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【連載】日中比較文化論~日常生活におけるあんな違い、こんな違い~

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旧ビジネス解説記事

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2008年3月25日

記事概要

日常生活におけるいろいろな作法や礼儀に関しては、もともと中国から伝わってきたものが多く、古代は日本も中国も同じことをしていました。しかし時代の流れとともにお互いの文化にも少しずつ変化が生じ、今では全く違った形として残されているものがあります。中国はそのままで日本が変わって行ったものもあれば、本家の中国が変わってしまったにもかかわらず、その文化が伝わった日本がそのまま継承している、といったものもあります。

 日常生活におけるいろいろな作法や礼儀に関しては、もともと中国から伝わってきたものが多く、古代は日本も中国も同じことをしていました。しかし時代の流れとともにお互いの文化にも少しずつ変化が生じ、今では全く違った形として残されているものがあります。

 中国はそのままで日本が変わって行ったものもあれば、本家の中国が変わってしまったにもかかわらず、その文化が伝わった日本がそのまま継承している、といったものもあります。

 

お辞儀をする日本人と握手をする中国人

 

 近代まで日本も中国も人と挨拶を交わす時は腰を折り、頭を下げる「お辞儀」をしていました。

 絶対君主であった皇帝に対する接し方としては、漢代は比較的おおらかで厳しくありませんでした。皇帝に対するお辞儀の仕方でも立ったままで、拱手(両手を前で合わせる作法)し、頭を下げる程度でしたが、後世になるほど皇帝の権力は増大し、清代には「三跪九叩の礼」(さんききゅうこうのれい)という非常にたいそうな儀礼を取らなくてはならなくなりました。

皇帝の前では三回ひざまずき、その度に三回頭を地面に着けることから名づけられていますが、日本でもこれほど厳しいものではなかったにせよ、天皇や将軍に対する礼については、必ずひざまずくか座り、両手を前について深々とお辞儀をしなくてはなりませんでした。

そしてこのお辞儀をする習慣は今でも日本人の社会に深く根付いており、日常生活のいたるところで見ることができます。

 よほど親しい友人などであれば別ですが、普通の関係であれば、出かけに近所の人と会った時、「こんにちは」と挨拶し、軽くお辞儀をします。人から紹介を受けた時など改まった時には、「初めまして。○○と申します。どうぞよろしくお願いします。」と言って、やや深くお辞儀をするのが一般的です。

以前、お客様からご依頼をいただいた飛行機の予約が満席でお取りできず、私が電話でお詫びをしている時、日本人の習性で思わず何回も頭を下げているのを見て、中国人スタッフのU君やL君はおかしくてならなかったと言います。電話で頭を下げても相手には見えないのに、どうしてあんなにぺこぺこ頭を下げているのだろうと思ったそうです。でも中国人にとって、そう感じるのは当然だと思います。なぜなら現在の中国ではお辞儀をする、頭を下げるといった挨拶の仕方は、ほとんど行われなくなっているからなのです。

現代の中国では頭を下げるお辞儀はなかなか見かけません。人を照会された時でもお辞儀をせずに握手をします。社会主義国家が建設されて以来、頭を下げるお辞儀は封建時代の上下関係の名残を残すものとして行われなくなってしまったようです。たとえ紹介された相手が国家主席であろうと、対等に握手をして挨拶をしますが、日本人はやはりお辞儀をする習慣が身に染み付いているのか、握手をしながらお辞儀をしている姿を良く見かけます。中国でこのように握手をしながらお辞儀をしている人がいたら、まず日本人だと思って間違いありません。

私が電話で頭を下げているのを不思議に思っていたA君やB君には「相手が見えないだろうと思っていい加減に対応していると、それは知らず知らずのうちに相手に伝わってしまうものだ。謝っている時に頭を下げている姿は相手には見えないかもしれないが、その態度は不思議に相手にわかってしまうのだよ」と説明しました。はたしてどこまで日本人の気持ちを理解してもらえたかは???ですが…。

 

日本人は自動販売機にまでお辞儀をする?

