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【連載】日中比較文化論~やっぱり違う食文化~

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2008年2月29日

記事概要

 食文化における日本と中国の違いは、食に対しては貪欲なまでに本能をむき出しにする中国人に対し、日本人は「武士は食わねど高楊枝」(名誉を重んじる武士は、たとえ貧しくて食事ができない時でも、食べたばかりのように悠々と楊枝を使う)と言う言葉に表されるように、食べることを前面に押し出すことを良しとしない風習がありました。 

これまでは、社会制度における日中間の違いについてお話してきましたが、これからは日常生活における文化の違いについてお話しましょう。

食文化における日本と中国の違いは、食に対しては貪欲なまでに本能をむき出しにする中国人に対し、日本人は「武士は食わねど高楊枝」(名誉を重んじる武士は、たとえ貧しくて食事ができない時でも、食べたばかりのように悠々と楊枝を使う)と言う言葉に表されるように、食べることを前面に押し出すことを良しとしない風習がありました。 日本人にとって食べると言うことは、あくまでも生きてゆくための手段であり、目的ではありませんが、中国人にとって食べることは目的であるのです。

 

生きるために食べる日本人、食べるために生きる中国人

 中国4千年の歴史の中で、幾多と無く起こった大自然による天災や、戦乱による人為的な災害で飢饉が起こり、大勢の人が餓死するという悲惨な時代を生き抜いてきた中国人にとって、食べるということが生きてゆくことの最大の目的となったのでしょう。 日本にも飢饉はありましたが、中国に比べるとその回数も少なく、規模も小範囲のものであったことと、支配階級であった武士の精神として「心頭を滅却すれば火もまた涼し」(どんな困難や苦痛も、心の持ち方次第で苦しみは感じなくなる、つまり強い意思さえあれば空腹は抑えられるという意味)のごとく、食生活においてもあまり食べることばかり気にかけるのは、はしたないことだ、とされていたこともあって、このような違いが出てきたのだと思います。

食に関しては中国人の方が人間の本能に、より正直であると言えるのかも知れません。

 

「ご飯食べた?」は「こんにちは」

 「吃飯了嗎?」(ご飯たべた?)、中国で生活していると日本人でも中国人の知人に会うと、よくこう声をかけられます。最初は馬鹿正直に「はい、もう食べました。」とか「いいえ、まだです。」と答えていましたが、だんだん単なる挨拶だと分かってきて、そのときの気分で食べたとか、食べてないとか適当に返事をするようになりました。

 食糧事情が悪い時に食事をすることができたかどうかは、食べることを人生究極の目的と考えている中国人にとって、大変重要なことでした。そのようなことから、ご飯を食べましたかとたずねることは、相手を気遣う最も適した挨拶の仕方だと言えます。

 今では中国も「食」の心配はなくなりましたが、食べることが一番重要なことであると考えている中国人は、今でも日常生活の中の挨拶としてこの言葉を使っています。

 日本で日常の挨拶としては、あまり「ご飯食べた?」などと聞くことはありません。もしあるとすれば「まだだったら一緒に食事に行かない?」という誘いの言葉であり、決して挨拶代わりに使っているわけではありません。

 このような違いからも、中国人がいかに食べることに重きを置いているかがわかりますね。

 

日本の四角と中国の丸

 何のことかと思ったら、食卓(テーブル)の話です。

日本では家庭用の食卓でも、旅館などで食事をする時に用いられる食膳でも、四角形をしています。旅館の宴会場で大勢が一堂に会して食事をする場合も、一人用のお膳を四角形に並べます。

一方、中国の食卓は丸型で、気の利いたレストランなどでは各自が料理を取りやすいように上に回転する丸いガラスのテーブルが付いていたりします。大勢で食事をすることが前提ですので、一人用の小さなテーブルなどはありません。

 古代においては中国も1人用のお膳を並べて食事をしていました。中国の時代劇よく皇帝を前に家臣が四角いお膳を前に酒宴をしているシーンがよくでてきますが、明代になってから現在のような丸いテーブルに変わっていったようです。今では「中国から伝わったもので、中国にはなく日本に残っている文化」の一つになっています。

 その食卓の上を見ると、すぐに気がつくことがあります。まず箸の形が違います。

日本では男用の箸は長めで、女用はやや短めのもの、と言うように男女の区別がありますが、中国は全く同じ大きさのものを用います。また中国の箸は日本の箸と比べて長く、円卓の遠くの料理でも取りやすいようになっているのに対し、日本は自分一人分の料理が目の前にあり、遠くのものを取る必要がないので短い箸を使い、中国の箸のようにズンドウの形ではなく、魚などの身をほぐしやすいように先がとがった箸を使います。

