを中心とした課題グループは15の提案を行った。この中には国有企業における党委の役割の限定化も含まれていたのである。しかし、これは江沢民指導部の採用するところとはならず、4中全会決定では国有企業への党指導の強化、取締役会会長(董事長)と党委書記の兼務(他方、会長と社長は分離)が盛り込まれることとなった。その後党は一貫して党組織の強化を強調しており、国有企業のみならず、私営企業における党組織建設をも重視するようになっている。

 このように、政企分離が既定路線となっているのに対し、党政分離・党企分離は一向に進んでいないどころか、逆に強化される傾向にある。特に江沢民総書記は、99年以降、「三講」運動、「3つの代表」学習運動といった政治思想運動を繰り返し提唱し、中央・地方政府のみならず国有企業幹部にも学習を強要した。このような企業への党支配強化は、結果的に国有企業幹部が中央・地方の党幹部の顔色を窺う傾向を助長し、政企分離を有名無実化したものと思われる。

 次にユーゴ型の「予算制約のソフト化」はどうであろうか。企業倒産・失業大量発生に伴う共産党の政権基盤の弱体化は、中国共産党も恐れるところである。事実、中国においては破産法制が未整備であるのみならず、国有中小企業はともかく、大中型企業の破産には制限がかかっている。例えば、2002年9月12日に開催された全国再就職工作会議を受け、労働・社会保障部は、「党中央・国務院の一時帰休・失業者の再就職工作を更にしっかり行うことに関する通知」を発出しているが、その狙いは、国有企業の大規模集中リストラを防ぎ、失業圧力を軽減することにあった。具体的には、
a.政策的に企業を閉鎖・破産させる場合には、労働者の処遇案について従業員代表大会の討論を経て、当該地の政府関係機関の審査・批准を得ること。労働者の処遇案・社会保障の手段が不明確で、資金不足の場合には閉鎖・破産手続に移行させない。
b.正常に生産・経営を行っている企業がリストラを行う場合には、人員削減案を従業員代表大会の討論にかけ、法律に基づき経済補償金の支払い・労働者への債務の解決を行わなければ、リストラさせない。
c.国有大型企業の1回の人員削減が一定数・比率を超過する場合には、事前に当該地の人民政府に報告すること。
 このように、企業破産にできるだけ制限をかけ、失業の増加を防ぐ方針が明らかにされているのである。

 その後も鄭斯林労働・社会保障部長は2003年12月27日、人民日報のインタビューに答え、「(2004年の失業率を4.7%に抑える)目標を達成するためには積極的に就業を促進するだけでなく、一連の措置によって失業状況を減少・調整し、失業が時期的・地域的に過度に集中することを避け、就業の局面安定を維持しなければならない」と強調している。具体的には、国有企業を閉鎖・破産させるときには統一的に企画し、施策の力の入れ具合をしっかり把握することが必要だとする。また、再就職支援センターからの出所が過度に集中することによる失業率の急激な上昇を防ぎ、国有企業の主たる業務と従たる業務の分離に当たっては、「企業が余剰人員を可能な限り従たる業務を営む企業に再配置するよう指導し、彼らを大量に社会に直接押し出してしまうことは避けなければならない」とする。
 また、2004年3月9日の記者会見で、張小建労働・社会保障部副部長は企業破産問題について次のように回答している。

 「我々は、破産の方案について、まず従業員代表大会の討議を経て通過したのちでなければ実施できない、と言っている。また破産方案の内容についても、次の2つの条件が具備していなければ破産手続を正式に開始してはならない、としている。
a.労働者の再配置を必ず行うこと。
b.労働者への未払い賃金及び彼らの社会保険に係る資金の支払いの実施。

 同時に、我々は各クラスの政府とくに労働保障部門に対し、再就職優遇政策を運用することにより、炭坑労働者の転職・転業を支援するよう要求している」

 このように、企業が破産することには大きな制約があり、現在2500余りの資源が枯渇した鉱山・国有大中型赤字企業が閉鎖・破産の順番を待っている。その従業員は510万人にも及ぶのである。これが事実上「予算制約のソフト化」をもたらしていると考えることができよう。
 最後に、破産しても個人財産に影響が及ばない、再就職が可能、という点については、まず前述のとおり、国有大中型企業ではそもそも破産が容易ではないこと、破産する場合には労働者の再配置が必要であること、からすればある程度頷ける。しかし他方で中国では一時帰休がかなり行われていることからすれば、一般労働者の地位は必ずしも安定していない。他方、国有企業が破産する場合、それが何らかの犯罪を構成しない限り経営者の個人財産に影響がないことは確かであろう。むしろ、リストラ・破産のどさくさを利用した経営者による国有資産の持ち出しが問題になっているのである。

