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ログイン2011年8月23日
外国人向けの観光地としての色彩の強い敦煌と世界遺産級の自然、遺跡を有するにもかかわらず、世界遺産を有しない新疆ウイグル自治区で出会った地元民および回族との交流に関する現場体験記です。
敦煌と言えば、日本人には井上靖の世界。映画「敦煌」でも馴染みの深い場所です。日本人には郷愁をそそる響きですが、現在の敦煌は、表面上は外国人向け観光地として整備され尽くしており、素の中国、辺境の自然や少数民族に興味のある筆者には、むしろ新疆ウイグル自治区への旅のほうが心に残りました。今回は、敦煌の中でも、通常の観光ではあまり触れることのできない素の敦煌、および新疆ウイグル自治区で出会った回族との交流に関する現場体験記です。
敦煌で日本人によく知られているのは、莫高窟と鳴沙山・月牙泉です。莫高窟は、山西省大同市の雲崗石窟および河南省洛陽市の龍門石窟と並ぶ中国三大石窟の1つで世界遺産でもあります。この三大石窟で特に日本人に有名なのが、甘粛省敦煌の莫高窟でしょうが、北京に住む一般の中国人には、雲崗石窟や龍門石窟の方が有名なようでした(莫高窟の正門には、寄付をした日本人の写真が飾られています。敦煌空港にも日本のODAが入っています)。
1.観光地敦煌で出会った地元大学生
敦煌での1日目の観光を終えた筆者は、いつものように、まず地元民が日々の食材や日常品を買い出す地元の市場に行きました。その後、回族のドライバーから紹介されていたレストランで夕食を取り、敦煌で一番規模の大きな夜市に向かいました。
そこは、地元の人達が行く市場とは異なり、外国人観光客向けの色彩の強い夜市でした。新疆ウイグル自治区ウルムチ、カシュガル、クチャなどでも夜市・朝市を回ってきた筆者にとっては、観光客向けに作られたウルムチのバザールと同じく、敦煌の夜市も心に響くものではありませんでした。よって、軽く1周しただけで見学を切り上げ、街へ出てみる事にしました。
通りを目的もなく、のんびりと物見遊山していたところ、地元の真面目そうな女子大生が、先頭を歩いていた友人に「どこか場所を探しているのですか?」と話しかけてきました。
人の良さそうなこの女子大生は、どうやら英語を練習するために、我々に話しかけてきたようでした。ところが、こちらも中国語を練習している身でしたので、友人は上手くない中国語で必死に対応を試みたのですが、見かねた大学生が英語で助け舟を出してくれました。しかし、頭の中が中国語でいっぱいだった友人は、英語で「We」でもなく、中国語で「我们」でもなく、英中折衷の「We们」と発したため、大学生は余計に何を言っているのか分からない様子でした(友人の気持ちが筆者にも良く分かります。外国語を話そうとすると、口から自然に出てくるのは英語ではなく中国語なのです)。
このときの筆者は、地域による中国語のなまりの他、それぞれの地域での漢族の性格の違いも感じました。広大な大地に住む漢族は、住む地域によって全く性格が異なります。
たとえば、北京や東北部の漢族は、いつもイライラしている感じがします。上海など大都市に住む漢族は、田舎者を馬鹿にしがちなところがあります(出身地を尋ねるとき、「どこの田舎・農村から出てきたの?」と聞くなど)。共産革命が発祥した江西省・湖北省・湖南省辺りに住む漢族は、非常に手ごわい漢族の典型です。甘粛省や新疆ウイグル自治区に住む漢族は、少数民族対策で政策的に移民してきた漢族が多く、必然的に軍人が多くなります。雲南省に住む漢族、たとえば、タイ族の街である西双版納に住む漢族は皆、朗らかでのんびりしています。台湾に住む漢族は、親日的で日本人と性格もあまり変わらない、といった具合です。
中国各地を回れば回るほど、それぞれの地域による性格・性質の違いが大きいことに気付きます。
2.観光地敦煌での観光客に慣れていないウェートレス
新疆ウイグル自治区と敦煌での食事でひどい下痢になった友人のため、敦煌2日目の夕食は、回族のドライバーにお腹にやさしい料理をリクエストしました。すると、予想通り、何ら特色のない、普通の地元のレストランに案内されました。観光客も来ない地元のレストランであったため、我々以外に外国人はいない様子でした。
よほど外国人が珍しかったのか、服務員(ウェートレス)が入れ替わり立ち替わり、用もないのに我々の個室に入ってきては微笑んでいました。
「何で笑うねん?」と聞いても、赤面をして立ち去ったものです(筆者は、中国語、特に北京語を話すときには、語尾に「呀ya」を付ける言い回しをし、関西弁を話すようなイメージで話しています)。
同じような反応は、新疆ウイグル自治区ウルムチの地元レストランでもありました。北京の気の短い漢族の服務員による「ああ?」や、「ちっ!」といった、どこかすれたような言い草に慣れていた筆者にとっては、こういった反応が非常に新鮮に映りました。
3.ウルムチの回族
中国各地のレストランで、各地の服務員(ウェートレス)と接してきましたが、その中でも印象に残る1人が、ウルムチで出会った回族の服務員です。この服務員は反応がとても素直でした。具体的には、一般の中国人(特に漢族)が絶対に言わない言葉を我々に使ったのです。
それは筆者にとって、2回目の新疆ウイグル自治区の旅でのことでした。新疆ウイグル自治区にまで来ておいて、さすがに漢族料理を食べる気にはなれませんでしたが、一方でウイグル料理は一通り食べ尽くした感もあり、ドライバーに、ウイグル料理以外で何か地元のお薦め料理はないかと尋ねました。
その結果、回族のレストランに行ってみる事になり、そこで件の服務員と出会いました。
そのときも、注文はドライバーに任せていました。これは、旅先や初めて行く少数民族の料理店での筆者の習慣です。店の服務員(ウェートレス)にお薦め料理を一通り聞きながらも、地元のドライバーに注文を任せると、通常日本人が注文しない、しかし非常においしい料理に出会えることが多いからです。たとえ口に合わなくても、それぞれの民族がどういった料理をおいしいと思い、どういった料理を注文するかが分かるため、貴重な体験となります。
このときの料理も大変おいしく、大喜びで食事をしていたところ、回族の民族衣装を着た服務員が、我々が注文していない大盛りの白米を持ってきたのです。
北京の漢族に慣れていた筆者は、思わず少々厳しい口調で、「ああ?注文していない。いらない。」と言いました(北京の漢族の店では、これが悪気のない普通の態度)。すると、この若い回族の女性服務員はうつむきがちに、「対不起(ごめんなさい)」と謝ったのです。この「対不起」という言葉は、通常、漢族が言うことはありません。どんなに本人が悪くても謝ることがない漢族が、せいぜい口にするのは、「不好意思(対不起のように謝罪の意味はなく、「ごめんね!」程度の軽い意味)」です。
慌てて、「良いよ。良いよ。置いて行きなよ(どうせ安いのだし・・・)」と場を取り繕ったところ、回族の女性服務員は、「ありがとう。店長に怒られないで済むわ」と感謝して仕事に戻っていきました。
これほど素直な態度は、この服務員の策略なのかも知れないな、などと少々疑ったものの、確かに日本人相手には、北京の漢族のように非を認めない態度をとるよりも、この戦法のほうが有効だなと思えました。