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【コラム】中国現場体験記(11) チベット族の価値観とミシミシ

中国ビジネスレポート コラム
奥北 秀嗣

奥北 秀嗣

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2011年6月22日

記事概要

中国にいると、中国人が日本人に向かって「ミシミシ」と言ってくることがあります。これはどういう意味でしょうか?今回は雲南省にあるチベット族の街、シャングリラ(香格裏拉)で出会ったチベット族の子供との交流に関する現場体験記です。

雲南省シャングリラはチベット族の街です。今回は、桃源郷・理想郷を意味するシャングリラで出会った少数民族(チベット族、リス族等)との交流の中から、チベット族の子供の発した言葉「ミシミシ」に関する、日本と中国との関係、少数民族の価値観に関する一考察です。

1.雲南省~少数民族の宝庫~
筆者は、大陸にある省・自治区・直轄市の合計33箇所全てに行き、56に渡る全ての民族と交流することを目指しています。なぜなら、中国の多数民族である漢族とは全く異なる文化・性格・歴史を持つ少数民族と触れ合う事で、それぞれの考え方・文化および漢族との違い等を体感できるからです。

(1)雲南省
今回の現場体験記は雲南省が舞台です。ここは少数民族の宝庫であり、中国で最も人気がある場所のひとつなのですが、日本から少し遠くに位置するため、通常日本人はなかなか行く機会のない地域だと思います。

(2)筆者の旅の仕方
いつものことながら、雲南省でも、全ての過程でガイドは付けず、ドライバー(タイ族の街である西双版納以外のドライバーは、全て少数民族)と中国語(普通話)で相談をしながら、より地元に入り込める場所を選んで行って来ました(事前に決めた日程は街到着までで、具体的なスケジュールは現地に着いてから決めるという自由旅行スタイル)。よって、通常の日本人にとっては、食べ物が合わなかったり、トイレにドアがなく不衛生だったりと、かなり中国らしいところに入り込みますので、なかなか厳しいものがあるのも事実です。

麗江から香格裏拉に至るまでのドライバーは、ナシ族の人でした。ナシ族の住む麗江は、日本の田舎を大規模にしたような街で、麗江古城は世界遺産です。そこで採れる野菜や咲いている花々が筆者の田舎と同様のものであるうえ、ナシ族も日本の昔ながらの農村に住んでいるような民族であり、何か「田舎に帰ってきた」という安堵感や懐かしさを感じさせる場所でした。

食事はドライバーに相談し、地元の少数民族が行く店を出来る限り選び、食事の面でも彼らの生活を実感できるように努めました。食事からも、その街で手に入る食材や民族性などが分かるからです。

(3)中国語(普通話)
普通話については、生粋の北京人よりも他の地域(特に南方)の方がきれいな普通話を話すように感じます。

雲南省の人々は、南方なまりおよび雲南省固有のなまりがあるものの、私からすれば、聞き取りやすい普通話を話します。それに比べて、生粋の北京人はものすごくなまっているため、理解するのが大変です。また、東北人(たとえば、ハルピン、大連など)よりも南方人の方がどういうわけかきれいな普通話を話すのですが、これは思うに、南方人は通常自分たち同士で話すときには自分たちの言葉(その地域の言葉や少数民族語等)で話すのを、我々と話すときには普通話に切り替えるため、彼らの中では普通語は外国語として話しているのかも知れません。その他、東北地方(黒龍江省、吉林省、遼寧省)は特に冬は酷寒であるため、北京人のようには口を大きく開けて、大きな声では発音をしてくれません。小さな口で、もにょもにょと話す人が多いように感じます。

2.シャングリラ(香格裏拉)
今回は雲南省各地の中から、香格裏拉での出来事を紹介します。

(1)中国らしさ
香格裏拉は、最高標高4,100m(富士山で3,776m)であり、その最高標高に位置する高山湖のビタ海にて、4km以上のコースを歩きました。筆者は高山病の状態になってしまったため、もうそれは必死で歩いたのですが、見た目が新疆人そっくりの友人は元山岳部だけあって平気な顔をしていました。