 以上からすると、計画経済における過大投資のメカニズムが中国ではまだ機能している可能性が大きい。とくに、地方では地方政府・国有企業・金融機関の癒着が強く、かなり指令性経済の遺制が残っていると考えられる。

B 5年サイクル
 中国では、末尾に3ないし8がつく年に経済過熱が発生すると言われる。最近では、88年、93年、2003年がこれに相当する。過去の経済過熱の経緯をたどってみると、改革開放以前には、1958年「大躍進」運動、1966年「三線建設」があったが、これは経済過熱というより、毛沢東の大号令に基づく、特定産業・特定地域への非合理的な集中投資という性格をもっている。1978年以降でGDP成長率が10%を上回った時期をみると、次の4つの時期が挙げられる。

第1の時期:1978年
第2の時期:1983年〜1985年
第3の時期:1987年〜1988年
第4の時期:1992年〜1995年

 第1の時期は、華国鋒党主席のもとで、中国の潜在的な石油を元手に外国の設備・技術を大量に導入して経済発展を図るという「洋躍進」政策が取られた時期であり、基本建設が過度に拡大し、財政赤字・インフレが深刻化し、結局急ブレーキがかけられた。その結果、新日鉄との間で結ばれた「宝山鉄鋼所」の契約がキャンセルされ、大問題が発生したのである。
 第2の時期は、1982年の12回党大会で「計画経済を主とし、市場調節を従とする」という方針が打ち出され、84年の党12期3中全会では「計画的社会主義商品経済」が提起され「党中央の経済体制改革に関する決定」が行われる等胡耀邦総書記のもとで、市場原理の導入、沿海都市を中心とした対外開放が図られた時期である。しかし、このときも基本建設の膨張と、耐久消費財の急激な輸入増加などの経済過熱によりインフレが発生し、また海南島事件等の腐敗事件の発覚により、86年に至り改革は停滞気味となり、同年末から活発化した学生の民主化要求運動により胡耀邦総書記は失脚に追い込まれるのである。
 第3の時期は、1987年の13回党大会で社会主義初級段階論や「国家が市場を調節し、市場が企業を導く」という方針が打ち出されたことをきっかけに改革・開放が再び加速した時期である。当時の趙紫陽総書記はこの党大会終了後上海及び東南沿海各省に赴いて沿海地域経済発展戦略を打ち出した。しかし、この市場重視の結果、政府機関・軍・病院・学校までがビジネスに乗り出し、88年前半になるとインフレが急激に進んだ。しかも、同年8月に開催された中央政治局拡大会議で「価格と賃金改革についての初歩的方策」が採択され、新聞に報道されたため、多くの大衆はインフレ予想を高め、預金の引出しと買いだめに走り、インフレは更に激化することとなった。これが1つの要因となり、天安門事件が99年に勃発し、趙紫陽総書記も失脚に追い込まれたのである。
 第4の時期は、1992年1月18―21日に 小平が南方視察を行った際、一連の改革・開放促進を訴えたいわゆる「南巡講話」から始まる。これを受け、同年11月に開催された14回党大会は「社会主義市場経済体制の確立」を提起し、翌93年11月の党14期3中全会で「社会主義市場経済体制の若干の問題に関する党中央決定」が採択されたのである。これにより、計画経済から市場経済への転換は決定的となった。しかし、これを契機に、不動産業者の急増と開発区建設ブーム、自動車産業の投資急増が巻き起こり、再びインフレが発生した。このため、財政・金融引締めによるインフレの克服が重要課題となるのである。