 箸の形だけではなく、箸の置き方も違っています。日本では箸は横にして置かれますが、中国では縦に置かれます。箸を使うと言うことでは日本も中国も共通ですが、形や作法で、こんなにも違いがあるのです。

 他にも小さな違いは見られます。先ほど日本の箸には男用、女用があると言うお話をしましたが、箸だけではなく他にも茶碗や湯飲みなどにも同じように男用と女用があり、一般家庭では自分の使う箸やお茶碗が決まっています。しかし中国にはこういった発想はまったくありません。

箸も茶碗もすべて男女共用であり、同じ大きさです。女性の方が小食であるとか、小さい方が上品であるとかの考え方もありません。洗った後はどの箸やお茶碗が誰のものかわかりませんので、特定の箸やお茶碗を個人の専用にすることもありませんし、当然、箸箱といった特定の容器もありません。

以前、中国で経口感染であるB型肝炎が流行した時、北京に駐在していた我々日本人は「マイ箸」を持ってレストランに行ったことがあります。中国人から「なぜあの日本人達はレストランに箸なんか持ってくるのだろう?箸ならここにちゃんとあるのに」と不思議そうに見られたことがありますが、普段でも自分の箸を持たない中国人から見れば日本人の行動は本当に理解できないことだったのだと思います。

 

「いただきます」、「ごちそうさま」の中国語は?

 北京に駐在していた時、中国に来られたお客様と一緒に食事をすることになったのですが、食事が始まる時に「中国語では『いただきます』を何というのですか?」とたずねられたことがあります。

 我々日本人は食事をする前には、子供の頃からの習慣でしょうか、ごく自然に「いただきます」と言いますし、食事が終わると、やはり同じように「ごちそうさま」と声に出します。でも中国人の口からそのような言葉は聞いたことがありません。なぜなら中国にはそのような習慣がないからなのです。

 食べる前に使われる言葉としては「吃吧!」(chi ba!)と言う言葉がありますが、特に「さあ食べてください」という時に用いるくらいで、普通は何も言いません。また「ごちそうさま」にあたる言葉としては「吃飽了」(chi bao le!)がありますが、この言葉にしても「もうお腹が一杯です」と言う意味で、日本語の「ごちそうさま」という感謝の言葉とは少しニュアンスがちがいます。

 お客様はそのような説明を聞いた後、「仕方ないのでそれに近い言い方でやりましょうか」と言い、全員で「吃吧!」と合唱して食べ始めました。

近くのテーブルにいた中国人は思わぬ大合唱にびっくりしてこちらの方を見つめていました。彼らが驚いたのは、全員が手を合わせていっせいに「吃吧!」と合唱したからだと思いますが、まさかchiの発音が全員日本語のチーになっていたため「欺吧!」(だましましょう!)と聞こえたのではないでしょうね。そうでないことを祈っています。

 

おいしいレストランを探すには

 中国に駐在していると日本からのお客様や自分の会社の出張者達と食事をする機会がよくあります。その時にどこのレストランに案内するか、が駐在員の存在価値を問われる?ことになりますので、非常に気を使います。

「美味しいけれど高い」レストランなら簡単です。5つ星ホテルの中にあって日本でも名の知れた老舗の、いわゆる高級レストランといわれているような類のところであれば、間違いありません。しかし私は総経理という身分であっても接待交際費をふんだんに使えるような立場ではないので、どうしても「美味しくて安い」お店を探しておかなければなりません。そのためには日頃から地元のフリーペーパーや情報誌でネタを仕入れて食べに行ったり、現地旅行社の友人が連れて行ってくれた店で味と値段をチェックしていますが、そういった「安くて美味しいお店」には必ず共通していることがあります。

 「行列のできるXX」と言う言葉は最近の日本のテレビでも人気番組のタイトルにもなっているようですが、食にうるさい中国人、特に広東人が行列を作って待っているようなレストランは間違いなく美味しい!です。それも値段が(安くなくてもその味に見合った)リーズナブルなものであれば、彼らはそれを食べるために待つことを苦にしません。そのあたりは大阪人とよく似ていますね。同じ関西人でも私は京都人の習慣が身に付いてしまっていますので、いくら美味しいからといっても、並んでまで食べたいとは思いません。たとえ次に行く店が先ほどの店より多少値段が高かったり味が落ちたとしても、さっさと他の店に行ってしまいます。

