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日中比較文化論(2)中国社会はコネ社会

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2007年9月30日

記事概要

 どこの国にもコネは存在しますが、日本と中国を比べてみると非常に大きな差があります。日本ではコネを使って入学試験に手心を加えてもらうと犯罪になりますし、せいぜい同点で並んでいる場合に考慮してもらう程度です。ところが中国の場合は大げさに言えば国民13億全員がコネ社会に生きていると言えます。

中国のコネ社会ができた原因

 

どこの国にもコネは存在しますが、日本と中国を比べてみると非常に大きな差があります。日本ではコネを使って入学試験に手心を加えてもらうと犯罪になりますし、せいぜい同点で並んでいる場合に考慮してもらう程度です。ところが中国の場合は大げさに言えば国民13億全員がコネ社会に生きていると言えます。上は高級官僚から下は小さな個人経営のお店の店員に至るまでこのコネを利用(活用)し、たくましく生きています。

中国語でコネを「関係」(guan xi)と言いますが、この関係こそが中国を知るひとつの大きなポイントなのです。中国人がなぜそれまで「関係」を重視するようになったのか、それには中国の長年にわたる政変、動乱によるものが大きいと思われます。歴代の王朝が没落するたびに新たな王朝との戦いが幾度と無く繰り広げられましたが、戦争中は敵か味方か、殺すか殺されるかの世界であり、出会った相手が味方(身内)であるかどうかが生命を左右します。このようなことから中国人は自ずと人を二つのタイプに分ける習慣が身についたのだと言われています。したがって相手が自分に害を加えないまでも身内(中国語では自己人/zi ji ren)ではないと思っている間は何事も本音では付き合えず、物事の交渉もスムーズに行きません。いかにして相手の「自己人」になれるかが中国社会では非常に重要になってくるのです。

また古代封建制度の身分の差はそのまま権力の差となっており、その権力を利用するためにはこの「関係」を構築することが生きて行く上でどうしても必要であり、相手に物品や情報を提供したりする事により、その代償としての成果を得ると言った仕組みが存在するようになったのです。

前段で申し上げた日本のコネと違う、双方に利益がある中国の関係がここにあります。

これらの要素が中国における「関係」の重要性を作り出していったものと思われます。

 

世界の美女カレンダーが作ってくれたコネ「関係」

 

私は1987年から90年まで4年間北京で駐在していましたが、その間に実際に

私が経験した「関係」をお話しましょう。

 駐在員のビザの有効期限は6ヶ月で、半年毎に公安局(日本の警察署にあたる所)で

更新手続きをしなければなりません。私は12月に延長手続きをする必要があったのですが、VIPのお客様があり終日アテンドのためにビザの件をすっかり忘れていました。

お客様が帰り、ふとビザの件を思い出しパスポートを見ると、何と昨日で切れているではありませんか。ビザの有効期限が過ぎてしまえばたった1日でも不法滞在となり、

非常に面倒な手続きが必要になります。

 私はあわててパスポートと写真を持って公安局に飛んで行きました。その時おりしも

12月でいろいろなカレンダーが事務所に送られて来ていましたので,少しは公安官の心証を良くするのに役に立つかなと思い、紙袋に入れて一緒に持って行きました。

 窓口は相変わらず大行列で私はその最後尾に並び、申請書を書きながら順番を待っていました。行列の半ばまで来た時、誰かに呼びかけられました。「そこの紙袋に入っているものは何ですか?」、「エッ?カレンダーですが…。」、「何のために持ち込んだのですか?」、「公安局の皆さんに差し上げようと思いまして…。」、「そうですか。それでは

こちらに来てください。」

このようなやり取りがあって彼の部屋に招き入れられた時、彼がビザ発給の責任者、

公安部出入境管理局の局長だとわかりました。局長は私が差し出した紙袋の中からひとつずつカレンダーを取り出し中身をチェックして自分のものと部下のものとを選別しました。すべてを見終わった後、彼が選んだのはJALの世界の美女カレンダーでした。