 このように見てくると、それぞれの経済過熱は党大会や中全会における新たな改革・開放政策の決定を契機に発生していることが分かる。党大会は、単に党の重要方針を決定するだけではなく、党の首脳人事も決定する。これは翌年の国務院の人事決定まで続き、5年に1回、中央から地方レベルに至るまで、党・政府指導者の交代が発生するのである。近年、共産党指導部は地方主義抑制のため、地元出身ではない者を地方党委員会書記に就任させることが殆どと言われる。彼らは任期5年の間に経済成長や生産額・税収等で目に見える実績を挙げなければならず、そのためには地方幹部の意向を斟酌し協力を得ながら、他方で中央の方針に沿って事を進めなければならない。党大会での新方針決定と地方における指導部交代を契機に、中央の新方針に合わせ新地方指導部は次々に新政策を打ち出すことになるが、その過程において、上記のような人事サイクル及び業績評価システムの事情から、これが往々にして中央の新方針を地元に都合のよいように解釈し、短期的には成長・生産増加につながる盲目的投資・低水準の重複投資を行うことになるのではないか、と考えられる。中央は、これを「政績工程」「形象工程」(イメージ作りのプロジェクト)と批判するが、地方の人事が一新される度にこの現象が繰り返されているのである。

 それでは、1997〜1998年にはなぜ投資過熱が発生しなかったのだろうか。まず、97年当時の事情を考えてみると、 小平の死去により、江沢民指導部はまずは 小平理論を党の指導思想として確立することを優先せざるを得なくなった。江沢民は95年の党14期5中全会で「政治を重んずる」「12大関係論」を提唱し、独自路線を歩み出そうとしたが、保守派の反発に会い、これを思うように進めることができなかった。そこで、江沢民はまず 小平理論を党規約に盛り込むことから、戦略を練り直さざるを得なかったのである。したがって、97年の15回党大会は 小平理論の絶対的権威づけに多くのエネルギーが費やされ、指導部は新しい発展の新方針を示すことができなかった。確かに株式制の認知や非公有制経済の地位の格上げは行われたが、これは直ちに投資を刺激するものではなかった。

 また、この時期は九五計画のしばりがかかっていたことも忘れてはならない。同計画は2000年まで緊縮的なマクロ経済運営を継続することを定めていたのである。最高首脳人事が変われば、この方針の見直しへの期待も現れたかもしれない。これまでは党大会ごとに新たな総書記が新方針を発表していたからである。だが江沢民総書記は留任し、新たに総理に内定したのは93年以来引締め政策の陣頭指揮をとってきた朱鎔基である。彼が構造改革を重視する政治家であることは周知の事実であり、彼の政策がむしろ余剰人員の放出・余剰設備の廃棄に向かうことは容易に想像できた。しかも、中国の周辺ではタイに発した金融危機が東アジア全域に拡大の様相を示しており、内外ともに投資拡大を行う状況にはなかったのである。

 これが98年に至ると不況色が更に強まった。朱鎔基新総理が厳しい国有企業リストラ政策を実行する一方で、輸出・消費は落ち込み、直接投資も低迷したため、とても投資拡大ができる状況ではなかった。ただ、注目すべきは、これを機に政府が緊縮的なマクロ経済運営を放棄し、金融緩和・積極的財政政策に大きく舵をきったことである。これは当初短期間の政策として開始されたが、収束のタイミングを失いずるずると継続された。これが経済成長の投資依存傾向を深め、政策の継続がやがて地方の既得権益と化し、新たな投資過熱の下地を形成したのである。

 なお、投資過熱を説明するに当たり、中国における集権・分権のサイクルを用いる考え方もあろう。だが、中国における集権・分権は政治面と経済面では必ずしも一致しない場合がある。例えば大躍進や文化大革命の時代は、政治的には権力は毛沢東とその周辺に集中していたかもしれないが、経済のマクロ・コントロール面では地方への権限委譲が進んでいたことが指摘されている。また 小平の時代は経済面における地方分権が進んだ時代といわれるが、経済過熱のたびに中央による厳しい経済調整が行われており、逆に92年の南巡講話のように、最高指導者の鶴の一声で一国全体の経済政策の方針が転換してしまう事態も起こっている。このため、集権・分権サイクルと投資過熱サイクルとの関連付けについては、より慎重な考察が必要と思われる。