 

中国人から見れば日本人はお辞儀ばかりしている国民だと思われているようで、広州外国語学院(現在の広東外語外貿大学)で日本語を専攻している大学生のWさんから

「この間テレビの日本語放送を見ていて、日本の子供の礼儀正しさに驚きました。自動販売機で飲み物を買う時、日本の子供は機械にも「ありがとう」とお礼を言い、そしてお辞儀までしていました。」と言われたことがありました。私は「それは何かの見まちがいでしょう。いくら何でもそこまでする子はいないよ」と即座に否定しました。

「でも本当に見たのです」と言い張るWさんに、私はしばらく考えて説明しました。

「たぶん貴方がテレビで聞いたと言う『ありがとうございます』と言う言葉は、飲み物を買いに来た子供が言ったのではなく、自動販売機の自動音声だったのではないかと思います。日本の自動販売機の中には音声による案内を内蔵したものもあるのです。お辞儀をしたように見えたのは、出てきた飲み物を取り出すために腰を曲げた時、お辞儀をしたように見えたのではない?」と。これは私の推測ですが、それしか考えようがありません。そこまで礼儀正しい子供がいれば日本の将来も捨てたものではないのですが…。        

 

給料いくら?と平気で聞く中国人

 あまりよく知らない人から「貴方給料いくら?」と聞かれたら、日本人ならびっくりしてしまいます。日本人同士ならまずこのようなことを聞くと言うことはありませんが、

中国人の間ではよくあります。

中国人にこう聞かれると、たいていの日本人は、「本当の金額を言えば相手が驚いてしまうだろうし、日本と中国の物価の違い、税金や保険等の天引きされる金額もたくさんあるし、どう答えたらいいのか…」と考え込み、困ってしまうようです。

 私も中国人からこのようなことを聞かれたことが何度もありますが、適当にはぐらかしています。「そんなに多くないよ」、「多くないって、どのくらい?」、「家族4人が生活して行くのに何とか不自由しない程度」、「不自由しない程度って?」「中国で私くらいの年齢の人がもらっている給料と比べて、お金の価値から考えれば同じくらい」と答えたりして、具体的な金額は言いません。たいていの人はそれで納得して(あきらめて?)それ以上追求してきません。

 日本人にとって、お金のことをあからさまにすることは親しい間柄であってもタブーとされていて、他人に給料の金額を聞いたり話したりするような失礼な人はいません。

でも中国人にとってお金の事を聞くことは決して失礼なことではなく、誰でもごく普通に聞いたりする話であり、聞かれた方も別に何とも思わずに平気で答えています。

 

もう離婚した?

 

 聞くのは給料のことだけではありません。年齢や恋愛、離婚などと言った普通では聞きにくいようなプライベートな問題でも平気で訊ねたりします。

 私の知り合いの女性ガイドのJさんは、金銭問題からご主人とよく喧嘩をし、夫婦仲があまりよくありません。私は彼女と話しをする時はなるべくご主人の話は避けてするようにしていましたが、一緒にいた同僚のGさんは「ねぇ、もう離婚した?」と平気で聞き、聞かれた本人も「ううん、まだ。今裁判所で離婚調停中なの。」と答えます。

Gさんはなおも追い討ちをかけるように、「新しい彼氏いるの?」、「うん、知り合ってまだ2ヶ月だけど、今の旦那と離婚できたら結婚するつもり」、(エッ!別の彼氏がもういるの?それですぐ結婚!?)

そこまで言うか?と思えるようなおしゃべりが続く、ある昼食時の会話でした。

 

中国人のマナー(礼節)とモラル(道徳)

 

 中国人の友人の家に行くと、アパートの公共スペースの廊下や階段は、各家庭から掃き出されたごみが積もっていたりして非常に汚いことがよくあります。でも一歩部屋の中に入ると外の汚さとは正反対で、非常にきれいに掃除されています。日本では自分の部屋のごみは部屋の中で片付けて処理するのが当たり前ですが、中国では全部廊下に掃き出してしまうので、廊下や階段がごみだらけになってしまうのです。

街を歩いていても、食べながら歩いている人が食べ終わった紙袋や紙コップを平気で道端に捨て行きます。また所構わず、つばや痰を吐いたりする人も多いので、私なんかはどこかで「カーッ」という音が聞こえたら、次の「ペッ!」に備え、思わず道路わきによけてしまう習慣が身についてしまいました。日本でも私たちが子供の頃は時々見かけたことがありましたが、現在ではマナーが向上し、ほとんど見ることはありません。

 中国政府でも2008年の北京オリンピックに向け、マナー向上キャンペーンを推進していますが、私は一般の人々のマナーに対する意識をそう急に変えることは難しいのではないかと思っています。

