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中国人社員の目に映った日本、日本人、日本企業(17)

中国ビジネスレポート 労務・人材
田中 則明

田中 則明

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2005年7月26日

<労務・人材>

中国人社員の目に映った日本、日本人、日本企業(17)

田中則明

 前回、異文化理解の出発は、「異文化理解は難しい」という共通認識であるべきだと申し上げましたが、このことは強調し過ぎてもし過ぎることはないと考えます。特に、日本人と中国人の場合こそ、相互の文化理解の出発点は、「お互いを理解することは難しい」という認識から出発すべきだと考えます。

 「日中友好」とか「同文同種である」とか「同じ漢字圏に属している」などを根拠に、「日本人と中国人は容易に理解し合えるのだ」と自分を納得させようとする人が多く見られますが、異文化理解の旅は、このような「甘い幻想」とも言うべき「思い込み」からスタートするとどうしても途中で挫折してしまうと思うのです。

 ある日本の新聞の投書欄に、こういう内容の投書が載っていました。
 
『愛国無罪』のデモの最中、南京虐殺記念館を訪れた私(日本人)は、勇気を振り起こして、参観している中国人に「私は、日本人です」と言ったところ、それを聞いた中国人数人が、「悪いのは日本政府だ。あなたは悪くない」と言われて、ほっとした。許してもらえた。率直にものを言えば、分かってもらえるんだと感じた。

 というようなものでした。

 この日本人が中国語で言ったか、日本語で言ったかは知りませんが、いずれにせよカタコトであったと思われます。中国人の方もカタコトであったはずです。そんなカタコトの会話で、「許してくれた」などと言うことが判断できるのでしょうか?

 日本と中国、日本人と中国人が、お互いの存在を抜きにはごく普通の生活も考えられない程に密接に係り合っている今日こそ、私は、お互いのことを考える際に、「やはり人間だ、おんなじさ!」などという甘い幻想を排し、「私のこの気持ちを相手は本当に理解してくれたんだろうか?」と懐疑的な姿勢をもって事にあたるべきだと考えます。
 
 別の表現をするとこういうことになるでしょう。

――異文化理解の旅路は、『とんでもない奴等』と『匪夷所思』から旅立つべきである。

 日本人は、中国人や中国が日本側の意に沿わないと感じた時、『とんでもない奴等だ!』などと息巻くのが普通です。他にも似たような表現はありますが、これが異文化に対する嫌悪、畏怖、不可思議、驚愕、反発……の代表的な表現であることはどなたも認めるに違いありません。

 一方、中国人が、似たような状況になったら何と言うでしょうか?『アイヤー』『真不像話!』などと言うでしょうが、このような状況下で発行された中国語の新聞で、ちょくちょく目にするのが『匪夷所思』という四文字です。

 これを辞書で引くと、「普通の人が思いもかけないほど、常軌を逸している」とあります。ここで言う「普通の人」とは、「普通の中国人」という意味か、「普通の国際人」という意味でしょうから、それらの記事は、「日本の外にいる常識を持った人には全く考えられないほど変わっている」といった意味になります。

 これらの言葉は、「偽らざる心情」を吐露したものです。日中異文化理解のスタートは、まさにこのような「偽らざる心情」からスタートしてこそ、初めて本当のお互いの姿が見えて来るのでないでしょか?

 その意味から言いますと、日本企業に働く4人の中国人社員の感想文及び上述の新聞投稿を読む限り、お互いにあまりにも、「分かった、分かった、……の心」と物分りが良すぎます。あまりにもアッサリと自分達とは違ったものを受け入れてしまっており、「表面しか見て来なかったんじゃないの?」と、かえって不安な気持ちになってきます。

 4人の感想文を読んで、そういう感想を抱いたのは、私ばかりでしょうか?

(続く)

(2005年7月記・1,499字)
心弦社代表 田中則明

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