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ログイン2003年2月22日
<政治> 2003年に入っても中国の躍進振りは一向に衰える気配がない。その勢いは、もしかするとこの国が改革開放政策を国是としてからの10余年が、これから続く200−300年に亘る中国の大興隆時代の単なる幕開けに過ぎないのではないかと思わせる程だ。少なくとも、私は、日に日にその感を深めている。 このような大きな潮流の中で、昨年11月に開催された中国共産党第16回中央委員会第1回全体会議(一中全会)において9名の中国の新しい指導者達が選出された。いわゆる第四世代指導者が誕生した。胡錦涛、呉邦国、温家宝、賈慶林、曾慶紅、黄菊、呉官正、李長春、羅幹の9名が中央委員会政治局常務委員に選出されたのである。中国は中国共産党の一党独裁体制ゆえに、この人達が実質的な中国という国を運営して行く指導者である。 この指導者達をどうみるべきであろうか?どう評価すべきであろうか?どこまで、何が期待できるであろうか?各種メディアでのこの点に関する論評はほぼ出尽くした感があるが、主調は、「江沢民を核とする第3世代が退き、50歳台から60歳台の胡錦涛氏を核とする第四世代に交代したが、内実は、江沢民の息のかかった呉邦国、曾慶紅、賈慶林、黄菊など所謂上海人脈が多数派を形成し、江沢民は院政を行い、その実権を明渡さないであろう」というものである。 このような分析がどこまで正しいかは時がやがて証明してくれるであろうから暫くさておき、もう少し9名の指導者達の経歴をつぶさに眺めてみると興味深い事実にぶち当たる。全く別の切り口から見てみると、それまで見えなかった何かが見えてくるのである。 例えば、こんな風にだ。 ○年齢分布(今日現在、実年齢) 67歳 1人 ほぼ全員が、24・25歳から30歳頃に文化大革命を迎えている。即ち、初等・中等・高等教育をその前に終えている世代なのである。ということは、文化大革命により初等・中等・高等教育の機会を阻まれた世代は、一人も含まれていないということを意味する。「紅衛兵あがり」はいないということを意味する。 ○出身地分布 北部(遼寧、河北、天津、山東省) 4人 または、 沿岸部(遼寧、河北、天津、山東、浙江省)5人 かなりおおざっぱな言い方になるが、出身地が中国の中央=昔「中原」と呼ばれた地域を中心に分布していることが見てとれる。或いは、昔よりは少し上海よりに南下した地点を中心にしていると言うべきかもしれない。いずれにせよ、日本にたとえれば、ほとんどの指導者が、本州から出ており、九州や北海道からは出ていないといった感じである。意外なことに、経済的には先を行く華南地域(広東省、福建省)から一人も出ていないのである。 ○民族分布 漢族 9人 エンジニア(水利、電気電子、機械、自動制御、地質、鍛造) 9人 何と、全員がテクノクラートならぬ「テクノリーダー」(筆者の造語)なのである。全員が理科系であり、技術系の高等教育を受け、その後かなり長期間テクノクラートを務めた後「テクノリーダー」へと転身しているのである。 人類史上において、神官や巫女や軍人や農民や流民や富豪や地主や弁護士や映画俳優等等が為政者となった例は数限りなくあるが、このように揃いも揃って技術者が政治の指導者になった例があったであろうか?おそらく、人類史上初めてに違いない。政治家がテクノクラートを側に置きテクノクラートとして重用するにとどまらず、テクノクラートを「技術が分かる政治的指導者」=「テクノリーダー」に引き揚げてしまったのは。それも、一遍に9人も。実に驚くべきことだと言わざるを得ない。日本やアメリカの政治家を思い浮かべてもらえば良い。「日本の首相、アメリカの大統領は、何の専門?」と聞かれて、何と答えたら良いか?やはり、「政治」と答えるしかない。ところが、中国のこれら指導者に同じ質問をしたら、「今は政治もやっているが、機械ですよ」といった答えが返って来るのである。それも閣僚に一人くらいノーベル物理学賞受賞者が紛れ込んでいるのとは訳が違う。指導者全員が、技術者の仕事に携わって来た人々なのである。第四世代の指導者達は、まさに文武両道ならぬ「文理両道(文理兼備)」と呼ばれるに値する人々の集まりなのである。誰もが、「理(技術)」を理解し、「文(政治)」にも精通している。 この人類初の「文理両道(文理兼備)のテクノリーダー」による指導体制が、この時期の中国に出現したのは、単なる偶然であろうか、それとも、当然の帰結であろうか? 私は偶然ではないと考える。つまり、指導者を選抜してみたら全員が偶々「文理両道」であったという訳ではなく、大きな時代の流れというものが然らしめたものだと考えるのである。理由はいくつかある。 中国は建国以来、非常に苦しい思いをしながらも、時には農村での夥しい餓死者を出しながらも、工業建設に注力し続け、その結果、現在非常に「幅広い工業体系を有している」のである。