香格裏拉は、このような高地にある、チベット族の住むかなり貧しい街です(チベット族の住む地域は貧しいところが多いです)。野菜が育たず、食べ物に恵まれないうえ、このような高地であるため、生活条件はかなり厳しい場所でした。

まず、ホテルに荷物を置くべくチェックインしたのですが、筆者の部屋は鍵が壊れて開かず、チベット族の従業員がドアを蹴飛ばして開けようとする有様でした。また、当然のようにシャワーのお湯が出ませんでした。以前にも、蛇口の取っ手をひねったところ、そのまま取れてしまった事もありましたが、中国を旅すると日本では経験しない、いろいろな出来事に行き当たります。

(2)チベット族の性格
チベット族はよく言えばおとなしい、悪く言えばぼーっとしている印象を受けるのですが、あるチベット料理の店(ヤク肉鍋の店)で出会ったリス族の従業員からも、民族性の違いを大きく感じました。リス族は一般的に大変明るいのに対し、チベット族は独特の精神世界で生きているようでした。

日本を含む西側社会ではダライ・ラマ=正義、北京政府=悪とされていますが、北京では、ダライ・ラマ=住民を農奴としてこき使った悪人、北京政府=農奴を解放した正義の味方、として扱われています。政治の問題が絡むため、何がどうというのは難しいですが、様々な価値観を感じられることが、中国で多くの友達、多くの民族に接触することによって得られるメリットだと思います。

(3)チベット族の精神性と漢族の価値観
夕食後、街で一番賑やかな広場に行き、チベット族の老若男女が毎日朝晩(①仕事・学校に行く前と②帰ってきてからの2回)、踊り続けているという現場を見に行きました。

チベット族およびラマ教を信じる人たちの多くは最貧困層に当たるのですが、陽気に踊る彼らを見ていると、それでも幸せなのだ、精神的に満たされているのだというように感じたものです。

漢族の価値観の第一に来るのは、ずばり「お金」だというのが私の実感です。彼らは「金をやった。投資してやったのだから、俺らに歯向かうな。ありがたく思え。」とすぐに言います。これはチベットに対する投資でも新疆に対する投資でも同様です。

この漢族の価値観が、貧乏で良い、それで満足と思っているチベット族の価値観と全く相容れない事が、しばしば発生するチベットとの紛争の原因なのではないか、と感じました。
このことは、現在、紛争の起こっているモンゴル族に対する政策でも言えます(モンゴル族の多くはラマ教・チベット仏教信者)。漢族の多くは、内モンゴル自治区は中国の貧困地域であるも、中国であるから生活ができ、一方、外モンゴルは、独立して別の国になったがため、大変貧乏なひどい国だ、と評価しています。

民族による価値観の違いを感じます。

3.ミシミシ
(1)チベット族の子供
翌日、ナパ海(夏の間は湿地に変わる草原)に行き、チベット族の子供と一緒に馬に乗りました。チベット族同士が話す言葉はチベット語であるため、何を言っているのかは全くわかりませんでしたが、子供たちとは普通話でいろいろと話しができました(彼らも小学校では普通話を習っています)。

彼らが見ているテレビドラマの多くは、日本軍の侵略戦争をテーマにしたもので、日本人はひどい民族として描かれています。その中で使われる、「馬鹿野郎」などといった言葉は普通話では何と言うのか、などといろいろと聞かれました(すれてない子供であるので、純粋に興味で聞いてきます)。

(2)ミシミシ
このコミュニケーションの中で、チベット族の子供から、「ミシミシ」はどういう意味か、とも聞かれました。筆者も正直よく分からなかったのですが、中国人は日本人を見ると、よく「ミシミシ」と言ってきます。これはテレビドラマの中で、日本軍の軍人が「ミシミシ」と言っているかららしいのですが、「飯、飯(メシ、メシ)」と言っているのが、中国人には「ミシミシ」と聞こえるのかも知れません。

チベット族の子供の親からは、日本人は戦争のときには悪いことをしたかもしれないが、今の日本人は良い人たちだ、と励まされました。


※麗江でのナシ族の女性による踊り

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