こんにちわ、ゲストさん

ログイン

労働争議の多発と中国のジレンマ

中国ビジネスレポート 労務・人材
馬 成三

馬 成三

無料

2010年6月24日

記事概要

一部の経済学者は、従来の「低賃金優勢」は「低人権優勢」に過ぎず、若い労働者は親世代のような悲劇の再現を嫌って、各種の方式で「NO」と言い始めているとの論調も出している。中国政府のジレンマを露呈させた、労働争議が多発する現状を分析する。【5,341字】

今年以来、特に5月に入ってから、中国各地で賃上げを求めるストライキなど集団労働争議が相次いで発生した。なかでも、台湾鴻海精密工業の中国子会社・富士康科技集団のシンセン工場やホンダの広東省仏山市の部品工場での賃上げ要求ストライキの発生は日本を含め、世界から注目を集めている。

実は1990年代半ばにも労働争議の多発があったが、世界からの注目度は今日ほど強くなかったのである。その理由として、「世界の工場」、「巨大市場」、「世界経済の牽引役」などの名称に示されたような、中国の地位向上のほか、労働争議の規模と影響の大きさも挙げられよう。今回の労働争議の多発は、中国政府のジレンマを露呈させたものとしても注目される。

「指導階級」、「国家の主人公」の「反乱」

「共産党の指導」と「社会主義の堅持」は中国の「基本原則」(国是)とされている。中国共産党第17期全国代表大会(17回党大会)が2007年10月21日に採択された『中国共産党章程(規則)』によると、「中国共産党は中国労働者階級の先鋒隊である」。2004年3月14日第10期全人代第2回会議で採択された「中華人民共和国憲法修正案」の第1章・総綱の第1条は、「中華人民共和国は労働者階級を指導とし、労働者・農民連盟を基礎とした人民民主独裁の社会主義国家である」と規定している。つまり、中国では建前上、労働者は「指導階級」、「国家の主人公」となっているのである。

中国においては、1950年代半ばから改革開放政策が導入された1970年代末までの長い間、国有制を中心とする単一的公有制の確立と計画経済の実行を背景に、ストライキなどの労働争議の発生はほとんど伝えられていなかった。新中国が設立された直後の1950年代初めに制定された労働争議処理に関する唯一の法規である『労働争議解決手順に関する規定』も、私営企業に対する「社会主義的改造」(公有化措置)が完成された1950年代半ばに、「社会主義制度のもとでは、企業と労働者とは利益の対立がない」という理由で、実質上廃止された。

東南アジア諸国のうち、争議行動の禁止もしくは著しい制限をスローガンに、外国企業の誘致をはかっている国が少なくなく、国によっては法律で労働組合の結成や争議行為を禁止する場合もあるようであるが、中国では労働者は国家の「主人公」、「指導階級」という理由で、最初からストライキとその存在理由を認めなかった。

第4期全国人民代表大会(1975年1月)に制定された憲法は、毛沢東の「党内の資本主義の道を歩む実権派を打倒する」という政治的目的から、「公民の基本的権利」として「ストライキの自由」(第三章「公民の基本的権利と義務」の第28条)を入れたが、鄧小平時代に入った後の憲法修正(1982年12月の第5期全国人民代表大会)で、「ストライキの自由」を削除した。

現行の憲法では、「ストライキの禁止」に関する条文はないものの、「社会安定」維持への配慮から、中国政府は労働争議の拡大、とくに集団ストライキに対して強い警戒心を持っていることも事実である。集団ストライキなどに対する警戒心は、改革開放政策が導入されてから間もない時点で公布された国務院の『企業職員・労働者賞罰条例』(1982年4月)にも反映されている。同『条例』には、ストライキ行為を行なった従業員に対して、行政処分または経済的処罰のほか、刑法違反の場合、司法機関による処罰などの罰則も設けられている。

『企業労働争議処理条例』も、「労働争議処理の過程において、当事者は矛盾を激化させる行為をとってはいけない」(同『条例』第6条)と規定し、労働者のストライキなどを含む、労働関係に関する主張を貫徹するための労使双方の過激な行為に反対する立場を示している。

問題は、労働者が中国の「指導階級」という「建前」と「エリート指導」という「現実」との矛盾はあまりにも大きいことである。民衆の間には「労働者指導」を信じているものは皆無と言っても良い。改革開放以前、労働者の主体とされている「産業労働者」は、国営企業(国有企業)の労働者であったのに対して、現在、その主体は「農民工」(農民出稼ぎ労働者)に変わったという事実も無視できない。

