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あの中華ピザ騒動はなんだったのだろうか?~目まぐるしく変わる上海の飲食ブーム

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2006年4月28日

<上海経済>

あの中華ピザ騒動はなんだったのだろうか?
目まぐるしく変わる上海の飲食ブーム

藤田 康介

  日本でも上海に関係のある雑誌やサイト、さらにブログなら一度は取り上げられたであろうと思われる「中華ピザ」こと「土家族焼餅」。今ではすっかりブームもさり、上海市内の各店舗は閑古鳥が鳴いている。熱しやすくて冷めやすい上海市民の特徴を如実に現したような騒ぎだった。ここで改めて「土族焼餅」について検証してみよう。

 

 まず、「土家族焼餅」について少し説明しなくてはならない。その起源はどこにあるのか? 実際のところ諸説がありはっきりしない。ただ湖北省武漢で流行したのが始まりという説が有力だ。2005年の秋ごろに武漢の小中学校のまわりで売られていたのが始まりで、スパイシーな匂いと、もとも辛いものを好む風土から、児童・生徒たちの朝食として流行した。とくに調理に複雑な手順を踏むわけでもなく、要は小麦粉をベースにしたインドのナンのような生地に、香辛料や肉、白ゴマなどをふりかけてオーブンで焼いたもの。見た感じがピザのようなので、「中華ピザ」という異名ももった。

さらに、一般的にビニール袋に入れられる「小吃」と違って袋にも工夫がされている。これは、「土家族焼餅」が温度300℃の高温で焼かれるため、ビニール袋に入れることができないためだ。そこで、紙袋に入れられている。これが外観的にも新鮮で、一時巷に食べられた後に捨てられた紙袋が散乱して問題になったほどである。

 

土家族という民族は、中国に実際にあるようだが、民俗学の専門家によれば、実際にこのような土家族焼餅を作って食べていたというわけでもないらしい。いずれにしろかなり曖昧なことは確かで、土家族とは関係がないという見方が一般的のようだ。 

    創設者はだれなのか? 

とりあえず一般的に知られている範囲では、「土家族焼餅」をはじめて湖北省武漢で始めたのが、27歳の女子大学生晏琳といわれている。おそらく現在のような販売方式と商品化に成功したのは彼女が最初だろう。2005年登場当時の商品名は「掉渣焼餅」で、改良を重ねながら加盟店方式で店を増やしていった。そして、「掉渣児」に改名し、2005530日に「掉渣児」の名称を国家商標局に申請している。

ところが、不思議なことに「掉渣児」は武漢以外では一切店を展開していない。なのに北京など中国各地で店が増えていった。2005年に武漢に登場して、その年の秋口には上海にまで伝わっている。

例えば、北京のある店主が湖北省のある人から数十万元を払ってレシピを購入したなど、こういった噂は絶えない。実際、どの店のレシピも微妙に違うようで、各店の言い分もまったく異なる。

では、だれが上海ではじめてこの「土家族焼餅」を始めたのか?これも諸説が交錯している。「イタリア式餅」を始めた安徽省出身の許元宏が開発したとか、いろいろ言われている。現在、上海の巷には「中華ピザ」と称する「土家族焼餅」と似たような名前が氾濫しており、コピー物の氾濫でどれが本物かも分からなくなっているのが現状だ。 

 

    饅頭戦争の果てに 

こういった小さな上海の飲食店の進出の背景には、いろいろなドラマが隠されているのが普通だ。上海人の中でも特に記憶に新しいのが、「巴比饅頭」を創設した安徽省出身の劉会平氏のエピソードだろう。実は、彼の発展の背景にも「土家族焼餅」が少なからず関わっている。

その前に、すこし「巴比饅頭」を紹介しなくてはならない。饅頭とは肉まんや野菜まんなど、中国人の朝食などに欠かせることができない食べ物だ。普通、巷では10.5元から1元前後で売られている。材料費が安いだけでなく、作るのも簡単なので、小さな飲食店には大抵饅頭を蒸すセイロが置かれている。そんな中で、この「巴比饅頭」店は、上海で筆者が記憶する限りではおそらく初めて、饅頭の専門店として加盟店形式で店を出店した。