「衣食足りて礼節を知る」という言葉がありますが、人間は誰でも着る物に不自由したり、食べる物が無い時は生きて行くのに必死で、礼儀や道徳のことまでは考える余裕はありません。それらが十分満たされてから初めて、礼節のことを考えることができると言う意味ですね。

最近の中国経済の発展は目を見張るものがあり、それに伴って生活文化の向上も以前と比べ驚くほど向上しました。もう衣食足りた生活をしている人も大勢いますが、依然として中国人の心の中には「私一人がごみを捨てなくても、他の人が捨てるから同じだ。私一人がマナーを心がけても何も変わらない、だからやっても仕方がない」と考える考え方が無くなりません。

 では今後も中国人のマナーや公衆道徳と言ったものに対する考え方は変えることができないのでしょうか?中国人はいつまでも利己主義で、公衆道徳や公益優先とは全く縁のない社会を維持し続けるのでしょうか?

 私は将来、中国も必ずこういった社会道徳感が改善され、公衆道徳の広く行き渡った社会になると考えています。なぜなら日本も同じ道を歩んできましたし、同じ中華民族である台湾やシンガポールの例を見ても、そのことが予想されるからです。ただその日が来るのがいつなのかは、私も大きな物差しで計るしかありません。

 

北京で1回、広州で2回

 

マナーとモラルの話をしたついでに中国における犯罪についてお話しましょう。北京で1回、広州で2回とは、私が財布を盗まれた回数です。なんてヘマなことを、と思われるかもしれませんが、彼らの盗みのテクニックは芸術的なほどすばらしい?のです。        

まず北京編からお話します。1988年12月、私が中国に駐在してから日本で中国担当になった新入社員のAさんが研修のため北京にやってきました。彼女を中国の旅行社に紹介したり、観光客が行く場所を視察するため市内を案内していましたが、お昼時になったので近くの北京飯店で食事をすることにしました。当時の北京飯店は国賓クラスもよく使用する最高級のホテルで、新入社員のAさんにも見ておいて欲しかったからでもあります。

食事が終わり1階のコーヒーショップで、これからのスケジュールの打ち合わせをすることにしました。(本筋とは関係ありませんが、国賓クラスが宿泊するようなホテルのコーヒーがインスタントコーヒーなのです!ミルクの代わりには頼みもしないのにクリープがすでに入っており、溶けきらずに上に浮かんでいます。しかもたっぷり砂糖も入れてくれているといった親切ぶり。コーヒーに砂糖を入れない私は、「もっと外のところでサービスすることがあるんじゃないの!」と心の中で叫んでいました。)

 セカンドバックを横の椅子の上に置き、地図を広げてこれから行くところの場所を教えたり、北京の観光地の場所を教えていました。一通り説明が終わり、そろそろ出かけようと財布の入ったセカンドバックを取ろうとした時、手品のように跡形も無く消えてしまっていたのです。隣にいた私も、前に座っていたAさんも全く気がつきませんでした。中には財布のほか、パスポート、居留書、事務所と自分の部屋の鍵、それに日本人商工会の忘年会カラオケ大会でもらった最優秀歌唱賞・副賞の「M日本食レストラン」500元食事券(その当時の2万円相当額)が入っていました。「財布はいいから食事券だけでも返せ、ドロボー!」と叫びそうになりました。

 次は広州編です。広州ではドロボーを目撃しているのですが、まさかそれがドロボーだとは思いもよりませんでした。

 1日の仕事が終わり、我社のS部長とKさんの日本人3人で近くのレストランに夕食に出かけました。円卓に3人で座り、私は着ていたスーツの上着を自分の椅子の後ろに掛けました。食事が終わり、支払いをしようとしてスーツの内ポケットに手を入れると、財布がありません!どうして財布が無いのか不思議に思っていたところ、Kさんが「総経理の後ろに携帯電話をかけている中国人がやって来て、電話をするのならどうしてほかの空いているテーブルの所でしないのかなぁと不思議に思っていたのですが、食べる方が忙しくて、注意して見ていませんでした。」と言うのです。S部長も「私も見ました。どうして総経理の後ろで電話するのか、変な男だなあと思いましたが、いつの間にかいなくなっていたので、気にしていませんでした。」と言うのです。私は後ろにいたという男の存在にまったく気がつきませんでしたし、内ポケットの財布を盗ろうとすれば、椅子の背もたれの前から手を伸ばさなければならず、本人や一緒に食事をしている仲間の目もあるはずなのに、よく盗めたものだと感心するやら、腹が立つやら…。

現在ではこのような盗難を防止するため、背広を椅子にかけると服務員が椅子の背の部分をすっぽりと覆うカバーをかけてくれるレストランも出てきています。

 広州のもう1件については、もうこれ以上言うと皆さんにバカにされそうなのでカットします。

 皆さん、中国に行ったら引田天功のようなマジシャン並みのスリがいますので気をつけましょう!