 選別が終わってからようやく「ところで今日は何の用件で来られたのですか?」

「実は駐在ビザの更新に来たのですが、うっかりしていて昨日で切れてしまっていたのです。申し訳ありません。」「な~に問題ありません。すぐに手続きさせましょう。」と言って係りの者を呼びつけ、彼に書類を渡すように言いました。私は「まだ申請書を書き終えていませんが…。」と答えましたが、「係りの者に書かせますから大丈夫です。」と言われました。

 ここで何故このように日本のカレンダーが重宝されるのか、その当時の中国の事情に

ついてお話しましょう。当時の中国の印刷技術は未熟で、カレンダーのカラー写真も

くすんだような色できれいではありませんでした。またその上、女性の水着写真など

なかなか見ることが出来ないと言った環境でしたのでJALの美女カレンダーがもてはやされたのです。その証拠に例の局長はちゃんと8月のところを開いてにっこりと笑みを浮かべていましたから…。

 

接待は一族郎党で受けるのが当たり前

 

 思わぬ事態の進展にここは公安局とコネを構築する良いチャンスだと思い、特別の

取り計らいに対するお礼として夕食をご招待したいと申し出たところ快く受けていただきました。何がご希望かお聞きしたところ「日本食」を食べてみたいとのことでしたので、日本食レストランを予約しました。当時日本食は高価で一般の中国人ではなかなか食べる機会はありません。ですから彼が日本食を希望したのもよく分かります。

 約束の時間に事務所の社員と一緒にレストランで待っていたところ、現れたのは局長のご両親、奥さん、子供を含む一家勢ぞろいに部下1名をくわえた総勢6名で、局長とせいぜい部下の1~2名と思っていた私は大あわてで席を追加しなければなりませんでした。

日本人から見れば何とずうずうしいと思われるようなことも、中国人の「自己人」であれば当たり前のことなのです。かえって私はこれで局長の「自己人」により一歩近づけたと感じました。

 

驚かされるコネ「関係」の威力

 

ビザ更新は通常公安局に申請して1週間後に、電話で自分の申請番号を申し出て出来ているかどうかを問い合わせるのですが、今回は翌日に公安局のほうから電話があり、「先生のビザが出来上がりましたので、いつでも取りにお越しください。」と言われたのには驚きました。普段はこちらから丁寧に聞いても「還没有!」(まだ出来て無い!)とぶっきらぼうに言われるのに何と言う違いでしょう。今さらながら局長の権限の強さに驚かされると共に部下の変わり身の早さにも感心しました。

 公安部出入境管理局の局長にとって日本人とコネがあれば何かと役に立つし、作りたかった「関係」であったのかもしれません。私にとっても思わぬところで公安の、それも上級幹部と知りあえたことは大きな成果でした。しかもこの「関係」が後々になって大いに役立つことになるのです。

 

修学旅行でパスポート紛失

 

 ある日曜日の午後、北京に来ていた九州のある高校の修学旅行の添乗員から緊急連絡用の電話に「生徒の一人がパスポートを紛失した。」との連絡が入りました。帰国は

翌日の月曜日の午後。何とか今日中にパスポート紛失証明をもらい、明日の午前中に

日本大使館で「帰国のための一次渡航書」を発給してもらわないと間に合いません。

生徒と添乗員、担任の先生と共に公安局に行きましたが、日曜日で門は閉まっており

守衛の人にわけを話して当直の人にパスポート紛失証明を書いてもらうようお願いしましたが、「今日は休みだから明日来い!」と言われ、取り付く島も無い有様でした。

 そこで思い出したのが例の局長です。彼はビザ部門なので畑違いかもしれないが、他に頼るところが無いので、だめもとで電話してみました。

 わけを話すと彼は「わかった。私から当直のものに連絡しておくので5分後にもう

一度守衛に言ってみてくれ。」とのこと。しばらくして門のところまで行くと、さっきまであんなにつっけんどんであった守衛が何とニコニコしながら門を開け、「さあどうぞ。あちらで係りの者がお待ちしております。」と言うではありませんか。

 当直の者から簡単な事情聴取を受け、わずか数分で無事パスポート紛失証明書を手に入れることができました。

翌日は順調に日本大使館での手続きを終え、全員無事帰国することができましたが、例の局長とのコネ「関係」が無ければこの生徒はみんなと一緒に帰国できていなかったでしょう。