中国社会の最低層にある「農民工」を、「指導階級」に持ち上げること自体は荒唐無稽な極まりしかいえない。この「指導階級」、「国家の主人公」の「反乱」にどう対応するかは、外資系企業よりも中国指導部にとって、大きな試練になっているのは間違いない。

労働者の利益を代表する労働組合の不在 

国有企業改革の推進(国家計画の執行者から利益追求の経営体への変身)や、外資系企業を含む企業所有制の多様化を背景に、1990年代半ば以降、ストライキを含む労働争議の多発は中国における労働問題の一つに浮上したが、地方政府を含む中国政府が採っていた最も重要な対策は「工会」(労働組合)の活用にほかならない。

一部の地方政府は、『集団争議予防に関する規定』などを公布し、そのなかで企業経営側に対して、「工会」と企業内労働争議調停委員会の設立や集団交渉制度の整備を求めている。また従業員に対しては、「紛糾を起こしたり、事態を拡大したり、対立を激化したりしてはならない」という厳しい要求を打ち出しているほか、刑事責任の追及を含む罰則を設けているところもある。

しかし、中国では「工会」は中国共産党の下部組織で、政府の「手先」に過ぎないのが実情である。地方政府が一部の不動産業者などの企業(外資系企業を含む)と手を組んで、民衆、特に労働者の利益を害するといったケースが後を絶たない現状では、「工会」は労働者の利益を代表するとは到底考えられない。

ちなみに「工会」、共産主義青年団、婦人連合会(通称「工青婦」)は共産党の下部機構であることは、中国社会での常識となっている。中国政府、特に地方政府は「工青婦」を、社会安定と「和諧」(調和)を維持するための「安定器」と「減圧器」として使っているのである。

今回の富士康やホンダでのストライキが発生した際、地方政府は「工会」の「介入」に期待を寄せていたが、結果、その「調停」は失敗に終わった。労働者は「工会」を自分の利益の代表者と見なしていないのがその最大理由である。「工会」の責任者も、自分の役割を「労使間の架け橋」と位置付けている。

1990年代の「農民工」と異なり、いまの「農民工」は教育水準が比較的に高く、各種の情報にも詳しい「90後」(1990年代以降生まれたもの)が主体となっているだけに、自分の権益を主張し、自分の力でそれを守りたいという姿勢は、ますます明白なものとなり、なかには自分の利益を代表する「自主工会」を作ろうという動きもみられる。

中国政府にとって、上記の動きは最も恐ろしく、避けなければならないことである。ポーランドの社会主義体制の崩壊にも繋がっていたとみられる独立自主管理労働組合「連帯」の結成(1980年9月)については、中国指導部はよく知っているはずである。

各地の工場でのストライキの続発を前にして、中国政府は国内メディアに対し、独自報道を控えるように指示したり、「類似の事案も含め報道を禁止する」と通知したりしたと伝えられている。その背景にはストライキの拡大が社会安定を損ない、投資環境の悪化を招くことへの懸念もあるが、共産党指導に影響を及ぼしかねない自主組合の結成への警戒がより重要であろう。

富士康やホンダでのストライキの発生を受けて、日本のマスコミには「中国、賃上げ要求スト拡大…政権は後押し」という見出しで報道するケースもみられるが、上記の事情から考えれば、「政権は後押し」という認識は浅すぎるしかいえない。

「廉価な労働力は現段階の中国の投資誘致における第1位の優勢ではない」

1993年以来、中国は発展途上国における最大の外国直接投資受入国に浮上し、「世界の工場」としての地位を手に入れた。諸外国・地域企業を中国に向かわせる要因の一つに、高質、且つ廉価な労働力の存在がある。実際、多くの地方政府は投資環境の「良さ」として、低い労賃を挙げている。

賃上げを求める労働争議の多発と、その解決策としての大幅な賃上げは、外資系企業の経営コストの上昇を招き、中国の「世界の工場」としての地位にマイナスな影響を及ぼしかねないとの指摘が出ている。台湾の電気電子工業同業公会理事長は、「富士康の賃上げは大陸の労賃コストの上昇を意味し、今後3~5年のうち、大陸にある台湾の電子工場は撤退するケースが出てくるだろう」との予測も示したそうである。

各地方の最低賃金の引き上げや富士康、ホンダなどでのストライキによる賃上げの影響について、外資政策などを主管する中央官庁である商務部(省)のスポークスマンは、最低賃金の引き上げが国全体の経済・産業政策の変化趨勢に合致し、より多くの産業労働者に経済発展の成果を享受させるためのもので、一連の賃上げは中国の外資受け入れに影響を及ぼすことはないと主張している。

