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ログイン2005年11月22日
前回、中国の日系企業内(”小気候”)におけるコミュニケーション改善の地道な試みの一端をご紹介しましたが、それとは対照的に、最近の日中間の政治・外交(”大気候”)をめぐる政治家等の発言を聞いていると、政治・外交を担当するレベルにおいては、どうも悩んで悩んで悩み抜いているといった切迫感が希薄な気がしてなりません。
また、現場におけるこのような異文化の壁を乗り越えようとする日々の地道かつ真剣な取り組みがどれほど理解されているのだろうかという疑問も湧いて来ます。
日中関係については「経熱政冷」が指摘されて久しいのですが、私は、今のこのような状況は、「小局熱大局冷(”小気候”熱”大気候”冷)」とか「低地熱高地冷(”脚熱頭涼”)」いう言い方(いずれも私の造語)の方がより適切な気がしますが、一人よがり(自作聡明)でしょうか?
それはともかく、私自身長年中国に駐在し、現場(”小気候”)に身を置いて、それなりに日々悩みつつ、この企業内コミュニケーションという問題に取り組んで来ました。それは、今思い返しても、参考例がほとんどなく、レールが全く敷かれていない上を走るトロッコに乗っているような気分でした。「どだい、白酒を呑む民族と日本酒を呑む民族が上手くやって行けるなどというのは机上の空論に過ぎないよ」と自暴自棄に陥ることもしばしばでした。
そのような絶望感を抱くのは、必ずしも現場がうまく行っていない時だけに限らず、現場が折角うまく行き出した矢先に、政治・外交上の事件が起きてしまったため、全てがオジャンになってしまったというケースも少なからずありました。
実際にビジネスの最前線に身を置かれた方はすぐに気付くはずですが、単なる一企業を代表する一日本人であっても、中国人から見れば、日本国、日本民族を多かれ少なかれ代表しており、「自分は、現政権を支持しないから、日本国とは関係ないよ」などという態度が取れないということです。恐らく、現在中国に駐在されている日本人とその家族は、同じような気持ちを毎日否応なく抱きつつ生きているに違いありません。
常に「日本と中国の関係はどうなっているのか?」「これから、どうなって行くのか?」「いざとなった時、自分の国はどこまで自分を守ってくれるだろうか?」……を問いかけつつ日々を送っているに違いありません。
私自身、上海駐在時に天安門事件に遭遇しました。この時の体験から、個人的には実の多くのことを見、聞き、感じ、学びました。その中の一つが、小局(”小気候”)における努力は、大局(”大気候”)における些事とも小波ともいえる感情の行き違いや摩擦によって、全く水泡に帰してしまうということでした。
国の政策、特に対外国に対する政策は、自国民の安全だけを念頭において決定されるものではないでしょうが、渦中に置かれた人間にとっては、まさに生きるか死ぬかの問題ゆえに、それが全てなのです。
そこで、いきおい、自国のリーダーの一挙手一投足に神経をとがらすことになります。そうした折に、「経済封鎖してしまえばいいんだ!」などといった威勢の良い言葉が自国のリーダーの口から発せられるのを耳にすると、複雑な感情に駆られます。「国家の利益を考えての上だとは思うが、もう少し、俺達のことも配慮してくれてもいいんじゃないかな……?」などという気持ちが沸々と湧き上がって来るのが常でした。
話が少し脇にそれましたので、元に戻しますと、ここに紹介した四名の中国人社員は、幸いにも、日本本社の同僚・上司と周りの日本人達との「良い出会い」を得ることができたのです。
彼らがもし、「愛国無罪デモ」の最中に日本に来ていたら、もっと違った「出会い」=「第一印象」を感じていたに違いありません。彼らの感想文は大局(”大気候”)についてはほとんど触れていませんが、それは、喜ぶべきでしょう。なぜなら、当時国と国との間に波風が立っていなかった、つまり、大局(”大気候”)が、両国民にそれ程暗い影を落していなかったことを物語っているからです。
今回、私は、彼等の感想文を読み直してみて、改めて、小局(”小気候”)における「良い出会い」は、大局(”大気候”)の安定(”風平浪静”)なくしてはあり得ないのだという思いを強くしました。やはり、異文化の壁を乗り越えるには、小局と大局、低地と高地、脚と頭のバランスの取れた協同作業が必要不可欠なのです。
(以上)
(2005年11月記・1,839字)
心弦社代表 田中則明
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