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ログイン2007年3月28日
胡錦涛指導部は発足以来頻繁に党中央政治局集団学習会を開いており、その数は2002年12月26日の第1回から、2007年1月23日までで計38回に及ぶ。しかしこれまでそのテーマがどのように選択され準備がなされているかは明らかではなかった。
はじめに
胡錦涛指導部は発足以来頻繁に党中央政治局集団学習会を開いており、その数は2002年12月26日の第1回から、2007年1月23日までで計38回に及ぶ。1年で平均9回、40日に1回開催されている計算となる(2006年は10回)が、これまでそのテーマがどのように選択され準備がなされているかは明らかではなかった。
今般「小康」雑誌が、初めて党中央弁公庁・学習会参加者に広範な取材を行い、2007年3月1日記事において集団学習会の全貌がかなり詳しく紹介された。中国の意思決定プロセスを知る1つの参考となるものであるので、以下記事の概要を紹介しておきたい。
1.準備
集団学習会は党中央弁公庁・関係部委・関連科学研究機関の連携によって行われる。中央弁公庁が主導権をとり、中央政策研究室がテーマ選択の責を担う。そして関係部委が講師・講義原稿作成等の具体的事務を担当するのである。テーマが与えられてから正式に講義するまでは、通常3ヶ月前後の期間を要する。テーマによっては、半年前から確定していることもあるが、急遽テーマが設定されることもある。
関係部委は課題グループを組織し、講義原稿起草者と主たる講師を選任し、中央弁公庁の許可を受けた後作業を開始する。講義原稿は、最終的に中央弁公庁と中央政策研究室の審議を経て確定する。
講義原稿の作成は共同作業であり、執筆者と講師が同一人物とは限らない。また、課題グループも1つとは限らず、準備をしっかり行ったグループを採用するという競争的性格をもっている。これは、万一のことを考えて代替候補を準備しておく意味もある。通常1つのテーマにつき講師は2名であり、したがって執筆者も往々にして2名である。他の者はこれを手伝うか、あるいは1人が執筆し、他の1人がこれを修正するという方式もとられる。初稿が完成するとグループ内で審査が行われ、意見が提出されたあと修正が加えられる。課題グループ内で異議がなくなるまで、これが何回も繰り返される。
正式の講義前には、原則として3回読会が開催され、最低でも2回開催される。読会には、課題グループ構成員、関係部委の指導者、中央弁公庁、中央政策研究室が参加し、講師の声の高さ、語調、語気、話のスピード等様々な要素について、全員が満足するまで指導を行う。
2.本番
講義の教室は、中南海懐仁堂のさほど大きくない会議室であり、テーブルは固定式の楕円形の卓が使用される。学習に参加する指導者は、テーブル端から各部委の指導者、中央政治局委員、中央政治局常務委員の順に着席し、総書記はテーブル中央に講師と向かい合って着席する。参加者が次々に入室し、総書記が最後に着席すると、中央弁公庁とテーマを担当する部委の指導者が講師を総書記に紹介し、総書記の「始めよう」という合図で学習会がスタートする。
学習時間はおおむね2時間程度であり、通常は講師2名が40分ずつ計80分講義を行う。その後30分程度質疑が行われ、最後に総書記が総括発言を行い学習は終了する。
3.講師
これまでの38回の学習会では、37単位、75名の一流の専門家が招聘された。原則毎回2名であり、1回につき1つの機関が担当している。
所属機関としては、社会科学院11名、中央党校5名、人民大学5名、北京大学4名、国務院発展研究センター4名、国家発展・改革委マクロ研究院4名、清華大学3名となっており、社会科学院の割合が多い。
講師の平均年齢は45-55歳であり、最高齢は第1回の許崇徳(当時73歳)、最年少は第7回の張西明(当時38歳)である。
講師に選ばれることは、出世の道にもつながり、第1回の華東政法学院院長の曹建明は、その後最高人民法院副院長に、第7回の社会科学院新聞研究所副所長の張西明は、党中央宣伝部理論局長に、第2回の社会科学院財貿研究所の江小涓は国務院政策研究室副主任に、それぞれ栄達している。
