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中国人社員の目に映った日本、日本人、日本企業(16)

中国ビジネスレポート 労務・人材
田中 則明

田中 則明

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2005年5月23日

<労務・人材>

中国人社員の目に映った日本、日本人、日本企業(16)

田中則明

 異文化理解、自分とは異なったやり方をする別の国の人々、別の民族を理解することを旅に喩えてみると、それは、「果てしのない旅」という形容がぴったりとするようなものであると思われます。

 感想文を書いた四人の日系企業に勤める中国人たちもまさに、今、その「どこまで続く…果てしのない旅路」についているはずです。

 しかし、彼らは、自分が旅立った路程が、果てしのないものだと気づいているでしょうか? たぶん、気付いていないでしょう。恐らく、彼ら自身は、すでにかなりの旅程をこなしたと考えているに違いありません。中には、「私はいっぱしの日本通だ」などと自認している人もいるかも知れません。

 なぜ、人は、「異文化理解の旅」があっけなく終わってしまうものと考えがちなのでしょうか? それには、いろいろな原因が考えられると思いますが、私は、最大の理由は、「異文化理解の旅」が通常、疑いの余地のない自分の目で見たもの、肌で感じたものから始まるからだと見ます。誰だって、自分の目で見たもの以上に確かなものは、この世にないと考えているでしょうから。

 ところが、事はそう単純ではないのです。異文化というものは、前掲の定義に従えば、「やり方の総合」であり、体系的な、大きなものであるため、全体像を掴むことは極めて難しい上に、時間がかかるものなのです。

 もし、日本文化は、「アザラシ」のような形、中国文化は「鯨」のような形、アメリカ文化は「象」のような形をしている……などと全体像を捉えることができ、描くことができれば、人は、パターン認識力により、視覚的に様々に異なった文化を類型化することができ、その文化に直接触れたことのない者でさえも短時間のうちに一定の理解度に達することができるのかも知れませんが、残念ながら、そういった方法で異文化を説明することは不可能です。

 そうなると、人は、勢い自分の目に見えた部分、例えば、「アザラシ」の髭、「鯨」の尾っぽ、「象」の鼻を全体と取り違えてしまいがちです。この四方の場合で言えば、日本人の「仕事に対する姿勢」「品質に対する姿勢」「サービス精神」「規律」「礼節」「質素」「団結心」などなどです。それらが、間違っていると言うわけではないのですが、それだけでは、「なぜ、日本中に神社があるのか?」といった問いには全く答えることができないことになってしまい、日本や日本人を理解したとはとうてい言えないことになってしまいます。

 昨今、「反日デモ」「日本製品ボイコット」「領土問題」など日中間で吹き荒れる政治・外交の嵐の只中にあって、日中両国民とも、今こそ相互理解が不可欠だとの認識は日増しに高まっています。「もっとお互いを知れば良いんだ」「もっと話し合えば良いんだ」「もっと交流を増やせば良いんだ」「もっと意見交換をすれば良いんだ」「共同研究をやれば良いんだ」などと前向きの意見が多く聞かれます。

 しかし、私は、我々がこの問題に取り組む際に、「異文化理解とは何か?」「そもそも異文化理解はできるのか?」、といった問題意識を持ってかからなければ、付け焼刃的な対策しか出てこないのではないかと危惧します。別の表現をすれば、異文化理解、相互理解は、部分的にではなく、全体的にできなければ意味がない、という認識を持つところからスタートしないと上手く行かないと思うのです。

 私は、現時点で、最も大事なことは、日中両国民共に「異文化理解は難しい」という認識をしっかりと持つべきだと考えます。別の表現を使えば、「自分たちのことを相手に理解してもらうのは、至難の業だ」といった考え方を基本に据えるべきだと思うのです。「同じ人間なのだから…」「話せば分かる」「易しい、易しい」「うちは、うまく行ってるよ」といった甘い見方を捨てて、「これは難しい問題で、一朝一夕にはどうにもならないんだ」という基本認識を持つべきだと思います。そのような厳しい現状認識、問題意識を持ってこそ、初めて有効な解決策、改善策が見いだせると思うのです。

 さらに言えば、一人の人間が自分の目で触れ、肌で感じることのできる世界は極めて限られています。常に全体像を念頭に置きつつ対象となる社会を観察しろ、などと言われても、やはり、部分しか見えないのです。となると、異文化理解は、やはり、部分を捉えることから出発して、全体像を捉える以外に道はないのですから、どんなに洞察力、観察力に優れた人であっても、どんなに知識が頭にぎっしり詰まった人でも、どんなに知能指数が高い人であっても、一朝一夕には達成できるようなものではないはずです。ここでは、「私は世界を広く見て来たんだ。だから、中国のこともすぐ分かったよ」などといった自信過剰は命取りになりかねないでしょう。

(続く)

(2005年5月記・2,006字)
心弦社代表 田中則明

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