広州人は食に関してはシビアですので、たとえ友人、知人の店であっても、味と比較して料金が高いと感じられると二度とその店には行きません。したがって先月開店したレストランがもう今月クローズしているといったことが、こちらではしょっちゅう見られます。つぶれた店はすぐ新しいレストランに早変わりし、再び広州人の厳しいチェックを受け、淘汰される、といったサイクルが延々と続いて行くかぎり、美味しい料理を食べられるレストランを探すチャンスはなくなることがありません。

 

何でも食べる中国人

 昔から中国人は「四つ足なら机と椅子以外、空を飛ぶものなら飛行機以外は何でも食べる」と言われていましたが、最近はそれに「海の中なら潜水艦以外」と言うのが加わったそうです。はたして中国人は本当に何でも食べるのでしょうか?

 広州にはゲテモノ市場と呼ばれた「清平市場」という所があります。( 残念ながら

サーズの影響で現在は漢方薬市場に変わってしまいました。)ここでは広東人の旺盛な食欲を満たすためのいろいろな食材が売られています。すっぽん、蛇、蛙、くらいは序の口で、日本では天然記念物になっている「大山椒魚」も食材として並んでいます。

その他日本ではあまり食べないような犬、猫、猿、コウモリ、サソリ、センザンコウ(硬い甲羅に覆われていて、敵に襲われると体を丸めて身を守るアルマジロのような動物)、         

サーズの原因と言われたハクビシンも売られていました。これらの事実から考えれば、中国人は何でも食べると思ってしまいますが、中国に長い間住んでいると案外そうでもないことに気が付くのです。

 中国人の中でも特に広東人はゲテモノを食べると言われていますが、私の会社のO部長(広州生まれの女性)は私が犬を食べたことがあると言うと、「エ~ッ!」と驚いていました。彼女は犬を食べたことがないそうです。ほかの中国人スタッフにも聞いてみましたが、ハルピン出身のLさんも、湖南省出身のOさんも食べたことがないとのこと。彼等の言うには、「中国人の多くはそんな変なものは食べませんよ。そんなのを食べるのはごく一部の人です」ときっぱり言われてしまいました。

 私もどちらかと言うとゲテモノは嫌いな方ですが、勧められて断りきれずにやむを得ず食べたものとしては「うさぎの頭の輪切り」、「犬の火鍋」、「ヘビの蒲焼」、「サソリのから揚げ」、「ワニのステーキ」、「ラクダのアキレス腱」、「ゲンゴロウの煮物」…(あれっ?結構食べてるなぁ。)ちなみにゲンゴロウを食べた後は吐いてしまいました。

 

日本式乾杯と中国式乾杯

 この話は有名な話ですので、皆さんの中にも実際にこの違いを体験された方もおられると思います。

「乾杯!」と言って杯を合わせ同時に飲むという習慣は日本も中国も同じです。またお酒を注いだ相手から返杯を受けて酒を飲むのも同じです。

日本の乾杯は宴会が始まる最初のかけ声のようなもので、普通は一回きりです。お酒が飲めない人は飲む格好をするだけでもよく、後は各自が適当に飲めばよいことになっています。飲めない者は自分の酒量に合わせて飲むことができるので、ます泥酔することはありません。一時期学生のコンパなどでよく行われていた、酒を無理強いする「イッキ!イッキ!」のかけ声も今では日本でも自粛されるようになってきました。

 ところが中国の乾杯はその字のとおり「杯を干す」と言うことですので、必ず飲み干さないといけません。杯に少しでもお酒が残っていると、空にするまで催促されます。これが最初の一杯だけならいいのですが、中国人は酒を飲む時、絶対一人では飲みません。一人で酒を飲むのはマナー違反だとされているからです。必ず誰かを誘って一緒に「乾杯!」をします。ホストが立ち上がり、全員に乾杯を呼びかけると全員が立ち上がって乾杯をしなくてはなりません。「さっき食事前に乾杯したのに…」と思うのは日本人だけです。あとは「両社の合作のために乾杯!」だとか「我々の健康のために乾杯!」だとか延々と続くことになり、お酒の飲めない人は地獄を見ることになります。

 中国人にもお酒の飲めない人はいます。すべての中国人が「酒鬼」(jiu gui)と呼ばれるような酒豪ばかりではありませんので、彼らは乾杯の時「随意」(sui yi)と言って乾杯攻勢をかわしています。

 でも我々日本人がそれを口にして逃れようとしても、現実はなかなか許してもらえないんですよね。

 