4.テーマ
おおまかに分類すると、法律、経済、就業、科学技術、軍事・国防、党建設、文化、歴史、三農、衛生、教育、民族、民主、社会等の15分野であり、多いのは法律(5回)、経済(4回)、軍事・国防(4回)、党建設(3回)、三農(2回)である。最も多いのは法律分野であり、平均年1回は開催されている。
5.学習会と政策決定の関係
テーマ選定は、中央の政策決定の前・後・最中いずれの時期にも行われている。
例えば、2003年4月28日の第4回「現在の科学技術発展の趨勢とわが国の科学技術の発展及び科学技術の運用によるSARS予防・治療活動の強化」は、SARS予防・治療の政策決定のために諮問されたものであった。また、2005年6月27日の第23回「国際エネルギー・資源情勢とわが国のエネルギー・資源戦略」は、その3日後の胡錦涛国家主席ロシア訪問に際して展開された「石油外交」の有益な参考となった。
「小康」が中央弁公庁及び講師経験者に取材したところによれば、中央集団学習会の重要目標と効果は、中央において共通認識を形成し、相異を減少させ、思想を統一すること、中央の政策決定が正確かつ高効率で貫徹することとされる。また、政策決定に役立つばかりでなく、更に重要なことは政策を宣伝・推進し、執政能力を高めることにあるとされている。
6.過去の経緯
党中央による法律の集団学習会は、1980年代から開始されており、当時は法制講座と呼ばれていた。1985年に総書記に就任した胡輝邦が開始した第1回が、歴史的記念碑の意義を有するものである。1989年に江沢民が総書記に就任して以後は、原則1年に1-2回開催され、毎回1人の講師が担当していた。
7.胡錦涛指導部以後の開催状況
回 | 開催日 | テーマ | 講師 | 所属 |
1
2
3
4
5
6
7
8
9
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11
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32
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34
35
36
37
38 |
2002.12.26
2003.1.28
2003.3.28
2003.4.28
2003.5.23
2003.7.21
2003. 8.12
2003.9.29
2003.11.24
2004.2.23
2004.3.29
2004.4.26
2004.5.28
2004.6.29
2004.7.24
2004.10.21
2004.12.1
2004.12.27
2005.1.24
2005.2.21
2005.4.15
2005.5.31
2005.6.27
2005.8.26
2005.9.29
2005.11.25
2005.12.20
2006.1.25
2006.2.21
2006.3.27
2006.5.26
2006.6.29
2006.7.25
2006.8.29
2006.10.23
2006.11.30
2006.12.25
2007.1.23 |
憲法を学習する
世界経済情勢とわが国経済の発展 世界の就業発展の趨勢とわが国の就業政策の研究 現在の科学技術発展の趨勢とわが国の科学技術の発展及び科学技術の運用によるSARS予防・治療活動の強化 世界の新軍事変革の発展情勢
党の思想理論が時代と共に進むことの歴史的考察 世界の文化産業の発展状況とわが国文化産業発展戦略 法に基づく治国を堅持し、社会主義政治文明を建設する
15世紀以降の世界主要国家の発展歴史の考察 世界構造とわが国の安全環境
現在の世界農業の発展状況とわが国の農業発展
法制建設と社会主義市場経済の完備 わが国を繁栄・発展させる哲学・社会科学 党の執政能力を強化する問題
国防建設と経済建設を協調発展させる方針を堅持する
わが国の民族関係史のいくつかの問題 中国の社会主義の道の模索と歴史的考察 2020年に向けた中国科学技術発展戦略 新時期における共産党員の先進性保持の研究 社会主義の調和のとれた社会の構築に努力する
