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中国人社員の目に映った日本、日本人、日本企業(23)

中国ビジネスレポート 労務・人材
田中 則明

田中 則明

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2006年2月1日

<労務・人材>

中国人社員の目に映った日本、日本人、日本企業(23)

田中則明

前回、中国人と日本人の間で相互理解が進まない原因は、お互いの価値観が隔たっているというよりも、お互いの「境遇」を知らないことにあると述べました。 

 勿論、価値観において一定の隔たりはありますが、地球上の65億人全体を見渡してから、あらためて日本人と中国人を見てみると、かなり近いものが見出せます。価値観のみならず、容貌、ものの考え方、宗教意識、風俗習慣などにおいても似通った点が多いことに気が付きます。 

 ところが、「境遇」となると、かなり様相が異なって来ます。 

中国語では、「境遇」は、一般的には“処境”と言います。(但し、文脈によっては“境遇”とか“環境”という言葉の方がしっくり来ることがあります)私は、“大気候”が冷え切っている今こそ、この「境遇」という言葉を、日中両国民は、先ずじっくりと噛みしめる必要があると申し上げたいと思います。 

よく、人は異文化に出くわすと、「所詮生まれも育ちも違うんだから、しょうがないよ。価値観が違うんだから仕方ないよ。あっちの箸は長く、こっちの箸は短いんだから」と、価値観や風俗習慣の違いで異文化の壁を説明することが多いのですが、私は、価値観や風俗習慣の違いで異なる民族に属する人々の言動や行為を他人に説明したり、自分を納得させるやり方に一種の危うさを感じます。なぜなら、そういう説明、そういう納得の仕方によれば、往々にして一つの民族に属する人々の価値観は、単一のもの、どちらかに偏ったものとみなされてしまうからです。例えば、「中国人は生の魚は食べません」と言えば、

13億人の中国人が皆そうだと思い込んでしまいがちだからです。 

私は、目下の日中異文化理解に関して言えば、 

「14億人がお互いの『境遇』を知るキャンペーン」 

を日中両国で開くことが、それを促進する上で最も有効な手段だと声を大にして言いたい程です。「日本人は好きですか?」「中国人は嫌いですか?」などのアンケートを取り、「関係が良くなった」「関係が悪くなった」と一喜一憂することよりも、100倍も効果的だと考えます。 

 勿論、

「中国人はどのように日本人とは異なった風俗習慣を有するか?」

「異なった価値観を有する中国人とはどのように渉り合って行ったら良いか?」

「異なった価値観を有する中国人を如何に自分達の価値観に染めて行く=教育して行くべきか?」

等等

の問題の立て方そのものは、間違っていないし、人によっては喫緊の課題と言えるでしょう。「これさえ理解できれば、他はどうでも良い」という位の方もいらっしゃるでしょう。特に、企業経営者や親族に中国人または日本人を迎え入れた人達等にとっては、極めて切実であり、なお且つ、早急に答を得たい問題と言えるでしょうから。 

 ですが、そのような方にしても、私は、価値観、価値観と言わず、先ず「境遇」を理解すること、押さえることから始めるべきですよ、と申し上げたいです。 

 なぜなら、次のように考えるからです。 

お隣同士が、次のような会話をするとします。 

Aさん:うちでは、魚は煮て食べます。

    なんたって、魚は煮たものが最高ですよね。

Bさん:うちでは、魚は「さしみ」で食べます。

    なんたって、魚は生が最高ですよね。 

AさんとBさんは、隣人同士で、お互いの価値観は理解出来ましたが、この会話の段階では、なぜ、そういう違いが生まれたのか理解できていません。

もしかしたら、DNAが原因かも知れませんし、アレルギー体質が原因かも分かりませんし、実家が魚屋さんで小さい頃に「さしみ」ばかり食べさせられたからかも知れません。或いは、昔給食で食べた煮魚がうまくて病み付きとなってしまったかも知れませんし、刺身は値段が高いので手が出ないからかも知れません。ひょっとすると生魚には有害物質が含まれていると信じ込んでいるからかも知れません。

 現状、大半の日本人と中国人の会話が、AさんとBさんの会話のレベルにとどまっています。このレベルにとどまっていたのでは、本当に隣人を理解できたことになりません。私は、両国民は、もっともっと、お互いの「境遇」にまで踏み込んだ会話をすべきだと思うのです。そのためには、お互いにもっと相手に対し興味を持ち、その「境遇」まで理解しようと努力すべきです。 

 「さしみ」の話のついでに、最近、NHKで、「東シナ海において、日中の漁船が魚の争奪戦を行っている」という特集報道番組を目にしました。なぜそのような事態が起きてしまっているのかと言えば、最大の原因は、中国人の富裕層が「魚」を食べ出した、いや、いろいろな「魚」を食べることが出来る「境遇」になったからだというのです。また、「さしみ」のおいしさを知ってしまった中国人が増え、従来、大方の中国人の価値観では、「さしみなど、とんでもない!!」だったものが、「これは行ける!!」に変化しつつあるというのです。 

 私が上で述べた「境遇」とは、まさにこのようなものを指します。 

実は、(全く手前味噌ですが、)1999年に上梓した拙著『中国ビジネス戦記』で、私は、この面における中国人の「境遇」に関して、次のように書いております。 

生活レベルの向上に伴い、アメリカや日本のように、大量の穀物を

飼料として消費する肉類の消費が拡大しており、その伸び率いかん

によっては、外国シンクタンクの(食糧需給に関する)見通しに近

くなる可能性が高い。そうなった場合、食料自給率が異常に低い日

 本のような国に与える影響は甚大である。また、海産物(含む魚類)

 の消費拡大も、海産物にタンパク源を求めバランスのよい食生活を

 享受している長寿国日本に与える影響は甚大である。

 中国人と日本人は、食生活におけるライフスタイルが日々近づい

ている。日本人にとっての問題は、「さしみ」を食べる人間が、

2010年に新たに1億人出現するとしたらどうするかだ。

 (p104〜p105) 

 私のこの心配が、かなり現実のものとなって来つつあります。私個人としては、予想が的中するのはうれしいことですが、一方、日本人として、このような解決の手立てが見出しにくい問題が起きて来るのは、歓迎すべくも無く、大変複雑な気持ちです。 

 くどいようですが、今こそ、日中両国民は、お互いの「境遇」を出来るだけ正確に、客観的に知る努力をすべきです。 

さー、あなたは、そのために、何をしますか?  




 

(2005年2月記・2,603字)

心弦社代表 田中則明

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