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大きな転換点を迎えた中国進出先発のペテラン日系企業-アイリスの21世紀戦略-

中国ビジネスレポート 各業界事情
旧ビジネス解説記事

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2004年9月14日

<各業界事情>

大きな転換点を迎えた中国進出先発のベテラン日系企業
―アイリス新たな21世紀の中国ビジネスの構図構築―

アジア・マーケット・レビュー 2004年9月1日号掲載記事)

成長が更に次の成長を呼ぶ

 現在、江蘇省、浙江省を含むグレート上海地区には日系企業だけでも毎週20社が進出している。成長が史に次の成長を呼ぶ。このことは、中国経済が問題点を多くかかえながらも成長できる体制を確立していることを示している。その最大の要因は為替である。
 北京オリンピックの前か後かの議論はあるものの近い将来元は確実に上がる。このことは、例えば10億円をかけて工場を建設すると15億円の価値になる。会社が、中国で1,000万円の預金をすると1,500万円となる。ブラザ合意以降日本が体験したことが中国でも実現するということである。
 そして、世の中には先見性があり、こんな流れを先取りして相当早めに進出した企業がある。この先見性ある会仕が、後からこの成長のうま味を求めて集中豪雨的に外国企業が進出してくるとどんなビジネスとなるのであろうか。成熟した中国ビジネスは今後どう動いていくのであろうか。これを中国進出先発の代表企業のひとつであるアイリス(本社・徳島県脇町)の事例から述べて見たい。
 同社が、最初に中国へ進出したのは、今からちょうど15年前の1987年に国営企業である上海のシルクエ場に保証貿易方式で婦人下着の生産委托加工を行ったことに始まる。それまで同仕は、韓国やタイで生産委託加工を行っていたが、コスト高で割りに合わず、中国に生産拠点を移すことにした。

アイリスから始まる上海浦東金橋出口加工区

 それから2年後同社の運命を決する天安門事件が起きた、徳島の自宅でテレビのニュースを見ながら不謹慎にもその時、佐々木充行社長は興奮で身体に電流が走ったと言う。直感的に30年に1度あるかないかというビジネスチャンスがアイリスにやって来たと考えた。
 その時、佐々木社長は取るものも取りあえず、すぐに当時仕事を発注していた天津の香港系委託先工場に向かうため北京行きのジャンボ機に乗った。その時、客はたったの8人であったという。それはそうだ。普通の人は日本へ帰るのに自分は北京へ行くのだから当然である。さて、当時天津工場の責任者の沈維銘氏(現在上海愛麗絲製衣有限公司総経理)であるが、てっきり佐々木社長が天安門事件で工場は大丈夫かとの確認に来たかと思っていたら、「中国に工場を作りたい、力になって欲しい」と言う。それも工場は上海の浦東に作りたいというので2度びっくりした。
 浦東の工場地区である金橋出口加工区は、アイリス(上海愛麗絲製衣有限公司)から始まっている。何もない田畑の中で好きな所を選んでといわれ、そこを選んだため同社の工場が中心になり工場地区が拡がった。当時、中国では繊維工場などの労働集約型の産業は100%子会社の事例はほとんどなかったが許可された。まさに中国ビジネスの勝利の方程式とも言える一番乗りをまずしっかり得たのである。

西安ではタクシー事業をビジネス化

 浦東のビジネスがそろそろ軌道に乗り出した頃、徳島県の国際交流事業の一貫でアイリスに1年間研修に来ていた西安市政府の王三茂氏の熱心なラブコールに心を動かされた佐々木社長は、1992年の11月西安に出向いた。
 しかし、彼の熱心とは裏腹に当時の西安の投資環境は最悪であった。生産量の70%を輸出するという条件が義務づけられている製造業では、内陸の西安では難しい。上海や北京のような消費市場も育っておらず内需も難しい。産業インフラも何も揃っておらず、市民の側も市場経済に慣れていない。ないない尽くしで、何もないところはないのである。「タクシーはどうですか」その時西安に同行していた沈氏が思いがけない提案をしてくれた。
 さて、西安でのタクシーの事業だが会社が車を社員に貸す日本方式でやっていては車を粗末に扱われてはかなわない。これはもう国民性の違いだからどうしようもない。そこで佐々木社長は、会社が車を購入し、その車に応募した運転手から保証金35万円を取って車を賃貸する。後は毎月、運転手から車の使用料、維持管理費を納めてもらう仕組みを開発した。そして、10年間無事タクシー業を勤めるとその車は運転手所有となる。そんな方式とした。以後、これが後に西安地域でのタクシーの事業運営方式となる。