 

携帯電話を半分盗られた?

 

 今度は携帯電話の盗難の話です。これは残念ながら?私の話ではありませんが、広州で実際にあった話で、広州日本商工会会報(2006年7月号)にも掲載されました。

 K貿易のN所長がタクシーに乗っていた時のことです。後部座席でメールを打っていた時、ちょうど信号待ちになり、一時停車。タクシーはセンター寄りで停まっていたのに急にドアが開き、アッと思った瞬間、携帯が中国人の男にわし掴みにされていました。思わず携帯を握り締めるN所長と無理やり取ろうとする男と、携帯の奪い合いになってしまいました。男が思い切り引っ張ると、ベキッ!という鈍い音と共に上半分がもぎ取られてしまいました。携帯の上半分だけを握り締めた男は、最初何が起こったのかわからないようでしたが、ふと我に帰り、やっと状況を理解して形態の半分を投げ返して逃げて行ったそうです。

皆さん、日本では考えられない話ですが、広州でタクシーに乗った時は、携帯で電話やメールはやめましょう!ドアもロックをかけましょう!

 

氾濫するニセ札

 

 日本ではまだまだ少ないニセ札事件ですが、ニセ札は中国では日常生活の中に完全に溶け込んでいる?と言って過言ではありません。買物をしたり食事をした時にお金を払うと、店員は必ずお札をひっくり返して透かしの濃さを見たり、引っ張って紙幣の音を確かめたりします。それはそれほどニセ札が出回っているということと、ニセ札を受け取ってしまえばその受け取った本人が弁償しなければならないからです。

 日本では万が一ニセ札を発見した場合、銀行に持って行けば本当のお金に換えてくれますが、中国では日本と違い、ニセ札を銀行に届けても交換してくれません。そんなことをすれば中国の銀行はたちまちニセ札の山となり、すぐ倒産してしまうでしょう。

ニセ札を受け取ってしまえば、自分の責任として使わずにおくか、知らないふりして誰かに渡してしまうか、どちらかになります。利にさとい中国人が取る方法はもう説明しなくても分かりますね。そうです、何とかして誰かに渡そうとします。そしてそれをもらった者もまた誰かに渡して行きます。こうしてトランプのババ抜きのような現象が延々と続いて行くことになるのです。

 

アンタがくれたのはニセ札だよ

 

 またまた私がだまされた話ですが、広州の空港から市内までタクシーに乗った時のことです。自分が住んでいるところに着き、高速道路料金を含め合計106元を運転手に渡しました。いったんそのお金を受け取った運転手は後ろを振り返り、「貴方がくれたこの100元札はちょっとおかしい。念のため違う100元札と換えてくれないか」と私が渡したという100元札を返してきたのです。私はいつの間に自分がニセ札をつかまされていたのかと驚きましたが、運転手に急がされ、もう一枚100元札を渡して

タクシーを降りました。タクシーを降り、運転手から渡された100元札をよく調べてみると、ちょっと見ただけでは見分けが付かないほど精巧にできていますが、紙質が少しつるつるしているのと、毛沢東の透かしがやや薄いことでニセ札だとわかりました。        

 落ち着いて考えてみると、私が持っているお札は昨日中国銀行で下ろしてきたばかりのお金で、ニセ札が入っているわけがないと気がつきましたが、もう後の祭りです。

あの運転手は私から受け取った100元札をすばやくニセ札とスリ替えて私に渡したのです。

「警察に訴えてやる!」と、もらったレシートを見ると、ちゃんとタクシー番号と連絡先のところが破られていました。(さすが!…感心してどないすんの。)

 ちなみに、もらったニセ100元札は決してほかの人に渡したりせず、今でも記念品として持っています。ババ抜きで使うには私はまだ度胸も足りませんし、技術も未熟だからです。(2008年3月記 7,013字)  

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