どういうことかと言えば、他のアジアの開発途上国のように、「軽工業」や「組み立て業」から起業し、長期間その域から脱却できないでいるのとは異なり、鉄鋼も化学品も産業機械も船舶も半導体も航空機も通信機もロケットも、更には宇宙船をも作れるだけの軽工業・重工業体系を有しているのである。改革開放政策よりはるか以前から、中華人民共和国建国以来一貫して目標として来た「工業大国」中国が今や我々の眼前に出現した。そして、中国において、技術者、特に高級技術者こそが、一貫してこの工業体系作りの主役であったのである。つまり、テクノクラートあがりのテクノリーダー達は国家政策の申し子であり、最大の功労者であった。ここから、中国の次世代の舵取り達が育って来たのは当然過ぎる位当然である。 中国が、先進国であるアメリカ、日本、ヨーロッパ諸国に追いつくためには、イデオロギーや精神論や外交手腕に頼るだけではどうにもならない、科学技術の力に頼らざるを得ない、そのためには、指導者には科学技術に明るい人を持って来なければいけない、という一点において、広く国民のコンセンサスが出来ていた。 別の表現をするならば、「五星紅旗」の「共産党」を取り巻く4つの星「労働者」「農民」「民族資本家」「知識人」のうちの「知識人」が、一度は「民族資本家」同様、地に貶められたが、1978年{ケ小平の「知識は力なり」で、名実共に復権を果たし、その後格段に輝かしさを増して、4つの星の中でも最も輝かしい星となった。その「知識人」の代表格が、科学技術に明るい高級技術者であり、テクノクラートである。そして、テクノクラートあがりのテクノリーダーは、最も輝かしい星を代表するだけではなく、最も大きな星(「共産党」)まで代表するものとなった。 中国では、全人類を代表して大自然との戦いに挑んでいると言っても過言で無いような超ビッグプロジェクトが目白押しである。「三峡ダム」、「南水北調」、「西気東輸」、「北京−上海高速鉄道」、「海上橋」、「有人宇宙飛行」等である。かかるビッグプロジェクトは、よほどの科学技術に対する理解と信頼とそれを使いこなせるという自信が無ければ、恐らくアイディア段階で立ち消えとなっていたであろう。中国は、国としてこれらのプロジェクトを実行することを決断した。決断するからには、それなりの勝算があるであろうし、成功するような布陣を敷くのは当然である。サッカーに例えれば、誰もが強烈なシュートを打てる最強布陣を敷いたようなものだ。 しかしそう考えて来ると、このような布陣は、最初にして最後かも知れないとも思える。なんとなれば、どちらかというと科学技術万能に懐疑的で、人類の自然に対する挑戦の行方に悲観的で、地球の資源が有限であり、限りない経済成長など有り得ない、超ビッグプロジェクトのもたらすマイナス面を考えて慎重に事を進めなければならないとする考えの経済官僚、経済リーダー「エコノミストリーダー」(筆者の造語)達が、一部の同じ考え方をする人々に支えられて、徐々に頭角を現わし、いつの日か指導層の一角を占める可能性がないとは言い切れないからだ。事実、現在工事たけなわの「三峡ダム」建設についても、当初反対する声は少なくなかった。 それはともかく、中国は、今なぜこのような巨大プロジェクトを一気呵成に実行に移すのであろうか?30−50年かけてゆっくりやったら良さそうなものを、という疑問も湧いてくる。 私はこれについてはこう推測する。「国力が許せば30年も40年も前に着手したかったんですよ。やっと、その条件が整って来たんですよ。もう、これ以上は延ばせませんよ」が中国の指導者達の本音ではないかと。或いは、現指導者層は「人は、歴史の新しい一ページを作るために、常に挑戦しなければならない。過去を越えなければならない。康熙―雍正―乾隆時代を超えるのだ」と考えているのかも知れない。もし、後者だとすると、余談になるが、『四庫全書』や『康煕字典』を超える文化的事業の計画はないのだろうか?・・・それとも、目下、国家図書館で行われていると伝えられる「中国古典35万点のデジタル化」がそれにあたるのだろうか? 上記以外に、こういう理由も考えられるのではないだろうか? テクノリーダーの世代が文革前に高等教育を終了した世代であると前に述べたが、文革以前に高等教育を修了した文科系の卒業生達は、学校での教育がイデオロギー教育重視であったため、却って社会に出てから、厳しい嵐が吹き荒れた「政治の季節」を生き延びることが難しかった。 或いは、当時学んだ人文科学、経済学、哲学等が、市場経済の導入によりますます複雑化し、異なった価値観や利害関係が錯綜する現代中国社会を相手にする際に役に立たなくなってしまった。 いずれにせよ、もしこの見方が正しいとすれば、次世代の「エコノミストリーダー」の出現は、本格的な市場経済を対象としたMBAや金融工学や法律学を学んだ者や海外留学組が上級官僚として登場するまで待たなければならないことになる。 しかし、この点に関しては、余程中国現代史、中国現代社会の深層に迫らない限り本当のことは分からないであろう。従って、所詮は、私の「下衆の勘繰り」に過ぎないのかも知れない。 (2月22日記・4,227字) |
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