C 2003年投資過熱の要因
 ここまで、中国の経済システムに内在する投資拡大要因を説明してきた。2002年には胡錦涛総書記が誕生し、中央・地方の指導部人事が大きく交代した。長期にわたり総書記を担当した江沢民が軍事方面を残して第一線から退き、構造改革論者の朱鎔基が退場したことは、地方指導者にとって久々に投資を拡大させる千載一遇のチャンスであった。
 しかも、今回は地方政府が投資を拡大しやすい次の事情があった。
a.中国のWTO加盟により、2001年以降直接投資が急増し、経済の先行き見通しを大きく改善した。
b.2001年にスタートした第10次5ヵ年計画は、都市化建設を重視し、新たな成長産業として住宅・自動車・ハイテク・ITを指定した。これは、地方政府が開発区建設を再開し、不動産・自動車・建材・鉄鋼関連の投資を拡大させることを正当化した。
c.朱鎔基は98年末に人民銀行の大区分行制改革を行ったが、これは人民銀行地方分行の国有商業銀行地方分行に対する監督機能を弱めることになった。権限を地方分行から大区分行に集中させたことにより、人民銀行の地方分行長の行政職ランクが国有商業銀行の地方分行長よりも下位になったのである。この結果地方レベルにおける人民銀行と金融機関の関係は以前より希薄となり、代わりに地方政府と金融機関の癒着が強まることとなった。
d.財政部の反対に関わらず、新指導部は政策の継続性を重視し、金融緩和・積極的財政政策の継続を決定した。これは地方にとって、積極的財政政策の継続によって生まれた既得権益の擁護を意味し、内需拡大のために投資を加速させることを正当化した。
e.2002年の16回党大会は、「小康社会の全面的建設」を打ち出した。これは2020年に2000年のGDPを4倍にするものであった。これには平均7.2%の成長が必要であるが、成長が後半に鈍化する可能性を考慮すれば、2010年までは8%を上回ることがエコノミストの間で当然視されるようになった。
f.2008年北京オリンピックと2010年上海万博が決定したことにより、2010年までは投資は減速しないという期待感が生まれた。
g.人民銀行の銀行監督部門、及びこれが2003年に分離して誕生した銀行業監督管理委員会は国有商業銀行の不良債権比率引下げを強く求めたが、不良債権処理がうまく進まない各行は、分子の縮小より、貸付け増による分母の急拡大によってノルマを達成しようとした。この場合、融資はより確実な地方政府が推奨するプロジェクトに優先的に充てられることになった。
h.2003年第1四半期の時点で既に投資過熱傾向は現れていたが、その後SARSが流行し、消費が落ち込んだため、政府は逆に投資刺激を余儀なくされた。そのことが、SARS終息後、投資拡大に拍車をかけることになった。

 このように、今回の投資過熱では伝統的な5年に1度の投資過熱が98年に発生しなかったため、その分地方の投資拡大欲求が堆積し、2001年のWTO加盟と第10次5ヵ年計画スタートを契機にこれが胎動し始め、2002年の人事交代期到来を機に噴出したと見るべきではないか。逆にいえば、このようなサイクルを防止するためには、5年に1度の地方指導者人事サイクルと彼らに対する政治業績評価システムの抜本的な改革が必要であろう。

2.財政・金融政策の転換

 人民銀行は、3月24日差別的な預金準備率と公定歩合の0.63ポイント引上げを4月25日から実行することを明らかにした。さらに4月11日に、4月25日から預金準備率を7%から7.5%に0.5ポイント引き上げることを追加発表した。これにより、自己資本比率が一定水準に満たない金融機関の預金準備率は8%となり、全体では1100億元の資金が減少するものと予想された。人民銀行が9月21日の預金準備率引上げ(6%から7%に)に続いて準備率の再引上げを行ったのは、手形発行による資金回収だけではマネー・サプライ、銀行貸出の膨張と物価上昇傾向が止まらないと判断したためであろう。この一連の措置により、穏健な金融政策は適度に引締め気味の金融政策に転換したといえる。
 また5月27日、金人慶財政部長は記者会見において、中国は今後「中性」の財政政策を取ることを表明した。98年以来継続されていた積極的財政政策に、ようやく終止符が打たれることになったのである。これ以前にも、楼継偉財政部副部長は、1−4月の財政収入は2500億元の増であり、通年の増収目標1879億元をすでに突破しており、逆に1−4月の全国基本建設支出は前年同期比で11%減少していることを明らかにしていた。税の増収は既存の輸出に係る租税未還付分の還付に振り向けられていたのである。既に2004年度の国債発行は1100億元と対前年比300億元減少しているが、これが年度内にさらに200−300億元削減される可能性も指摘されている。

 ただ、国家発展・改革委のスポークスマン曹玉書政策研究室主任は、6月23日の記者発表で、積極的財政政策と穏健な金融政策はなおも堅持すべきだと主張しており(6月23日人民網北京電)、今後財政部・人民銀行と国家発展・改革委の間でマクロ政策をめぐって不協和音が発生する可能性もある。