つまり、限りなく材料を工場で生産したものを、加盟店に配達し、品質の一定した饅頭を市民に提供するというものだ。安い単価は徹底したスピード戦略でまかなう。そういう作戦だった。その当時、饅頭という食べ物はあまりにもありきたりすぎて、上海には不思議にも饅頭を専門に売る専門店がなかった。そこに目をつけたのが、若干30歳ほどの劉会平なのである。(写真は本物の「巴比饅頭」店)

彼の予想は見事にあたり、「巴比饅頭」は上海の朝食市場に見事に食い込むことに成功した。しかし、この成功を目のあたりにしたライバルたちが、こぞって「巴比饅頭」のクローンを作り始める。そこが中国らしいところだ。

そのやり方といえば、店のつくりや配色も「巴比饅頭」そっくりにし、さらに名前も「比巴饅頭」とか紛らわしものを使う。 さらに極めつけは本家本元のすぐそばでも商売を始めるのである。

 

そこで、劉会平は裁判も起している。劉会平率いる上海巴比餐飲有限公司は、巴比の捏造をしたとして、饅頭を販売していた耿徳伍の率いる上海科比食品有限公司を訴えて勝訴している。筆者はこの現象を「饅頭騒動」と名づけている。 

その後、劉会平はさまざまな困難を乗り越え、11元前後の饅頭の販売を成功させ、劉会平の現在の収入は今では年間50万元から60万元にも達するといわれている。彼の立身出世の話は、上海にいる多くの出稼ぎ労働者に希望を与えたものである。この「巴比饅頭」は、オリジナルの持ち味を出し、今でも行列ができるほど成功している。新しい商品開発にも怠りがない。やはり何事でも創始者が一番強いのである。 

一方で、この饅頭騒動で敗訴した耿徳伍は自分の会社、上海科比食品有限公司をとりあえずたたみ、起死回生を狙う。その後、上海新道餐飲管理有限公司を設立、武漢から取り入れた「土家族焼餅」の販売をはじめる。これが「土家焼餅大王」チェーンの始まりである。今でも閔行区七宝古鎮の入り口に本店がある。

耿徳伍が狙うは上海人の朝食市場だ。そこで、地下鉄駅周辺をターゲットに出店をはかる。「巴比饅頭」方式同様にこちらもフランチャイズ式だ。店舗面積は15平米前後で十分で、その当時の加盟料は3万元〜5万元となっていた。

地下鉄周辺に出店というのがあたった。出勤前の市民が土家族焼餅を買うために行列をなすようになる。一時はケンタッキーやマクドナルドに対抗するか、というぐらいの勢いが見られた。饅頭店から「土家族焼餅」に暖簾を架け替える店も出てきた。いずれも簡単な設備で、同じようなスペースですぐに開店できるので、架け替えるのは簡単だった。上海でも好調なときは、1ヶ月で6万元の売り上げがあった店もあった。(写真は地下鉄シン庄駅での「土家族焼餅」行列)

 

饅頭騒動で痛い目にあった耿徳伍は、工商部門に登記を済ませ、偽物対策にも力をいれるはずだった。しかし、国家商標局に登録申請する間、18ヶ月間その商標を公示することが決められている。となると商標として登録するには少なくとも1年半程度の時間が必要である。登記手続きをしている間にも、土家族焼餅の大成功をみた人たちが、市内あちこちに同様の店を出し始めた。結局は、饅頭騒動での経験を生かすことができなかった。

今では土家族焼餅の名前をもじった店が乱立している。ちょっと書き上げるだけでも「土家焼餅大王」以外に「掉渣王」・「餅王」・「土家焼餅」・「土掉渣」などなど名前が出てくる。饅頭騒動と同じように店はどこもほぼ同じデザインで、店の看板だけが微妙に違うというったものがほとんどだ。

 

    末期症状 

中国での流行の末期症状はマスコミなどの動きをみれば一発にわかる。初めはブームを駆り立てるような記事が多かった上海の新聞各社もだんだんとトーンを落とすようになってきだ。

特に決定的だったのは、20063月に入って「新聞晩報」など夕刊各社が「土家焼餅」の不衛生を訴えたことも関係している。あまりにもの急いで金儲けをしようとしたために、衛生許可証や営業許可証を取得せずに開店した店や、原材料の保管のまずさ、調理している人がマスクや手洗いもせずに「土家焼餅」を作っていたことが暴露され、各地区の食品薬品監督所が調査にはいって閉店に追い込まれた店も少なくない。

