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ログイン2002年10月19日
異文化理解の難しさ
異なった文化的背景を有する複数の人間が、会社という一つのボート=運命共同体で仕事をするためには、お互いの文化を異文化として基本的に理解しておくことが重要であることは自明の理である。然るに、互いの文化を理解するというのは、まさに「言うは易しいが、行うは難し」を地で行くようなものである。ということは、いくら自明の理だと分かっていても、自明の理を実践に移すことができず、非常に歯がゆい思いをするということを意味する。
では、どうすれば良いのか?
私は、「文化」「異文化」という言葉を押える=定義することから始めるべきであると考える。以下が、私が今まで出会った最も気に入っている「文化」「異文化」に関する定義である。ちょっと長いが引用させていただく。
世界の異なった地域で暮らす,異なった集団の人びとは非常に異なったやり方で、彼等の個人的なまたは組織に根ざした活動を行なっている。それぞれの集団にとって,文化とは彼らのやり方の総合であり,それらのやり方に影響を与える事柄がすなわち文化である。そしてその文化が蓄積され,文化世界となる。社会が異なれば,そのやり方も異なる。物事がなされるやり方の差異は,社会の広い範囲での別の差異を反映している。それは例えば,歴史,地理的な位置,社会政治経済組織,言語,哲学,宗教,習慣的な行為,礼儀作法そして倫理における差異などである。(「異文化理解のコミュニケーション」ハリー・アーウィン著、柳井道夫訳、ブレーン出版、p15)
既にお気づきの方もおられるかも知れないが、この文章には「異文化」を感じさせるものがある。「、」であるべきところが、全て「,」になっているのである。オーストラリアでワープロに打つ際に、「、」がなく、苦肉の策として「,」としたのであろう。昔、日本で中国語の簡体字がなくて、仕方なく日本漢字に一々手を加えた経験のある筆者には、この本の製作にかかわった日本人達の歯がゆさと「やるっきゃない」という捨て鉢な気持ちが、ひしひしと伝わって来る。 それはさておき、この定義、いかがであろうか?
実に「文化」「異文化」というものが広がりをもった総体的なもの、体系的なものであることを示している一方で、具体的な文化の中身をも示したすばらしい定義ではないだろうか。
また、この定義は、「異文化」の大変重要な側面を指し示している。それは、一つのやり方の違いは、その社会の別の差異を反映しているという点である。すなわち、一つの社会における様々な側面は相互に緊密に関連しており切り離すことはできない、もっと言えば、一つの社会に生活する個人は、他の個人と緊密な関連を有しているのであり、切り離すことはできないということである。
ということは、一人の中国人ととことん付き合い、理解したからと言って、中国人または中国文化を総体的に理解したことにはならないということなのである。
話を在中国日系企業の職場に移すと、たまたま上司になった日本人と数人の部下との間で相互交流がはかられ、「異文化理解」が行なわれたとしても、必ずしもその「異文化理解」は、普遍性を持たない恐れが大いにあるのである。
「異文化理解」の真の難しさが、ここにあると言えよう。個々人は、ミクロの世界に住んでおり、接触できる人間の範囲は限られている。従って、異文化を理解せよと命じられても、限定された人間との接触からしか、異文化を身を持って体験することは出来ないのである。然るに、せっかく苦労して理解したつもりが、「異文化っていうものは、総体的なものだから、君の理解は、ごく一面的にしか正しくないよ」などと言われてしまい兼ねないのである。
釣りバカ日誌は効果絶大
前置きが長くなってしまったが、私は、それを補うものとして、「書籍」による異文化理解と「映画」による異文化理解を挙げたいし、お勧めしたいと思う。特に、「映画」こそは、総合芸術の名に恥じない、「異文化理解」の手助けとなるものと見ている。実際に、日本企業に働く中国人達に日本語を教える過程で、何種類かの「映画」を見せて実験をしてみたが、まさに「霊験あらたか」であった。大いに手ごたえがあった。
中でも、「釣りバカ日誌」の効果は絶大であった。「社長は、ああいう生活をしているんですか?」「役員会の雰囲気はあんな感じですか?」「谷啓みたいに上司にぺこぺこする人多いですよね」「女子社員がお茶くみって、やはりおかしいですよ。」「休みって取りにくいんですね」「電話の応対の勉強になります」「運転手はいくら位給料もらっているんですかね」等等・・・。
それに引き換え、「フーテンの寅さん」の方は、「??!!」といった感想が多かった。中には、日本に5年目という女性で、「寅さんの方が好き」などとのたまう御仁もいたり、やはり文化・異文化とは得体が知れないものだと痛感させられたこともあるにはあった。
問題は、この手法は極めて有効であるが、難点があるということである。それは、この手の映画を字幕なしで見て分かるようなレベルまで仕立てないと、この手法は使えないということ。できれば、早い時期に「映画」によって興味と向学心を煽って置くべきではないかと思うのだが、それが無理なのだ。いまだに中国語の字幕スーパー付のビデオやDVDは入手できない。いくら探してもない。
どこかの企業さん、日系企業の中国人社員の日本文化理解を促進し、会社の業績をあげるために、「釣りバカ日誌」に中国語の字幕スーパーを付けるスポンサーになっていただけないでしょうかね?
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