3.事案の強制摘発と指令方式による締め付け

 温家宝総理は4月28日国務院常務会議を召集し、国家発展改革委・国土資源部・監察部から、江蘇鉄本鋼鉄有限公司が規定に違反し鉄鋼プロジェクトを建設したことについての検査状況を聴取した。それによると、同社は2002年初に常州市と揚中市で大型鉄鋼プロジェクトを計画したが、その建設過程において、同社の代表は7つのダミー会社を設立し、プロジェクトを22に細分化して関係部門に許可を申請した。
 当地政府と関連部門は国家の法規に重大に違反し、プロジェクト許可を越権で行い、また中国銀行常州分行等の銀行は、同社及びダミー会社に信用供与を行った。これは、地方政府・地元金融機関・地元企業の癒着により過大投資が行われた典型的事案といえるものである。同プロジェクトは2004年3月に、江蘇省政府により全面停止となっており、同社代表ほか10名が逮捕されている。会議は江蘇省と金融監督部門に対し、この事件に関与した江蘇省関係部門、常州市、揚中市、及び常州市と関係のあった金融機関の責任者を厳格に処分するよう指示した。この事件は容易に中央の指示に耳を貸さない地方に対する見せしめといえよう。
 さらに温家宝総理は6月4日国務院常務会議を開催し、湖南省の商業用ビルを主体とした不動産開発プロジェクトにおいて行政権力の濫用があり、立ち退きで大衆に損害を与えたとして、関係者を厳格に処分するとともに、都市における家屋立ち退きの管理を強化し人民大衆の利益を擁護するよう指示した。地方政府の大型投資により、しばしば都市住民・農民が十分な補償を得られぬまま強制立ち退きを余儀なくされており、これも、地方に対する見せしめの1つである。上半期における土地違法案件の摘発は42297件に及んでいる(6月20日新華網北京電)。
 このような強権発動と同時に、4月28日の国務院常務会議では、土地市場の整理・整頓についても深く検討を行い、今後半年間、2003年以来の土地案件につき土地を徴収された農民集団に補償をきちんと行うこと、経営性の土地使用権取引については引き続き整理・整頓を行うことを決定している。これに基づき、国務院弁公庁は、土地の囲い込み・濫用を禁止する禁止する通知を発表した。
 また4月30日、人民銀行、国家発展・改革委、銀行業監督管理委は、連名で「産業政策と信用貸出し政策の協調と、信用貸出しリスクのコントロールを一層強化させることに関連した問題についての通知」をはじめ一連の指示を発出した。これにより、鉄鋼、アルミ、セメント、党・政府機関の庁舎・訓練センター、都市高速鉄道、ゴルフ場、展示場、物流パーク、大型ショッピングセンターについては重点的に整理を行うとともに、地方政府の虚偽報告や隠蔽の結果結新たな悪い結果が発生した場合には、指導者の責任を追究することが決定された。
 あわせて貸出しリスクの管理を強化する観点から、鉄鋼・アルミ・セメント・不動産・自動車等過熱業種への貸付けは、適時適切かつ合理的に抑制すること、石炭・電力・石油・運輸・水供給といった公共施設・インフラへの貸付けに重点的に傾斜して行うことが指示されたのである。これとあわせ、国務院は鉄鋼・アルミ・セメント・不動産開発に係る固定資産投資資金の自己資金比率を鉄鋼については25%以上から40%以上に引き上げ、その他は20%以上から35%以上(エコノミー型住宅を除く)に引き上げた。 

 この一連の措置に追い討ちをかけるように、温家宝総理は5月21日国務院常務会議を招集し、再び中央のマクロ・コントロール強化の方針・政策を全面的かつ正確・積極的に了解・貫徹するよう要求した。その後政治局常務委員会メンバー等による地方視察も相次いでいる。

4.5月の経済動向

 このように政府が財政・金融政策のみならず、伝統的な強権的指令手法による締め付けを開始したことを反映してか、5月に入り経済過熱はようやく沈静化の方向を示しつつある。

 5月の都市固定資産投資は、対前年同期比18.3%増となり、4月よりも16.4ポイント下落した。不動産開発投資は同25.5%増となった。1−5月では、都市固定資産投資は同34.8%増となり、1−4月より8ポイントの下落、不動産開発投資は同32.0%増となっている。ただ、1−5月の500万元以上の固定資産投資における鉄鋼・セメント・アルミの投資額は、それぞれ76.6%増、55.3%増、38%増であり、前年の96.2%、113.4%、86.6%に比べれば伸びは大きく下落したとはいうものの、依然高水準で推移している(6月13日新華社北京電)。1−5月の中央のプロジェクト投資は5%増に達しなかったのに対し、地方は40%以上の増であり、投資額上位5省市(江蘇・広東・浙江・山東・上海)の伸びは48%増である(6月22日付け財経時報)。また、石炭・電力・石油・運輸の逼迫状況も未だ深刻である。