わが国経済社会発展戦略の若干の問題
経済のグローバル化趨勢と現在の国際貿易発展の新特徴 国際エネルギー・資源情勢とわが国のエネルギー・資源戦略
世界反ファシスト戦争の回顧と考察
国外の都市化発展モデルと中国の特色ある都市化の道 世界のマルクス主義研究及びわが国のマルクス主義理論研究と建設プロセス 行政管理体制改革と経済法律制度の完備 社会主義新農村建設に関して
世界の産業構造調整の趨勢とわが国の経済成長方式の転換加速の戦略選択
国外の安全生産の制度措置とわが国の安全生産の制度建設強化 国際知識財産権保護とわが国の知識財産権保護の法律・制度建設 科学的執政、民主的執政、法に基づく執政を堅持する 紅軍長征勝利の回顧と考察
世界の教育発展の趨勢とわが国の教育体制改革の深化
国外医療衛生体制とわが国の医療衛生事業の発展
わが国の社会主義基層民主政治建設の研究
わが国の資源節約型社会建設に関して
世界のネット技術発展とわが国のネット文化建設・管理 |
許崇徳
周葉中 余永定 江小涓 曾湘泉 蔡昉 王恩哥 薛瀾 曾光
銭海皓
傳立群
張啓華 張樹軍 張西明 熊澄宇 林尚立
李林 斉世栄 銭乗旦 秦亜青 張宇燕 程序 柯炳生
呉志攀 王利明 程恩富 李崇富 黄宗良 盧先福 会郭桂 欒恩杰
楊聖敏 郝時遠 陳雪薇 劉海涛 孫鴻烈 万鋼 李忠杰 王庭大 李培林
景天魁
劉世錦
陳東琪
黄衛平 裴長洪 張洪涛 周大地
江英
羅援
唐子来 周一星 衣俊卿 李景源
馬懐徳 史際春 銭克明
張暁山
盧中原
王一鳴
範維澄
劉鉄民 鄭成思 呉範東
張志明 卓沢淵 陳力
黄星
長徐輝 張力
李玲
劉俊 徐勇 趙樹凱
馮飛
韓文科
李伍峰 曹淑敏 |
人民大学教授
武漢大学教授 社会科学院研究員 社会科学院研究員 人民大学教授 社会科学院研究員 科学院研究員 清華大学教授 中国疾病予防・コントロールセンター研究員 軍事科学院科学技術研究指導部研究員 軍事科学院外国軍事研究部研究員 中央党史研究室研究員 中央党史研究室研究員 社会科学院新聞研究所研究員 清華大学新聞・放送学院教授 復旦大学国際関係・公共事務学院教授 社会科学院法学研究所研究員 首都師範大学教授 南京大学教授 外交学院教授 社会科学院研究員 農業大学教授 農業部農村経済研究センター教授 北京大学教授 人民大学教授 上海財経大学教授 社会科学院研究員 北京大学教授 中央党校教授 総装備部科学技術委員会教授 国防科学工業委専門家諮問委員会研究員 中央民族大学教授 社会科学院研究員 中央党校教授 中央党校教授 科学院研究員 同済大学教授 中央党史研究室教授 全国党建設研究会研究員 社会科学院社会学研究所研究員 社会科学院社会学研究所研究員 国務院発展研究センター研究員 国家発展・改革委マクロ経済研究院研究員 人民大学教授 社会科学院研究員 国土資源部地質調査局研究員 国家発展・改革委マクロ経済研究院研究員 軍事科学院戦争理論・戦略研究部研究員 軍事科学院世界軍事研究部研究員 同済大学教授 北京大学教授 黒竜江大学教授 社会科学院研究員
政法大学法学院教授 人民大学法学院教授 農業部農業貿易促進センター研究員 社会科学院農村発展研究所研究員 国務院発展研究センター研究員 国家発展・改革委マクロ経済研究院研究員 清華大学公共安全研究センター教授 安全生産科学研究院研究員 社会科学院法学研究所研究員 中南財経政法大学知識財産権研究センター主任、教授 中央党校党建設教研部教授 中央党校政法教研部教授 軍事科学院軍事歴史研究所研究員 軍事科学院科学研究指導部副部長、研究員 浙江師範大学校教授 教育部教育発展研究センター主任、研究員 北京大学中国経済研究センター副主任、教授 中華医学会副会長、教授 華中師範大学教授 国務院発展研究センター研究員 国務院発展研究センター産業経済研究部長、研究員 国家発展・改革委マクロ経済研究院エネルギー研究所長、研究員 中央外宣弁公室ネット宣伝局 情報産業部電信研究院教授、高級工程師 |
まとめ