乾杯上手な中国人

 私が初めて中国に赴任した時に実際にあった恐怖の乾杯体験をお話しましょう。

1987年北京に赴任した私を待っていたのは関係先の旅行社による歓迎宴でした。中国国際旅行社総社、中国国際旅行社北京分社、中国青年旅行総社、等々、毎晩連続で歓迎宴会のお誘いがありました。その日はすでに予定が入っているからと断ると、「昼ならどうか」と聞かれ、昼間から宴会が設定されるありさまでした。

某旅行社の歓迎夕食会に招待されたときのことです。レストランの個室では私は主賓と言うことで総経理の隣の席に座らされました。すでに白酒(bai jiu)が杯に注がれ、その匂いが部屋中に充満していました。総経理から「所長はお酒強いでしょうね。」と言われ、「いいえ、お酒は弱くてあまり飲めません。」と答えたのが運のつきでした。

中国人の間では「あまり飲めない」⇒「少しは飲める」⇒「飲める」と良いように解釈されると知ったのは駐在生活もだいぶたってからのことでした。

 形どおり最初の乾杯から始まり、宴会が進むにつれ、入れ替わり立ち代り何度も何度も私に乾杯をしにきます。お酒の弱い私ですが、「私のために歓迎宴をしていただいているのだから」と思い、無理を承知で飲んでいましたが、飲めば飲むほど乾杯をしてくる相手が増えてきます。「もうこれ以上は無理です」と断ると、「それでは私の面子がありません」と言われ無理やりのどに流し込むと、その後ろに次の人が待っているといった具合です。そんなことが何回続いたでしょうか。

やがて宴会もお開きとなり、最後の乾杯「門前清」(杯の残ったお酒を最後に飲み干すこと)をしたところまでは覚えているのですが、その後のことはまったく記憶がありません。

朝、気がついた私は、なぜネクタイをしたままベッドの上で寝ているのか、しばらくわかりませんでした。後でうちのスタッフに聞くと、乾杯をした後ブッ倒れたそうで、意識がない私を二人がかりで私の部屋に運び込んだということでした。

 ガンガンする頭とむかつく胸を押さえながら、私にお酒を飲まずにはいられなくさせたあの乾杯上手な中国人のことを思うと、これから先、長い中国での生活が本当に心配でなりませんでした。

 

食べきれなくなるまで出す中国人と、食べきらなければならない日本人

 これもよく言われる話なので皆さんもお聞きになったことがあると思いますが、我々日本人は子供の頃から食事を残したりすると「せっかく作ってくれたお百姓さんに申し訳ない」とか「もったいない」、「目がつぶれる」などと注意されました。したがって出された料理はすべて残さず食べるよう躾けられてきました。

 ところが中国人は人をもてなす時、食べきれないほどの料理を出します。これはお客様が「もうこれ以上食べられない。大変ご馳走になりました。」と料理を残してくれて初めて、十分接待ができたと思うからです。

 このことを知らない日本人は、食べきれないほどの料理が出ても残しては失礼だと考え、無理をして残さないように食べてしまいます。中国人はまだ足りなかったのかと思い、料理を追加する。日本人は破裂しそうなお腹にまた無理やり詰め込む。といった笑い話のようなことが起こってしまいます。

 

残った料理はどうするの?

 非常にもったいない料理の出し方のように思えますが、中国文化の中で我々日本人が見習わなくてはならない文化があります。

 それは「打包」(da bao)、日本語の「お持ち帰り」という日本ではもうほとんどなくなってしまった習慣です。日本でも昔は食べ残したものを持って帰るということが行われていました。食物を残すことがもったいないと教えられてきた日本人も、いつの間にか食糧事情がよくなって生活が裕福になるに連れ、次第にそういった気持ちが薄れてしまい、残した食べ物が捨てられてしまうようになってしまいました。

 中国では豊かになった今でもレストランで食事をして残った料理は「打包」して持って帰ります。恥ずかしいとか、そのようなことは一切考えませんし、お店の方も当然のこととしてお持ち帰りの容器を用意しています。

 聞くところによると、もともと料理を余るくらいに出すのは中国人のお客様のもてなし方の方法だけではなく、お客様が食べ残した料理をその家の使用人達が後で食べるようになっていたからということです。

日本人のように出された料理をすべて食べきってしまうと、使用人の食事がなくなってしまうことになってしまいます。やはりお互いの文化、習慣を知ることの大切なことが良く分かりますね。(2008年2月記  7,321字)

 

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