また、当初は秘密とされていた「土家焼餅」のレシピもインターネットで流出しはじめた。加盟店に加盟するためのハードもどんどん低くなり、1000元から3000元もあれば土家焼餅を作るための資料一式や、店内装の業者、機材などを一切合財教えるというところがほとんどになった。さらに「土家焼餅」を1枚つくるコストは1枚0.5元程度で、12元の販売価格からすれば、単純に見てもかなりの利益がでることになることまで暴露されている。

考えてみれば、土家焼餅をつくる各店の内装はいたって簡単。一般に間口3メートルほどのテナントなら、内装費は1000元前後、これに2500元前後でオーブンを買ってしまえば、後は材料費と家賃、人件費だけ。一般に店ができる空間さえあれば、5000元前後で開店できてしまうといわれている。

一般にこのような小吃と呼ばれる簡単に食べられる食品の売り上げは、夏場に売り上げが落ちこむ。饅頭にしてもそうだ。2006年の上海の「土家焼餅」は上海での初めての夏場を迎えるわけで、この時期に相当数の店が淘汰されるだろうと予想されている。

そこで「土家焼餅」側もなんとか起死回生をしようと作戦を練っている。その一環として登場したのが、2500元で「土家焼餅と韓国式烤饅頭とエッグタルト」などを組み合わせた販売方式である。すなわち、2500元の「学費」を納めれば、この韓国式烤饅頭の作り方を教えようというものだ。また、飲み物と組み合わせてセットで販売するところも出始めている。

筆者も実際この韓国式烤饅頭を食べてみたが、感想はいわゆる蒸しパンをオーブンで焼いたようなもので、とくに中に餡が入っているわけでもなく、とても長続きするような食べ物とは思えない。しかも、これでさえ現在すでに真似したものが出回っている。

 

                                           韓国式烤饅頭

    土家焼餅の失敗を考察する

 

 新鮮味のあった当初は、武漢でも行列ができたほどだが、その後徐々に人気も失せてきた。人気が出始めるのも早かったが、衰えるのはそれ以上に早かった。ただ、特筆すべきことはほぼ中国全土の主要都市にこの「中華ピザ」が広まったという点だ。いずれも店先に長い行列ができるほどの人気だった。

 上海だけでなく、杭州・寧波など浙江省各省で流行しだしたのも秋も深まる200510月ごろ。ある店では、1枚2元の「中華ピザ」が多い日では4000枚売れたという。単純に1日の売り上げを計算しても8000元(約11万円)にもなる。しかし、2006年春になると、もう息切れがではじめ、繁華街の店でも今では10分以上待たないと客がこないところにまで落ち込んでしまった。

 

 今回の騒動を見ていて、単純に思った感想は、典型的な「中国式」商売の結末ということだ。つまり、高い技術力やレシピがあるわけではないのに、大当たりしたため調子に乗ってしまい、足固めや管理体制を十分にしないまま、店を広げてしまった。

さらに秘伝のレシピといいながら、これらレシピが勝手に走り出してしまい、秘伝ですらなくなっている。そして成功をいいことに、技術を知った人たちがどんどん独立して店が増えていった。「土家焼餅」がだめになって、今度新しい商品を開拓しようにも、その新しい商品ですらすぐにコピーが出回ってしまう。中国では何かビジネスを展開する際に、真似をする、コピーをする、という行為に一切抵抗感がないだけに、別に後発であろうとなんであろうと関係ないのである。

さらに、「土家焼餅」が売れなくなると、肝心の技術の向上や研究を怠り、今度は加盟店を増やして加盟費用を稼ぎ出そうとする店も増えてきて、店の急増に拍車をかけ、結果的には自爆してしまうことになるのである。ちなみに2006年4月現在、国家商標局に出された「土家焼餅」に関係のある商標の申請は17件もあるそうだ。

このように、経営理念すらなく、小手先の金儲けだけに商売を展開していくビジネスモデルは、この中国ではよくあるのだが、今回は中国各地に全国的ブームを起しただけに、いろいろな話題が尽きない。

しかし、中国は広い。中国各地を旅行するといろいろな食べ物に遭遇する。筆者自身もこれまでこれはいけそうだ、と思ってしまうようなものに遭遇したことが数々ある。きっとこれからも「土家焼餅」のような食べ物が続々と上海に登場するに違いない。

中国全土でのファーストフードの年間売り上げは1800億人民元。このマーケットへの魅力は大きい。


(06年4月記・5,096字)
上海エクスプローラー
中国ビジネス解説編集委員

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