 

自己人は土足で人の寝室まで入ってくる

 

私とこの局長とのお付き合いは私が日本に帰任するまで続きました。月に1度一緒に食事をすることくらいは何でもないのですが、私が日本に一時帰国する時はよく「○○を買って来てくれないか」と遠慮なく頼んでくるのです。○○はラジカセであったり、ウオークマンであったり様々ですが、一度だけステレオコンポ(それもでかいやつ)を頼まれた時は「荷物を持つのが嫌いで自分の荷物でもできるだけ少なくしようとしているのに、そんなでっかい荷物を頼むなんて、少しは相手の気持ちも考えてくれよ!」と思わず心の中で叫んでしまいました。

 でもこれは日本人の考え方で、中国人は「自己人であれば相手がして欲しいと言われたことは何でもしてあげるのが当たり前であり、反対に自分がして欲しいことも何でもしてもらえる。」と考えるのです。そこに相手の立場とか都合は全く入る余地はありません。

 まだ完全に中国人の心境に成りきっていない私は心の動揺を見透かされないよう

冷静を装って、彼にたずねました。「小さなものはスーツケースに入れて持って帰って来ていたから今まで税関で何も言われなかったけど、今度は大きな段ボール箱なので必ず税関で引っかかるよ。税金を払えとか、没収するとかになったらどうするの?」彼はつまらない質問をするなと言うような顔をして答えました。「な~に 心配はいらない。税関で捕まったら、日本に持ち帰るのでボンド処理(一時保管)して欲しいと言ってくれ。後は私が処理するから大丈夫だ。」

 日本から持ってきたのに日本に持って帰ると言うのもへんな話だが、北京到着時には言われたとおりステレオコンポを一時預けにし、私の荷物だけで通関しました。

翌日局長が私の所に税関での一時保管証を取りに来て、「今から例の物を受け取りに行って来る。」と言って出かけて行きました。

数日後今回のお礼にと局長の家に食事に招待されました。そこで見たものは応接間にデーンと置かれたあのドでかいステレオコンポでした。

 「税関の××局長とは古い友人でね。先生も何か税関で困ったことがあれば私に言ってくれれば彼に頼んであげるよ。」との局長の言葉で、税関に一時預けにするよう言った意味がよく分かりました。

             

国際線を無理やり国内線にさせた驚くべき「関係」

 

関係があれば出来ないことでも出来てしまうもう一つの実例をご紹介しましょう。

これも九州のある支店の添乗員からの電話でした。「今上海から北京に着いたのですが、××日の北京/上海の航空券はそちらでいただけるのですか?」。よくよく事情を聞いてみると長崎から上海に来て上海の視察を終え、今日の国内線は現地旅行社が手配してくれていたが、帰りの上海/長崎に接続するフライトはガイドに聞いても「私の旅行社では手配していない。もしかすると北京事務所で手配しているのかも…」と言われたらしいのです。

日程表の国内線の便名を調べると、北京発上海経由ロサンジェルス行きの国際線の

フライトでした。当時は国際線の一部国内部分のみ(ここでは北京/上海)の利用は

認められていません。したがって中国の旅行社は国際線は当然日本側が手配している

ものと思い、日本側は国内のフライトなので国内線だと思い中国側で手配してくれているものと思い込んでいたのです。

 もしこのフライトに乗れないと長崎行きに接続できる便はありません。添乗員が連れてきているのは県議会議員の先生方20数名。もし予定通り帰国できなければ大問題になってしまいます。

 何とかできないものかコネを探しました。私が東京に勤務していた頃の中国国際航空の東京支店長が北京の航空予約部長として赴任されていたので、彼に相談してみました。彼が言うには「国際線の一部にむりやり国内線の乗客を乗せると出国管理の問題が出てきてしまうので非常に難しい。私の権限ではどうしようもないが、ただ空港長が特別に認めれば何とかなるかもしれない。」とのこと。

