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ログイン2015年11月5日
11月1日韓国ソウルで開催された、日本・中国・韓国ビジネスサミットに参加された、蝶理株式会社中国総代表の井上邦久氏よりホットな現地報告を頂戴しましたので、今回は同氏の承諾を得て、同氏の「北京たより」11月号をご紹介したいと思います。安倍首相、李克強首相、朴槿恵大統領の首脳が会場に登場する舞台裏を深読みしてあります。
中国たより(2015年11月)『日韓中』
木々が色づく紅葉の季節、韓国語では丹楓(タンポ)という古風な言葉が残っていると若い現地社員から教えてもらいました。但し、その社員も日常的に使う言葉ではないとのこと。一週間前の北京では銀杏などが色づき黄葉(HUANGYE)と呼んでいました。
11月1日、街路樹の丹楓が進むソウルで、第5回日・韓・中ビジネスサミットが開かれました。前もってパスポート明細や宿泊先の問合せがあり、厳しい警備への対応を促されましたが、会議式次第や発言者の詳細情報が届いたのは出発前日でした。云うまでもなく、2013年以来となる日本・韓国・中国の三ヶ国首脳会談に合わせた急な動きであり、三つのベクトルがなかなか揃わないままで何とか開催に漕ぎ着けた感じです。
会場のロッテホテル三階の下見をしてから、近くの繁華街の明洞を久しぶりに散歩しました。以前は看板やポスターに僅かしか見出せなかった漢字が随分増えたことが第一印象でした。次に年配の男には買うものが見つからないほど、化粧品・アパレルの店が圧倒的であることに驚きました。80后(1980年以后の生まれ、一人っ子世代)の中国人女性という、世界的にも購買意欲の高い客層を狙った通りでした。
いつもビルの谷間に残った大衆食堂での朝食から水先案内を務めてくれる現地法人のボスは、明洞から道を折れた処にある二十世紀初頭に創設された華僑学校、その隣の中国大使館(旧中華民国大使館址)に導いてくれて、中韓国交樹立(=台湾との国交断絶)前後の話を聞かせてくれました。向かいの建物には国民党のシンボルが刻まれたまま残り、その前では反中国政府のビラを配る人もいました。そのどちらにも目を留める人もなく、大使館警備員は増強されているとはいえ、雰囲気はのんびりしていました。
会議会場では、屈強の私服警官が目立つ程度(本来は目立ってはいけないはず?)で、入場カード登録も安全検査も緩やかでした。開始前の榊原経団連会長の表情も穏やかで、高揚感とともに安堵の色が窺えました。
二つのセッションに分かれたパネルディスカッションには、韓国は政府高官OB中心、日本は経団連副会長のお二人、中国からは王府井百貨店社長、安邦保険総裁といった民間人がパネラーとして参加されました。
韓国側から、北朝鮮に市場経済指向の兆しがあるので、物流投資を三ヶ国で支援しようとの提案。更にはロシアも睨んだ北東アジア開発への参画要請がありました。二週間前に、北朝鮮と中国の国境の新義州と丹東で経済開発区構想が「始動」したという報道もありました。何年も前から「始動」し続けているので、今回はギアチェンジが有るのか無いのか現地確認が必要かなと思っています。
中国側から、北朝鮮関連については具体的な動きを知りたい、という冷ややかな一言。一路一帯、アジアインフラ銀行(AIIB)などの政策のアピールとGDPの1%の意味が、10年前・20年前に比べて実額ベースでは大きく異なっていることから、7-9月の前年対比の成長率が目標より0.1%少ないことについての議論の不毛さを強調する「民官人」発言が記憶に残りました。
日本側からは、日本は色んな提案企画に反対しているわけではない。いつもドアは開いている。ただ、内容や運営手法を透明にしてもらいたいだけだ、というYES、BUTの印象。
いずれも、同時並行して行われている三ヶ国首脳会議の動きを見守るハーフウェイの立場であり、踏み込んだ議論にはなりにくい環境だと同情しました。そして、会議最終章の時間、にわかに報道関係者の数が増え、政府関係者と警備担当が増えました。
目の前のテーブルに着いた韓国の李外務大臣の後ろ髪が少々不自然だなと思う間もなく、中国の王毅外交部長(外務大臣)が親しげに近づき、その肩を抱くかのようにして隣に座りました。遅れて静かに来場した岸田外務大臣は椅子一つ分の距離を置いて着席しました。衆人環視の中での三人の動きに、現下の三ヶ国の距離感と表現の違い(形式知と暗黙知)を感じてしまいました。
そして、朴槿恵大統領に先導された安倍首相と李克強首相の到着。まず三ヶ国の経済団体代表のスピーチ(いずれも経済界の足並みは揃い始めたので政府による支援を宜しく、といった内容)がありました。続いてビジネスサミットへの祝辞目的の簡単な挨拶だけかな、という予想は裏切られ、三首脳はそれぞれの個性と意見を出しつつも、言葉使いと表情を制御していることを感じました。中国語の同時通訳者が少し緊張気味の印象でした。
昨秋の北京にAPECBLUEと称する青空をもたらしてくれた会議での緊張感とギコチナサとは異なり、同じく一週間前の北京で共同声明発表に至らなかった「東京―北京フォーラム」の喰い足らなさ(或いは消化不良)とも違う雰囲気が会場にありました。
下世話な喩えでいえば、しっかり者の妹分が、意地っ張りの二人の男を何とか宥めている光景のようにも見えました。翌朝の新聞一面には、各紙各様の三人の写真が大きく掲載されていました。その写真の表情を見ながら、久米正雄による大正時代の新造語「微苦笑」という言葉を思い出しました。
数千年に及ぶ交流の歴史があり、今年は2000万人を超える相互往来のある日韓中三ヶ国のGDPは世界全体の25%近くを占めると言います。紅葉、丹楓、黄葉・・・それぞれの国で表現や色合いは異なっていますが、季節の変化を共に感じる地域の国同士であります。今回の集いを友好とか親善とかのお題目ではない現実的なパイプ、パイプが無理なら最低限の生命安全を保障するカテーテルを繋ぐ起点にしてもらいたいと切に思います。
関空に向かう夕方の大韓航空の機内食は,オニギリ一個でした。オニギリも今では日本・韓国・中国のコンビニで普通に売っている食品です。(了)
文章・写真:蝶理株式会社中国総代表・井上邦久
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