商務部のスポークスマンは、6月13日に行なわれた記者会見で、現段階の中国の投資環境に触れ、「賃金水準または廉価な労働力は中国の投資誘致における第1位の優勢ではない」との認識を示したのが注目される。同スポークスマンによると、外資にとって中国の最大の優勢は「国内政治環境の安定」、「経済の持続的高成長」、「法治環境のさらなる改善」、「国内市場規模の巨大さ」と「産業集約力の整備」にあるという。

同スポークスマンは、また「労働力の面でも人口素質が向上し、中西部には企業に充足な労働力を提供できる巨大な労働市場があり、且つ賃金水準においても比較的強い競争力を有している」と指摘しながら、「雇用は第一、賃上げはその次」との見方も示した。他方、人力資源社会保障部(省)や工商管理局の幹部も、「過度な賃上げは雇用の拡大にマイナスな影響を及ぼしかねない」との懸念を明らかにしている。

「低賃金」、「低人権」に「NO」と言い始めた中国の若い労働者

他方、中国のマスコミや研究者の間で、分配制度改革や賃金改革の加速化を求める声は高まっている。国民所得に占める住民所得の比重や、一次分配に占める労働報酬の比重を高めるべきだとの主張は政府部内からも多く出されている。「引き続き労働力コストを抑えていけば、世界の製造業が発生する汚染は引き続き中国に集中することを意味し、原材料の供給と最終製品を海外市場に求めるという『両頭在外』の『世界工場』モデルが長く続ければ続くほど、中国の環境と資源に対する破壊はますます深刻さを増していく」との警告(『新京報』社説)も登場している。

北京市人力資源社会保障局は2010年度の最低賃金案を公表し、今年7月より同市の最低賃金基準を800元/月から960元/月へと20%引き上げることを決定したが、中国のマスコミは世界銀行の調査報告などを引用して、北京市政府の最低賃金基準はまだ低いと指摘している。

世界銀行の調査によると、毎日栄養摂取量及び子供扶養の需要から考えれば、中国で基本的な生活水準を維持するため、月平均1684元が必要で、この基準からみれば、北京市の最低賃金基準はまだ低く、賃金改革のさらなる推進をしなければならないという。

中国人民大学労働関係研究所所長・常凱教授の調査によると、シンセンでは一人の労働者が最も基本的な生活(食事、家賃と治療などを含む)を維持するため、少なくとも1200元が必要。もし子供の扶養費や文化的支出を計算に入れると、必要な経費はもっと増える。これに対して、引き上げられた後のシンセン市の最低賃金基準は1100元しかなく、労働者たちが尊厳のある生活を維持するための水準から大きく離れているという。

中国の研究者によると、1990年代初め以降、中国は一貫して低賃金制度を実施し続けているが、このモデルは持続できるものではないことを、実践により証明している。近年時々現れた「民工荒」(農民出稼ぎ労働者の供給不足)や今年以来の賃上げを求めるストライキの発生は、政府や企業への警鐘にほかならない。一部の経済学者は、従来の「低賃金優勢」は「低人権優勢」に過ぎず、若い労働者は親世代のような悲劇の再現を嫌って、各種の方式で「NO」と言い始めているとの論調も出している。

中国で賃上げを求めるストライキの発生を、検討中の「所得倍増計画」とリンクする議論は日本のマスコミに出ているが、実際、中国の公式統計をみる限り、いわゆる「所得倍増」は別に新しいことではない。国家統計局によると、2008年中国全国の平均賃金指数(実質)は2000年の2.64倍、1990年の約5倍、1980年の約7倍にあたる。問題は毎年増加している賃金の大部分が独占経営の国有企業に入り、産業労働者の主体に浮上した「農民工」がその恩恵を受けていないという現実にある。

人力資源社会保障部(省)研究所の試算によると、企業従業者数の8%しか占めていない国有独占企業の従業員は、全国賃金総額の55%~60%を受けているという。「農民工」の賃金は国の賃金統計の対象にも入っていないようで、検討中の「所得倍増計画」は如何にして「農民工」を網羅するかが課題となっている。

(5,341字)

ユーザー登録がお済みの方

Username or E-mail:
パスワード:
パスワードを忘れた方はコチラ

ユーザー登録がお済みでない方

有料記事閲覧および中国重要規定データベースのご利用は、ユーザー登録後にお手続きいただけます。
詳細は下の「ユーザー登録のご案内」をクリックして下さい。

ユーザー登録のご案内

最近のレポート

ページトップへ