以上が記事の概要であるが、若干の留意点を述べておきたい。
(1)法治重視の姿勢
記事でも指摘しているが、第1回が憲法の学習であり、その後も定期的に法律関係の学習会が開催されている。胡錦涛指導部の法治重視の現われであろう。
(2)国際比較が重視されている
テーマを見ると、まず国際情勢が分析されたあと、中国における制度建設が議論されている。指導部が海外の動向に大変に敏感になっていることの証左であろう。
(3)講師のバラツキ傾向が強まっている
学習会が開始された初期をみると、記事も指摘しているように社会科学院の講師が多い。しかし、2006年になると社会科学院からは講師は2名しか選出されておらず、国務院発展研究センターや国家発展・改革委マクロ経済研究院の講師が多くなっている。社会科学院は近年左傾化傾向も伝えられており、実践的なアドバイスを行う国家シンクタンクとしての評価が相対的に低下しているのかもしれない。
また、大学関係者も当初は北京・人民・清華大学といった名門大学の教授が多かったが、最近は多様化している。各部委の実務家講師も増加傾向にある。講師に採用されるための、シンクタンク・部委・大学間の競争が強まっているとも考えられる。
(4)個別会議
テーマに当時の政治経済情勢が反映しているものがいくつか見られる。
第2回「経済」(2003年1月28日)
講師の1人が余永定であることからして、人民元レートが議論されたのであろう。この頃から米国による人民元レート切上げ要求が強まっていたのである。
第3回「就業」(2003年3月28日)
この時期、一時帰休者の失業者への移行が進み、都市登録失業率はこれまでの3%台から2002年4.0%、2003年4.3%と一気に跳ね上がった。このため、就業問題が討議されたのであろう。
第4回「科学技術・SARS」(2003年4月28日)
これはもともと科学技術を予定していたのであろう。しかし、新型肺炎SARSの災禍が深刻化したため、テーマが追加されたものと考えられる。このため、この回だけは講師が3人となっている。
第5回「軍事」(2003年5月23日)
3月19日から開始された米英軍のイラク侵攻作戦の分析が行われたものと考えられる。
第6回「思想理論」(2003年7月21日)
10月の党3中全会に「科学的発展観」の基本構想が提起されており、その下準備が始まっていたのであろう。
第9回「主要国家発展史」(2003年11月24日)、第10回「国際安全環境」(2004年2月23日)
1人当たりGDPが1000ドルを突破したことを契機に、この頃世界史研究が盛んに行われていた。即ち、ハプスブルグ帝国以降で、大国の覇権に挑戦しこれに勝ち抜いて大国となった例と失敗した例が詳細に比較検討されたのである。これが「平和台頭」論へとつながることになった。
第15回「国防建設・経済建設」(2004年7月24日)
この時期は、江沢民の党中央軍事委員会主席退任をめぐり、激しい駆け引きが行われていた。従来、国防建設と経済建設の関係は、経済が主・国防が従であったが、この集団学習会で車の両輪と位置づけられた。胡錦涛指導部と軍で妥協が行われたのであろう。
第17回「社会主義」(2004年12月1日)
この頃から新左派による改革・開放批判が本格化していた。
第20回「調和社会」(2005年2月21日)
2月19日、胡錦涛総書記が中央党校で「社会主義の調和のとれた社会」について重要講話を行っている。
第21回「経済社会発展戦略」(2005年4月15日)
ここで胡錦涛総書記は、第11次5ヵ年計画の重要指導原則を指示している。
第26回「マルクス主義」(2005年11月25日)
この時期、新左派による改革・開放・新自由主義経済学批判がピークに達していた。
第27回「成長方式転換」(2006年2月21日)
投資再過熱の兆候が現れ始めた時期である。
第37回「資源節約型社会」(2006年12月25日)
この時期、第11次5ヵ年計画初年度の省エネ・環境目標の未達成が確実となっていた。
(3月2日記・5,867字)
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