 金融方面では、5月末のM2は対前年同期比17.5%増であり、4月末より1.6ポイント下落した。5月末の金融機関貸出残高は同19%増であり、4月末より1.4ポイント低下している。金融機関に対する指導が効果を現し始めたといえるが、中長期貸出は32.7%増と依然高く、貸出し期間の中長期化傾向には歯止めがかかっていない(6月10日付け中国青年報)。鋼材の在庫は3月末で年初に比べ20%増加しており、ガラス・電化アルミの在庫は30%以上増加している(6月9日付け新華網北京電)。今後、投資の調整が本格化するにつれ、新たな不良債権が発生するおそれもある。

 さらに、憂慮すべきは消費者物価の上昇傾向が続いていることである。上昇率は4月の3.8%から5月にはついに4.4%に達した。このため市場の関心は、いつ人民銀行が金利引上げを決断するかに集まっている。だが、金利引上げはホット・マネーを更に中国に引き寄せ、結果的にマネー・サプライを拡大してしまうおそれもあり、人民銀行としては米国FRBの金利政策の動向と今後の消費者物価動向を共に注視せざるを得ない状況である。人民銀行の穆懐朋研究局長は「6−8月の物価変動水準を観察してから利上げの是非を決定することになろう」としている(6月14日新華網北京電)。ただ、消費者物価が5%を超える状況が続くとなると、現在の1年の貸出し利率が5.3%であることから、金利全体に大きな影響が生ずることになる。1年の預金金利は1.98%であり、20%の利子所得税を差し引くと既に実質マイナス2.42%となっており(6月14日付け中華工商時報)、人民銀行が行った第2四半期の都市住民物価満足度調査では、24.8%が物価が高すぎると回答(6.8ポイント上昇)し、72.9%が預金利率は低いと回答(2.2ポイント上昇)しているのである(6月16日新華網北京電)。

 国家統計局は、5月の消費者物価上昇の最大の原因は食糧価格が32.3%上昇したためであるとしている(6月13日付け中国青年報)。すでに鋼材価格は下落を始めており、企業商品価格の上昇率は9.4%であったが、4月よりは0.3ポイント下落しており、昨年7月以来初めて下落傾向を見せている。固定資産投資品の価格上昇率も5%と、4月より0.8ポイント下落した。この夏の食糧生産は、政府が農村支援を強化したこともあって回復が予想されている。ただ、国家発展・改革委のスポークスマン曹玉書政策研究室主任は、6月23日の記者発表で、7−9月期はなおも物価上昇が続き、上昇幅が縮小するのは10月以降と予測している(6月23日人民網北京電)。

まとめ

 6月16日、温家宝総理は国務院常務会議を招集し、経済情勢について「マクロ・コントロールは明らかに効果を表し、経済運営中の不安定・不健全な要素を抑制した。固定資産投資と一部過熱業種の生産の伸びの加速状況は抑制され、マネー・サプライと貸出しの伸びは明らかに反転した」と初めて政策の効果を認めた。しかし、同時に「投資規模はなおもかなり高く、石炭・電気・石油・輸送の需給関係は依然緊迫しており、マクロ・コントロールを緩めてはならない」としている(6月16日新華社北京電)。
 中国の経済過熱の最大の原因は地方政府のレベルに計画経済的な思考が色濃く残っていることによる。今回の一連の措置により、中国においては過熱対策には財政・金融政策といったマクロ的手法よりも、依然指令的な経済調整が有効であることが明らかになった。これは中国市場経済の未熟さを示すものでもある。
 温家宝総理はマクロ・コントロール強化を強調しつつも、経済が大きくダウンするような引き締めは行わない旨これまでも再三表明している。2020年に2000年のGDPを4倍にするという16回党大会の目標達成のためには高成長の持続は不可欠なのである。このため地方は引締めがどこまで続くか現在模様眺めの状況と見られ、中央と地方の政治的駆け引きはなおしばらく続くことになろう。

(2004年6月記・14,376字)

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