何とかその空港長を紹介してもらう方法はないか訊ねたところ、幸運にも今の空港長は彼が東京支店長としての栄転を進めてくれた上司だそうで、今回北京の本社に帰してもらったのもその上司の引きのおかげだと言うのです。

彼に面会のアポイントを取ってもらった翌日は、いざと言う時のプレゼントのために買い揃えておいた「ウオークマン」、「マイルドセブン1カートン」、「トラベルウオッチ」「資生堂化粧品」などのプレゼントグッズ一式を持参し、30分ほど待たされた後、やっと会ってもらいました。

最初は国際線の国内使用に関して難色を示していましたが、貴方の子飼いの部下と

私は東京にいるときは親しく「自己人」の付き合いだったとか、今回の乗客は九州の県議会議員団で、このフライトに乗れないと将来の日中関係に悪影響が出てくるなどと

哀願したり脅したりして頼み込みました。

 しばらく考えていた彼はようやく「分かった。だが北京空港だけがOKしても上海

空港がOKしてくれないとどうしようもない。上海の空港長に事情を説明して何とか

特別な対応をしてくれるよう頼んでみるが、だめだと言われるかもしれない。」と最後は反対に脅される始末でしたが、手土産をお渡しする時に(一応儀礼的に)断りながら最終的には受け取ってもらえたので、あぁこれで何とかなるのではと感じました。

 翌日、空港長の部下から上海の了解を得ることが出来たので本日中に航空券を購入するよう連絡が入りました。

帰国日に北京空港まで見送りに行くと空港長自らが国際線の入り口で出迎えてくれ、出国手続きをしなくてもいいように特別ルートから入れてくれました。

添乗員からの報告によれば上海でも同じように空港職員が待機しており、やはり特別のルートから入れてもらい、無事長崎に帰ることができたとのことでした。

もし航空会社や空港関係者と何のコネ「関係」もなかったら、間違いなく彼らはスケジュールどおり帰国できていなかったことでしょう。法律や規則で出来ないことでも

その権限を持っている人とコネ(関係)さえあればなんでも出来るということを身にしみて感じた一件でした。

 

友達の友達はみな友達だ

 

 運よくコネ「関係」のある時はよいが、ない時はどうしているのか、私が経験した

一つの例をお話しましょう。

 ある日の午後、事務所に中国の青年が訪ねてきました。最初は事務所のスタッフが対応していたのですが、どうしても日本人の所長に合わせて欲しいというのです。

青年はいかにも中国の学生と言った感じの質素な服装で、手には新聞紙に包んだ物を持って立っていました。「私は以前この事務所に勤務していた××さんの奥さんの弟の同級生で、△△大学の3年生で○○と申します。日本語をもっと勉強するために日本に留学したいのですが、身元保証人がいません。そこで友達から先生(私のことです)のことをお聞きし、私の身元保証人になっていただくようお願いに来ました。」と言うのです。「チョッ、チョット待ってください。確かに××さんは私の事務所に勤務していたので良く知っていますが、彼の奥さんとは確か一、二度あったことがあるだけで、彼女に弟がいたことも知りませんでしたし、会ったこともありません。その彼の友達と言われても困ります。私は貴方とは全くの初対面で貴方のことを何も知らないのに身元保証人になることは出来ません。」と断りました。

 彼はそれでもあきらめず持ってきたプレゼントを渡そうとします。 新聞紙を開くと

出てきたものは魚の缶詰でした。しかも缶詰のラベルは所々はがれており、地肌の缶にはさびが浮いていました。彼にしてみれば精一杯の手土産であったのでしょう。 

私はもう一度、身元保証人になると言うことは法律上の責任を負わなければならないことや、たくさんの必要書類を揃えなければならないと言うことを説明し、貴方の身元

保証人にはなれないと言いました。

 彼は私が持って帰るように言った魚の缶詰をなおも置いて行こうとしましたが、誰かほかに身元保証人になってくれる人にあげるよう勧めるとあきらめてその言葉に従いました。

 ほんの少しの係わりでもその細い糸をつたって行き、新たな関係作りをしようとする中国人のパワーに驚かされた出来事でした。(2007年9月掲載 6,675字)

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