中国ビジネスの軍師を確保

 この他アイリスは、王三茂の人脈を生かして西安地区でも次々と新しい事業を展開する。西安市のど真ん中にランドマークタワーをつくるという「不動産業」、不足するニワトリを飼う「養鶏業」、そのニワトリの飼料などを供給する「家畜飼料業」、ニワトリの卵を輸送する時に入れるトレイを製造する「卵用紙トレイ等製造業」など次々と合弁企業を手がけ、当時外資系企業がなかった西安にアイリスありといわれた。
 しかし、同社の中国ビジネスとしてはこのピークを迎えたこの頃から佐々木社長は、今後外資系企業が多く進出してくる、ローカル企業が大きく伸びてくるという今日の状況を読んでいた。
 まず、会社の体カ以上に大きな投資はしない。どの事業も、日本企業、中国企業とパートナーを組んで行う。ビジネスは攻め時とひき時を間違えない。これは、秀吉の名参謀の黒田官兵衛を思わせる王三茂氏が常に付きっきり事業を支え続けたことも大きい。
 そして、その状況は佐々木社長の予測よりもかなり早くやってきた。まず、中国のローカル企業の目を見張る成長である。信じられないことだが、内陸部の西安にも今や工業団地、ハイテクパーク、オフィスビル、マンションがすごい勢いで建設されている。もちろん、多くは埋まってないがどんどん建設されている。世界的な古都西安はどうなるのかというようなハイピッチである。
 前出の軍師王三茂氏は、「アイリスがランドマークタワービル凱愛大度を考えた頃、この西安に大規模なオフィスビルを考えた会社はなかった。信じられないことだが今は100社前後はある。中国企業、台湾企業、香港企業などのプロジェクトが目白押しだ。このバブル的状況に政府が押さえ気味に動いている状況である」と語る。

理解されなかったオフィ不ビル賃貸事業

 彼が、精魂を傾けたランドマークタワービルは、陵西省政府、西安市政府などが建ち並ぶ西安市の城壁市街地のど真ん中に高さ60m、敷地面積2万坪、高名な寺院の奥の院を思わせる高層部分と近代的なオフィス部々、ショッピングセンターなど西安市内のビルのなかでもピカイチである。
 もともとこの場所は小さな店が並んでいた。そこを彼が一軒、一軒説得して回りながら用地買収して作ったプロジェクトである。うまく事業は進んだ。しかし、次なる難関が待っていた。
 それは、当時西安地区ではまだ賃貸という概念が定着していなかった。今でも賃貸は多くの中国企業がやりたがらないのに当時であるから無理もない。もちろん、一番賃貸向きである日系企業、欧米企業は当時はまだ進出していなかった。
 しかも、西安の目抜き通りであるからそれなりの企業でなければならない。結局、どうしても賃貸には応じてもらえずビルの多くの部分を地場の銀行と香港の銀行に分譲することになる。現在はこのふたつの銀行の支店がどっしり店を構えているが、軍師王三茂氏のくやしがることしきりである。
 次に、タクシー事業であるが同社は最新の運営ノウハウで先行したが、あとから真似るのは比較的やさしい。その後、ローカルのタクシー会社がどんどん参入する。いつの間にかタクシーが増え、現在では西安市内になんと100社、1万台の規模となった。そこで同社は、市内のタクシー会社を合併する戦略に出る。

しんどくなって来たローカル企業との鬩ぎあい

 当初160台の規模であったが、同様の規模の会社を2社買収し、500台規模にした。これも以前の日本と同様タクシーの台数が権利となりそんなに増やせないからである。
 前出の王氏は、「タクシー事業は過当競争であまり儲からなくなりました。10年に一度車の権利を売る時に多少収入が入るぐらいです(西安ではタクシーの運転手が経営者となり、経営権を10年単位で売るかたちとなっている)。現在は、不動産事業などいろいろな副収入でなんとか当初と同様な利益を確保している状況です」と語る。
 これが、「養鶏業」「家畜飼料業」「卵用紙トレイ等製造業」では更に厳しくなる。ローカル企業がどんどん追い上げて来るからである。この分野では、同社はニワトリや豚が病気になりにくい栄養剤の生産を行っている。検査機器やクリーンルームの整備、厳格な検査、品質管理体制などについては日本企業の方が信用と経験がある。この分野に特化し工場の建設と人材の確保を行っている。
 佐々木社長は、西安の事業の状況を、「大変難しくなりました。始めは何もなかったところに日本から事業を持ってくるから大ヒットする。しかし、彼らがノウハウを取得し、資金を持っと厳しくなります。そのビジネス速度がだんだん上がってきています。すると、次の事業を考えないと厳しくなる。しかし、工夫をすれば日本企業も生き残る道はあります。内陸部は、それでは輸出をして稼ぎましょうとならないから厳しいのです」と語る。
 確かに、西安で特異な経営をしていた漢方薬を製造、販売するA社、ソフトウエア開発のB社などを取材したが、会社はあるものの実際には開店休業で営業していない事例に出くわした。どの業種でも現地の企業と競争するようになると日本企業は多くが途端に厳しくなる。この坂を越えれるのか。越えられないのか。中国内陸部に進出した企業は多くがこの時期を迎えている。

(産能大学経営学部教授増田辰弘)

本記事は、アジア・マーケット・レヴュー掲載記事です。

アジア・マーケット・レヴューは企業活動という実践面からアジア地域の全産業をレポート。日本・アジア・世界の各視点から、種々のテーマにアプローチしたアジア地域専門の情報紙です。毎号中国関連記事も多数掲載されます。

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